COLUMN

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Out of Tokyo

209:Chim↑Pomの知性と稚性
小崎哲哉
Date: June 3, 2009

高円寺の無人島プロダクションが、2日間だけ「ギャラリー・ヴァギナ」と名前を変えた。あんまりなネーミングである。展覧会名はChim↑Pom『捨てられたちんぽ』で、これもあんまりというほかはない。そして展示内容は……さらにあんまりなものだった。

 

3畳ほどの狭い無人島プロダクション、もとい、ギャラリー・ヴァギナの壁が真っ白に塗られている。一見すると空っぽだが、目をこらすと正面の壁に小さな穴が開いている。穴からは不思議な物体がぽろりと垂れていて、じっと見ているとときどき動く。ギャラリー内の誰もが照れ隠しの、あるいは困惑の笑みを浮かべている。スタッフが笑いをこらえながら「作品には手を触れないで下さい」と言い、それを機に観客のひとりがふっと息を吹きかける。「作品」はその瞬間、ぴくっと動いてさらに笑いを誘う……。

 

いやー、ばかばかしい。ばかばかしすぎて脱力するしかない。隣の部屋にはSMAPのメンバー全員の名を記した表札が展示されていて、「草なぎくん芸能活動再開記念」ということだそうだが、そんなことどうでもよくなるくらいばかばかしい。「作品」として肉体の一部を提供したメンバーの水野俊紀は、1日9時間以上、壁の裏側で不自然な格好のまま立ちつくしていたわけで、その自虐的な忍耐力には敬意を表し……いや、そんな気も失せるほどばかばかしい。理屈皆無の、あまりにあっけらかんとしたナンセンス!

 

3月に、裏原宿に新しくできたスペース「Vacant」で開催されたChim↑Pomの『広島!』は、僕にはいささか釈然としない展覧会だった。広島で中止になった個展(「Out of Tokyo 198」参照)と同内容だというので期待して観に行ったのだが、肩すかしを食らったような思いがした。チャーターした飛行機で広島上空に「ピカッ」の3文字を描いた様を撮影したビデオが、行為の記録にしか見えない。全体の一部を成すという「リアル千羽鶴」や、「平和」「愛」「地球に幸あれ」などのあまりにPCなメッセージが、映像と有機的に結びついているとは思えなかった。リーダーの卯城竜太は以前「飛行機雲自体は作品ではなく、後日制作する映像の素材に過ぎない」と述べていたけれど、「飛行機雲自体が作品」とするほうがよほどわかりやすい。行為も、行為の結果として描かれ、描かれた端から青空に溶けゆくように消えてゆく飛行機雲も、誤解を恐れずに言えば、鮮やかなまでに美しく心を打つ。その美しさが、作家の意図した「平和ボケした現実とのギャップ」を鋭く示している。それだけでよかったのに、中途半端に余計な夾雑物が興を殺いでいる。僕はそう思った。

 

それに比べると『捨てられたちんぽ』は、何とすっきりしていることだろう。ホワイトキューブにおける文脈主義を利用しつつも嘲笑い……などと書くことが無粋に思えるほどに純粋に下らない。アートの、あるいは表現行為の原点は、こうした単純な下らなさにあるのではないか。我が国におけるパフォーマーの嚆矢とも言えるアメノウズメが、アマテラスが天の岩戸に隠れて世界が真っ暗闇になったとき、「胸乳をかき出で裳緒を陰(ほと)に押し垂れ」(『古事記』)たという故事を思い出す。だがアメノウズメのストリップティーズには、太陽神たる女神を岩戸の外に出すという目的があった。Chim↑Pomにそれはない。

 

話を『広島!』に戻せば、「Vacant」での個展だけではなく、広島でのゲリラ的行為と、それに続く一連の騒動全体を「作品」と見ることも不可能ではない。と言うより、そのように見るほうがはるかに面白いし、はるかに筋が通ってくる。事前告知なしに交差点をテープなどで封鎖し、渋滞と大混乱を引き起こし、当然ながら警察に逮捕され、収監され、釈放されるまでの経緯をドキュメント化したイップ・ルービンの「作品」に、むしろ近かったんじゃないか。そう尋ねると卯城は「それはないですよ」と笑って否定したが、どうなんだろう。ちなみに6/12から、恵比寿のNADiff a/p/a/r/tで「基本的に同じ内容」(卯城)の『広島!!』展が開催される(6/18まで)。未見の方はお見逃しなきよう。

 

なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか | REALTOKYO

「騒動」の副産物(いや、むしろ主産物のひとつ?)たる書籍『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(Chim↑Pom・阿部謙一編/河出書房新社)には「Out of Tokyo 198」も収録されているが、作品の「完成」前に寄稿を依頼されたことに関して、何人かの書き手が不満を漏らしている。例えばアーティストの田中功起はこう綴る。「あくまでこの『騒動』をテーマにするという大義名分のもとに、この本にはできあがった作品を見ないで書かれたテキストが集められている。(中略)いわば後出しジャンケンであるから、作品に対する批評はなされようがない」。しかし、その書籍すら作品の一部だったとしたら……?

 

『捨てられたちんぽ』についてもうひとこと。すぐにロバート・メープルソープの「ポリエステルスーツの男」や、ダンス作品だが伊藤キムと白井剛が全裸で踊る『禁色』を連想したので、メンバーに聞いてみたのだが誰も「知らない」とのことだった。たぶん、フルチンパフォーマンスのダダカン(糸井貫二)や、女性器写真のアンリ・マッケローニや、テート・モダンにリアル排泄物を展示した平川典俊のことも知らないに違いない。

 

だから「やれやれ」と嘆くのではない。美術史への言及やアプロプリエーションは単純に概括できない行為である。先週、個展を終えた梅田哲也は「ドークボット系」(「Out of Tokyo 114」参照)とでも呼ぶべき作風で、未来派やティンゲリーや『事の次第』のフィッシュリ&ヴァイスを想わせるが、オオタファインアーツの大田秀則氏によれば「美術史的な関連は何もない」とのことだった。しかし作品は、視覚的にも聴覚的にも相当に面白い。

 

表現欲求と方法に時代を超えた普遍性があるのか。先行作家の影響(リチャード・ドーキンス言うところの「ミーム」)は間接的にも伝わりうると考えるべきか。あるいは単に、脱ぎたがる奴はどの時代にもいるということか。現代の若い表現者に関して興味は尽きない。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学客員教授も務める。趣味は料理。