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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
セルジオ・レオーネ監督

Written by 佐藤久理子|2020.4.30

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ギャングの神話に寄せた、レオーネ版「失われた時を求めて」

俗に言う、マカロニ・ウエスタン(英語ではスパゲッティ・ウエスタン)の代名詞のような存在であるイタリアの巨匠、セルジオ・レオーネ。その彼が構想16年を経て完成させた、キャリア唯一の現代ドラマにして遺作が、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)だ。エンニオ・モリコーネの、哀愁漂うパンフルートの音色にのって描かれる3時間49分に及ぶ叙事詩は、カンヌ映画祭で絶賛されたものの、アメリカの公開用に、プロデューサーによってずたずたに再編集された縮小版が酷評され、その後オリジナル版が公開されるに至ってあらためて再評価されたという、いわく付きの作品である。

禁酒法下の1920年代、イディッシュ語が響く猥雑なニューヨークの下町で、5人の不良たちが貧しさから這い上がるため、悪に手を染めて行く。ボス格のマックス(ジェームズ・ウッズ)とヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)は絶対的な信頼で結ばれているが、ヌードルスは成功に興味はなく、親友の妹で女優になることを夢見るデボラに憧れている。一方野心溢れるマックスにとって女は欲望のはけ口にすぎず、トップに君臨することだけが彼の望みだ。そんな両者の違いは、やがて運命の別れ道をもたらす。映画はヌードルスが追っ手を逃れ、ニューヨークを去るところから始まる。彼が再びニューヨークに舞い戻るのは、35年後だ。

本作はレオーネが初めてアメリカを舞台にした、ギャング映画に対するオマージュであると同時に、それまでのレオーネの作品に共通する要素に満ちている。力を競い合う男たちの世界、友情と嫉妬、裏切りといったテーマ。セリフよりも役者の表情でわからせる、クローズアップを駆使した演出。そしてヴァイオレンス。そんなレオーネの世界の真髄を、デ・ニーロ、ウッズ、ジョー・ペシ、バート・ヤングら、味の濃い名優たちが支える。
さらに薄汚く煤けた20年代と60年代のニューヨークを自在に行き来させる、大胆で鮮やかな編集や、登場人物の性格や社会的環境をそれとなくディテールで伝える技も心憎い。たとえば不良メンバーの少年が女の子への手みやげで包んでもらったケーキを、ドアの外で待たされている間、空腹のあまり指ですくってひと舐めし、やがてトッピングを食べ、ついには全部食べてしまうといった描写は、微笑ましくも、当時の移民たちの貧しい生活環境を表している。

一方で、それまでのレオーネ作品と決定的に異なる要素もある。それは悔恨とノスタルジーだ。ここにはヒーローもアンチ・ヒーローもいない。夢を追い求め、手を血に染めた男たちは挫折し、過去の思い出のなかに生きている。いわばこれは、レオーネにとっての「失われた時を求めて」なのだ。35年間身を隠していたヌードルスは結局、過去に捕われたまま、先に進むことができない。アヘンに恍惚としながら、彼は自分を見捨ててハリウッドに旅立ったデボラのことを、まだ無邪気で夢あふれていた仲間たちとの子供時代を想うことでのみ、存在しているのである。
とくに子供時代のヌードルスとデボラのシーンは、忘れ難いロマンチシズムに満ちている。ヌードルスが密かに壁穴から覗き見するなか、「アマポーラ」の心地よい調べにのってデボラ(凛とした輝きを放つ14歳のジェニファー・コネリーの貢献は大きい)がひとりダンスをするシーンの、なんと甘やかなことか。
だが、ヌードルスはマックスへの友情を捨てることができず、彼らの住む世界はデボラにとって軽蔑すべきものでしかない。そんなふたりの別れは、無惨で取り返しのつかない汚点を残す。

モリコーネの音楽が素晴らしいのはもちろんだが、もうひとつ触れておきたいのは、ビートルズの「イエスタデイ」だ。モリコーネとビートルズという組み合わせは意外な気もするが、1965年に発表されたこの曲が、ヌードルスが舞い戻る60年代後半のニューヨークに流れていたとしてもおかしくはない。もっとも、レオーネがこの曲にこだわったのは、せつない曲調はもちろんのこと、その歌詞にある。
「昨日は、悩みなどはるか遠いことのように思えたのに、今日はまるでここに横たわっているかのようだ」「なぜ彼女は行かなくてはならなかったのか。わからない、彼女は言ってくれなかった。僕が何か間違ったことを言ったのか。いま僕は昨日を待ちわびている」
あたかもこの映画のために書かれたかのような、過去に生きるヌードルスの心情にぴたりと寄り添っている。

本作のラストに映される、デ・ニーロのミステリアスな笑顔。それはヌードルスが甘みな過去の思いに浸る、儚い幸福のひとときなのかもしれない。まるで我々に、過去こそが生きる糧なのだと語りかけるかのような。
ちなみにレオーネは、本作で初めて組んだデ・ニーロに惚れ込み、彼の主演による、ナチ占領下のレニングラードを舞台にした壮大な企画を撮る予定だったという。その準備なかばの89年、60歳にして惜しくも他界した。だがその遺産は、マーティン・スコセッシ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノといった監督たちに継承され、今も映画史のなかに綿々と息づいている。

INFORMATION

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

監督:セルジオ・レオーネ
1984年 アメリカ・イタリア

WRITER PROFILE

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佐藤久理子 Kuriko Sato

パリ在住。編集者を経て、現在フリー・ジャーナリスト。映画をメインに、音楽、カルチャー全般で筆を振るう。Web映画コム、白水社の雑誌「ふらんす」で連載を手がける。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。

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