HOME > REVIEWS > PERFORMANCE
> contact Gonzo パフォーマンス公演「my binta, your binta // lol ~ roars from the skinland ~」 ヒルサイドプラザ 2024.3.1 – 3.3
PERFORMANCE

contact Gonzo パフォーマンス公演「my binta, your binta // lol ~ roars from the skinland ~」
ヒルサイドプラザ
2024.3.1 – 3.3

Written by 西田留美可|2024.3.29

写真:高野ユリカ

 

contact Gonzoの新作パフォーマンスは、皮膚が「外からの情報を微細に受け取る感覚器官」であり、「情報を自ら発信するインターフェース」であることに着目した作品だ[1]

タイトルの「ビンタ」は殴る行為を想起させるし、グループ名にある「コンタクト」は「接触、肉体的に触れる行為」という意味もある。身体器官としての皮膚にどのようなアプローチをするのか、どのような世界観を見せるのか、これまでの作品とどう変わっているか、を見届けたく、おしゃれな街として知られる代官山のヒルサイドプラザへでかけた。

 

写真:高野ユリカ

 

写真:高野ユリカ

 

地下一階の受付では希望者に耳栓が配られる。爆音が苦手な私はずっと着けることにした。受付近くには、皮膚の一部を拡大した写真やカレンダーなど展示物が並び、手渡された新聞には今回の作品に向けて作られた小説が英字新聞の特集記事のように掲載されている[1]。階段を下りると地下二階にパフォーマンス会場があり、その真ん中には、ボクシングなど格闘技の試合で使うリングのような舞台が据えられている。舞台の下には巨大な低音スピーカーが計8個仕込まれ、2個ずつ観客の方を向いていた。定員100名の会場は満席(といっても席はなく、オールスタンディングだ)で熱気に溢れ、混み合う観客の間を、電光掲示板を背負う人が、歩き回っていた。。

 

写真:高野ユリカ

 

写真:高野ユリカ

 

舞台上で始まったのは、4人のパフォーマーの殴り合いだ。身体のどこかに検知器がついていて、殴るたびに重低音が響き渡る。くんずほぐれつ、延々と殴り合いが続く大乱闘パフォーマンスだ。

場内乱闘の様相を呈した前半が終わると、観客全員が隣の人と手をつないで輪を作り、動きの伝達とリアルな接触を感じる時間があり、場の一体感が醸し出された。後半に再び始まるのは、場外乱闘だ。舞台下に降りた4人が激しく動き回り、殴り合う。接触を避ける観客やより近くで見ようとする観客が入り乱れる。4人が舞台に戻ると、一転して演劇的なシーンへ転換。ホットプレートで肉を焼き肌の上にのせたり(怪我の治療らしい)、アカスリなどのシーンがあった。

誰かが誰かを殴るとセンサーを備えた装置が作動し、その振動が増幅されて、重低音の爆音が大口径ウーハーから鳴り響く。この重低音は、空気を振動し、身体を振動し、さらに内臓にまで到達する。重低音は波長が長いため、空気だけでなく、人間の体内の水分や組織を通しても伝わるので、体全体を揺さぶるのだ。こうして舞台上での激しい殴り合いは、音の周波数に乗って、観客の身体に伝達し、観客全体を振動させる。このパフォーマンスでは、視覚、聴覚、触覚が激しく刺激され、傍観者ではいられなくなる。

 

写真:高野ユリカ

 

contact Gonzoのパフォーマンスのルーツには、半世紀ほど前の1972年にスティーヴ・パクストンが仲間たちと始めたコンタクト・インプロビゼーションという即興法(ダンスメソッド)がある。以前の彼らのパフォーマンスを見たときは、いきのいい兄ちゃんたちが怪我の瀬戸際まで体をぶつけあい転がったりする、ハードかつアグレッシブな姿に感銘を受けた。また同時に、そのルーツとなるコンタクト・インプロビゼーションのエッセンスをも色濃く感じた。しかし今回のコンタクトの激しさは別物だ。彼らの中でそれはツールとして機能するのではなく、トリガー(表現のきっかけ)である。彼らが新たな地平を目指し独自の表現を開拓しようとしているが、コンタクト・インプロというストラクチャー(OS的な構造)の中でのひとつの発展形あるいは裾野を広げる活動にも見えてくる。

