5月19日
歌舞伎座で團菊祭を見る。午后の部。
『雨の五郎』で松緑がしっかりした踊りをしている。ちょっとびっくり。歌舞伎に限らず、技量や艶は簡単には良くならないものだから、この進化には驚き。一方、三津五郎はお父さんも得意にしていた『三ツ面子守』を楽しみにしていたのだが、踊りが巧すぎて作品の可笑しみがでていなかった。面白いものだ。松緑は『め組の喧嘩』でも粋な若衆の役を生き生きと演じていた。
これって元は八十助さんだったっけ? 記憶のなかでの比較は難しい。記憶は印象にかなわないからだ。お父さんとの比較も印象の比較、実際にはあやふやなものだ。
アーカイブの時代なので見ようと思えば見られる。印象も記憶も払拭して、事実のフィルムを見ることができる。iTunesやYouTubeで過去の作品を見たり比較したりすることが容易になった。頭脳の中の記憶や印象はどう変化していくのだろう。
5月20日
三浦悦子の人形はオブジェ感、身体感がまずこちらに入ってくる。でも人形は顔しか見られないという原理もある。他の人形作家が言う。「顔が全て」
『聖体礼儀』は、その身体感をナハトという空間全部に拡張した展示である。観客は人形の身体の中で三浦悦子の死に向う苦悩を共感する。あるいは拒否する。
人形は人と共振して売れる。人形の場合、商品というイメージから遠いので売り買いに関して「お迎え」という言葉を使ったりする。聖体礼儀が終わってカフェに人形を展示すると、人形がすっと売れていく。
顔が見えるように置いているから? 理由は分らない。印象によって共振が起きたり起きなかったりする様に僕には思える。
5月22日
短歌の最後の7・7の反復で、円環的に世界が閉じられる。それ自体がひとつの物語を内包することが可能だから、その中で自己模倣しながら作品を量産していけば、自己肯定の繰り返しになり、だんだん「私」という幻想を抱くようになる。いわば「私」という病にとりつかれてしまう——。田中未知の『寺山修司と生きて』には、そういうことが書いてある。
円環にある「私」を破ろうとすれば、定型から離れて街に出なくてはならない。
対峙する、向き合うという姿勢をとる。だから寺山修司は劇場という閉じられた円環から出ようとしたのだ。納得がいく。寺山は中心を空洞にしたまま、周辺に様々なトリックをばらまきながら生きていたから、なかなか論じるのが難しい。この本はその手がかりになる。
寺山修司が死んでからもう少しで四半世紀になる。そしてまた5月が巡ってくる。
『寺山修司と生きて』を読みながら久しぶりに寺山修司を考えた。
今は、それぞれが自分の世界、「私」を囲い込みながら世界と向き合うということになっていると思う。その世界はあくまでも「私」がチョイスした世界なのだ。限りなく「私」に近い。だから多面体である寺山修司の印象は、対する「私」の分だけ存在することになる。
田中未知の書いているシーンに僕も居た。しかしそこでピックアップされている事柄は僕の場合と異なる。たとえば三浦雅士と寺山について。僕は彼が寺山のトリック(『観客席』でのそれや、夜想の『アルトー』特集号での言述)に引っかかったりするのを印象深く覚えていたが、田中未知が見た寺山と三浦の関係は、そんな風ではなかった。
かくいう自分も「私」によって寺山修司と向き合っていたのだ。
■ パラボリカ・ビス展覧会情報
宮下マキ写真展 『short hope』
5月25日(金)〜6月18日(月)
http://www.2minus.com/
『夜想』最新号 特集「耽美」発売中! http://www.yaso-peyotl.com/
2minus - Studio Parabolica http://www.2minus.com/
寄稿家プロフィール
こんの・ゆういち/『夜想』編集長。25年続けたペヨトル工房と『夜想』を2000年に解散したが、2年間の休止を経て『夜想』を復刊、再び活動開始した。「ドール」特集以来、恋月姫、三浦悦子の人形展をプロデュースし続けている。
