COLUMN

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Out of Tokyo

208:不在の所有
小崎哲哉
Date: May 08, 2009
宮永愛子 | REALTOKYO

『ART iT』23号の特集は「記憶のアート/消滅のアート」。その表紙に作品を掲載したアーティスト、宮永愛子が著しい進境を示している。昨年、釜山ビエンナーレ(Sea Art Festival)へ出展した後は、ブラジル人作家、ヴィック・ムニーズに気に入られてトーキョーワンダーサイト本郷でのグループ展に参加。年が明けると、第3回「shiseido art egg」に入選して個展開催、そして「shiseido art egg賞」を受賞。この春には国立新美術館の『アーティスト・ファイル2009 −現代の作家たち』にも選ばれ、出品作はポスターなど、宣伝美術のメインビジュアルにもなった。現在、昨年所属が決まったミヅマアートギャラリーで、商業ギャラリーでは初の個展『はるかの眠る舟』を開いている(5/23まで)。

 

素晴らしいのは、メディアとコンセプトは一貫していながら、すべてが新作で、常に新しい試みを行っている点だ。以前にも書いたとおり(「Out of Tokyo」167など)、宮永はサイトスペシフィックなインスタレーションを得意としている。その際に用いるメディアは様々だが、最も特徴的で独創的な素材はナフタリンである。靴や帽子や携帯電話などの型を取り、ナフタリンで原寸大のオブジェを作る。ガラスのケースに収めてライトボックスなどの上に載せ、熱によって気化するに任せる。衣装ダンスの中で防虫剤に使われるものと同じで、最終的には形が失われ、すべては無に帰す。まさしく消滅のアートである。

 

宮永愛子作品 | REALTOKYO
色-color of silence-(部分) 場所:国立新美術館
撮影:宮永愛子 写真提供:ミヅマアートギャラリー

「気化するに任せる」といっても、適当に放置しておくのではない。展覧会の期間に合わせて時間をコントロールしているから、すぐに消えるものもあれば、最後まで形を保つものもある。会期の終わりのころに、白いオブジェの中に隠されていて最初は見えなかった何かが現れたりもする。いずれの場合も、ガラスのケースが純白の結晶に覆われてゆく様が美しい。東洋的な、と言うべきか、「諸行無常」なんていう言葉が頭に浮かぶ。

 

宮永愛子作品 | REALTOKYO
色-color of silence-(部分) 場所:国立新美術館
撮影:宮永愛子 写真提供:ミヅマアートギャラリー

国立新美術館の展示は5月6日までで、僕は都合4回観に行った。初日はもちろん全オブジェがまっさらで、新入生のように硬く、ぎこちなげな顔をしている。それがだんだんに揮発してゆき、中日くらいには何となく世慣れた風情を見せるようになる。最終日には、あるものはわずかにやせ細っただけだが、あるものはほとんど原形を留めないまでになっていた。『ART iT』の表紙に使わせてもらった時計の作品などは、脚のほうから溶けてゆき、仰向けにひっくり返っていた。

 

宮永愛子作品 | REALTOKYO
色-color of silence-(部分) 場所:国立新美術館
撮影:宮永愛子 写真提供:ミヅマアートギャラリー

白いオブジェたちは、釜山では港町に立ち並ぶ魚屋から集めたという水槽に入れられていた。ワンダーサイトでは、型取りの型と隣り合わせに並べられていた。資生堂ギャラリー(「art egg」)では、フロアから天井にまで伸びる30本ほどの透明なチューブ内に、近未来の実験標本のように設置されていた。国立新美術館では、作家が京都の実家から運び込んだ十幾棹もの箪笥に収められ、その中でゆっくりと齢を重ねていた。堆積した時間に別の時間が加わって、密やかに笑い出したくなるような、だがもの悲しくもある感情が我々の中に芽生える。アウェーの釜山を除いて、どの展示も恐るべきほどに完成度の高いものだった。完璧主義の作家と、それに応えた設営スタッフの協働に拍手を贈りたい。

 

そして現在開催中のミヅマでの個展は、宮永にとって画期的なものとなった。作品が初めて売れたのである。

 

冒頭に書いたように、宮永の所属ギャラリーが決まったのは昨年のことだ。そのとき、業界人の多くは、ミヅマアートギャラリーのオーナー、三潴末雄の「蛮勇」に驚いたものだ。いつかは消えてしまうナフタリンのオブジェを、いったい誰が買うというのか? 宮永自身、あるギャラリストと話していたときに「で、君の売り物は何なの?」と聞かれて、落ち込んだことがあるという。

 

宮永が今回作ったのは、ナフタリンでできた白い小さな椅子や鍵を透明な樹脂の中に閉じこめた作品だ。といっても、宮永が「消滅するアート」の作家としての節を曲げたわけではない。樹脂には小さな穴(スリット)が空けられていて、ナフタリンの成分が徐々にそこから揮発してゆき、椅子や鍵はやはり消滅する運命にある。ただし、これまでの作品とは違って、完全に気化した後、椅子や鍵の形が痕跡として樹脂の中に残る。「たしかにそこにあったこと」が「もうそこにはないこと」によって、すなわち「存在」の事実が「不在」によって証し立てられるという逆説的(あるいは補完的)関係。宮永は、消滅と不在を可視化することに成功した。さらに、それを所有させることに成功したのだ。

 

宮永愛子作品 | REALTOKYO
はるかの眠る舟 -鍵- 写真提供:ミヅマアートギャラリー

僕は滅多にアート作品を買わないのだが、値段が手頃だったこともあって、小品をふたつ購入した。不在の可視化と所有というと写真が想い起こされるけれど、写真は定義上、本当の不在を写すことはできない。樹脂の中のナフタリンの痕跡とは逆に、「不在」の事実が像の「存在」によって強調されるのだ。つまり写真が「あの人は(ものは、場所は)もういない(ない)」ということを示すのに対して、樹脂の中の痕跡は「あのものはいまはもうない」という事実とともに、「でもあのものは、かつては確かにあった」ということを強く示唆する。移ろいゆく無常こそが「真」だとするなら、宮永愛子の作品こそが「写真」の名に値するのではないか。そんな妄想が浮かんできた。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。