2020年代半ばに差し掛かった今、彼らの視線は眼前の観客へ向かう。観客を傍観者でなく、もっと激しく巻き込みたい、と思ったのに違いない。傍観者から共鳴者へ誘導することで、一人一人がパフォーマンス空間で生まれる共同体の一員となり、同一空間に共存し共鳴しあう共感を創出したかったのではないだろうか。皮膚という袋に包まれた他者の体をサンドバッグのように黙々と殴っている姿は、暴力的でもあり自虐的でもある。不確かな未来に対する不安をぬぐうためなのか。何かになるための一種の通過儀礼か。不可解な、あるいは理不尽な何かに対する怒りの発散なのか。人と人との直接のコミュニケーションが減り、バーチャルな世界での炎上が増えるなど、皮膚感覚で信頼や共感を得ることが難しくなってきている。彼らは他人の存在をリアルに感じ取るために殴り合っているのかもしれない。逆説的だが、殴り、殴られることで、痛みの共感で信頼の回復が強固になり、同じ釜の飯を食べたような連帯感が生まれるのかもしれない。

社会学者のジグムント・バウマンは、現代社会を「クローク型共同体」(カーニバル型共同体)といっている(『リキッド・モダニティ』)。観劇などの際に、劇場についたらクロークで荷物やコートを預け、演じられる作品に観客はみなで笑い、涙し、ある種の共同体が生まれるが、劇が終われば、みながクロークに預けたものを受け取り、出口を出た瞬間、共同性は消え去り、散り散りになる。現代の社会はこれと似ているのではないか、と。

あのとき、あそこで存在していたパフォーマーと観客全員の共振していた身体と共同性は消えてしまったが、皮膚感覚の記憶は残っている。バーチャルリアリティの精度がますます高くなり、身体への抑圧や負荷が大きな問題になってきている。激しく強打しあう接触過多なパフォーマンスは、こうした流れへの警鐘を鳴らす意味もあるだろう。

 

写真:高野ユリカ

 

スティーヴ・パクストンが来日した際に、インタビューで次のようなことを話してくれたのを思い出す。「コンタクト・インプロビゼーションがもつ平等性、非競争的関係などがすべて実践されれば社会を変える可能性もあるでしょう。でも世界中の何万人もの人がコンタクト・インプロビゼーションを実践してきたが世界はそれほどよくなっていない、戦争もいまだ行われているし・・。」(2009年5月)。

 

人と人との新しいコミュニケーションを生み出すコンタクト・インプロビゼーションは、芸術的実験から社会的運動へと波及していった経緯がある。こうしてみると、contact Gonzoのアート・パフォーマンスで気づかされるのは、これまでにないコミュニケーションへの渇望だ。新たな時代での、新たな共同性を開く答えは容易にみつからないが、だからこそ探索の価値がある。見つけられると期待したい。

 

[1] 2023年度のシビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]による「アート・インキュベーション・プログラム」のアーティスト・フェロー活動の一環として、「皮膚/スキン」をテーマにその仕組みを多角的に探求し、リサーチやワークショップなどの実践を通して作品を制作してきた。

[2] contact Gonzo とその子孫が、皮膚と皮膚の接触によるコミュニケーションを発達させたという。今行われているこのパフォーマンスがその技術が生まれた瞬間であり、その立ち会いに、未来人がやってくる、というSF風の物語。皮膚がグロテスクなまでに強調されている。

 

INFORMATION

contact Gonzo パフォーマンス公演「my binta, your binta // lol ~ roars from the skinland ~」

会期:2024.3.1 - 3.3
会場:ヒルサイドプラザ(東京都渋谷区猿楽町29-10ヒルサイドテラス内)
企画・制作:contact Gonzo
主催:シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]

出演・コンセプト:contact Gonzo(塚原悠也、三ヶ尻敬悟、松見拓也、NAZE)
コンセプトサポート:津田和俊
舞台監督:河内崇
音響設計:西川文章
音響オペレート:溝口紘美(ナンシー)
デバイス設計:稲福孝信
照明デザイン:contact Gonzo
テクニカルサポート:伊藤隆之(CCBT)
ビジュアルデザイン・衣装:小池アイ子
ドローイングアーカイブ:NAZE
制作・進行管理:林慶一、岩中可南子、島田芽生(CCBT)
協力:happy freak

WRITER PROFILE

アバター画像
西田留美可 Rumika Nishida

ダンスジャーナリスト・ダンス批評。ダンス作品や行為がもつ意味に興味を持っている。新聞や雑誌「DANCEART」「シアターアーツ」等で執筆。AICT会員、舞木の会協同代表。共著に『ケベック発パフォーミングアーツの未来形』(三元社)、『ケベックを知るための54章』(明石書店)、『江口隆哉・宮操子 前線舞踊慰問の軌跡』(大野一雄舞踏研究所)。

関連タグ

ページトップへ