野毛山動物園に行く夢をみた。レッサーパンダが死んだからだ。ここは開園以来、入場無料で続いてきた、いわゆる「いまどき」ではないが知る人ぞ知る動物園。無料だからということもないと思うが、あまり目玉になるような動物はおらず、大型の象やシロクマ、キリンなども、死んでしまうとしばらく補充されなくてケージだけが寂しくあるというのが現状だ。作家の磯崎道佳さんはそんな背景もふまえてか、この動物園で死んでしまった大型動物を、巨大ソファにもなる「ぞうきんぞう」や「ぞうきんしろくま」として生まれ変わらせ作品化している(地域の子供たちと一緒に、ぞうきんで動物を作るプロジェクト)。これらは2005年の横浜トリエンナーレと連動してBankARTが実施した『BankART Life』展のときにも出品してもらった。そんなちょっと寂しい、都市の中で忘れられている存在のような野毛山動物園の唯一(?)の人気者、レッサーパンダのモモタロウが倒れたというニュースには、一段ともの悲しい気持ちにさせられた。不幸見たさ、寂しさ見たさというとひんしゅくを買ってしまいそうだが、モモタロウのいなくなった動物園を訪ねてみたかったのだ。
動物園に行った理由はもうひとつあった。園長の竹内昌弘さんに会うためだ。竹内さんは昨年まで横浜市の緑政局にいて、緒賀道夫さんたちが提案した「藝術麦酒」プロジェクトを応援して下さった人だ。市の水源地である山梨県道志の水と横浜市産の麦を使ってビールをつくり、そのネーミングとラベルデザインのコンペを行なった。その際に、市内で長い年月栽培していなかった麦を、竹内さんが農家の人たちを口説いて作付けまでもっていってくれた。また『食と現代美術part2』展のときに出版した『美食同源』には、農業専用地区という横浜市独自の地産地消(地域生産地域消費)につながる都市農政についての論考もいただいている。今年度、野毛山動物園に異動されたおりには、わざわざBankARTまで挨拶にいらしてくれた。そんな竹内さんがどうされているかも気になって、野毛山の坂をゆっくり上ってみたのだ。
話はそれるが、以前自分はこの役所独特の「3年経つと異動」というシステムにどうも納得がいかなかった。いろいろ理由はあるにせよ、せっかく築いてきた人間関係や仕組みや共有経験を簡単に反古にするのはひどいものだと思っていた。でもこうしてBankARTの活動の縁で数年間横浜市とつきあってみると、このシステムはたんぽぽの種子のように、広く遠くへDNAを伝えることができるうまい仕組みであることが、だんだんわかってきた。確かにこれまで培ってきたことを失うことも事実だが、一方培ったものが他の場所で芽を出す仕組みでもあるのだ。それに、農政から動物園へとジャンプしたからといって、人間そのものの見方や性質が変わるわけではない。どこにいようとも竹内さんは竹内さんだ。普通につきあえばいいだけなのだ。話を戻すと、そんなこともあり、竹内さんに会いたくて園長室を訪ねた。
野毛山動物園の近くには、BankARTの『大野一雄フェスティバル』の関連プログラムで最近よくお世話になっている前川國男による名建築、神奈川県立青少年センターや、横浜の頭脳とも言える中央図書館がある。BankARTとは兄妹関係にあたるパフォーマンス系の施設で、相馬千秋ディレクター率いる「急な坂スタジオ」は、旧老松会館という結婚式場を転用して活発な活動を始めている。それから今年の秋、総合学習でBankARTを舞台に中学生9人が5日間熱心に職業体験してくれた老松中学もある。知る人ぞ知る、横浜の丘の上の豊かな文化ゾーンだ。
変わらない竹内さんと普通の話をして、平日はあまり人気(ひとけ)のない、いつもどおりの動物園をにやりとしながら後にして、野毛の赤い提灯街に下りていった。そんな横浜の夢をみた。
BankART 1929 http://www.bankart1929.com/
寄稿家プロフィール
いけだ・おさむ/1957年、大阪生まれ。BankART 1929(バンカート1929)代表、PHスタジオ代表。84年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。ヒルサイドギャラリー(代官山) ディレクターなどを経て、2004年から横浜市が推進する文化芸術創造プログラム「BankART 1929」に副代表として携わる。06年より現職。
