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PERFORMANCE

ハラサオリ「Da Dad Dada(ダダッドダダ)」
BUoY, 2018.3.30−4.1

Written by 乗越たかお|2018.4.22

photo by bozzo

東京とベルリンで活躍している(3月でベルリン芸大舞踊科を修了)ハラサオリ。本作は、1960年代にミュージカルダンサーとして活躍し、ほぼ会うことのないまま約25年を過ごした実父・原健と自らとの関係を主軸に構成された約一時間の「セルフドキュメント・パフォーマンス」である。
ハラはベルリン芸大入学のためドイツに旅立つ直前に公演『d/a/d』(2015年。共演・山川冬樹、小田朋美)を行った。父とはこれを機に再会し、関係を修復したという。筆者は車椅子でこの公演を見に来ていた原健氏に挨拶できたが、その数日後、急逝したのだった。ハラは『d/a/d』の直前に取材録音していた父との会話や様々な資料を再構成し、「不在」をテーマに本作を作った(2017年にドイツで初演)。

 

photo by bozzo

 

二つに分かれた客席はアクティングエリアを90度の角度で挟むように設置されており、13人の白い衣裳を着た若いダンサー達が先に座っている。ハラのみが黒い衣裳で、冒頭から床に倒れ込んでいる。
起き上がり、父のミュージカルダンサー時代の説明、死の間際にインタビューした会話が音声と字幕で流れる。父の出演映画『アスファルト・ガール』(1964)は、戦後の高度成長期にあった日本のミュージカルブームの波に乗った華やかなものだ。老いた父に、その頃の華やかなりし時代を聞く娘。映画や紅白歌合戦に出た話。娘が綺麗になったとしみじみ繰り返す父。「ドイツ人のボーイフレンドは?」「いないよそんなの」と、全体に和やかなトーンが続く。
だが、その予定調和は不意に破られるのだ。

 

photo by bozzo

 

舞台の一隅に楽屋のようなボックスが設えられていて、ハラは髪をなでつけながら、メイクを始めると、みるみる父の面影が宿っていく。マジックミラーになってるので客席からは丸見えで、さらには後ろから撮影している映像が壁に投影される。そこでハラは、冒頭の父との会話での自分のセリフを繰り返すのだ……ということは、あの会話、自分の部分はライブで当てていたのか? ただの再生音声ではない、ハラサオリの生の存在が作品全体にじわじわと浸透してくる。
さらにハラは不意に「良い娘」の殻を脱ぎ捨てて、父に語りかけ糾弾するような心情の吐露を始めるのだ。「あなたが光の中で踊っていたとき、私はいつも帰りを待ってた、舞台に上げられると私は『愛されている娘』を演じていた。私は影だった、母と二人で暮らしていた、学校で何と呼ばれていたか知ってる?……愛されなかった!」

自分自身を題材とする場合、最も難しいのは「語る自分」と「語られる自分」との距離感である。なぜなら観客にとって、全ては「他人事」だからだ。ありきたりな話なら退屈し、安直な「悲劇の主人公アピール」では客の気持ちは引いていく。じっさい日本のダンス作品で、本人の実人生をテーマとするものは、きわめて稀である。
しかしヨーロッパではけっこうある。ダンスとは単に動きの技術を見せるものではなく「舞台上に存在しているパフォーマー自身の存在」を問いかけるものだからだ。バングラデシュ系イギリス人であるアクラム・カーンが自らのアイデンティティについて語る『DESH』や、引退間際のパリ・オペラ座のスジェが自らのバレエ人生を振り返る『ヴェロニク・ドワノー』(演出ジェローム・ベル)など枚挙に暇がない。。
ハラはそのあたりの距離感は見事で、ヨーロッパの良い面をしっかり獲得していると思わせた。『アスファルト・ガール』の存在が、父を語る際に拘泥しない距離感を生んでおり、さらには「説明はされるが人格としては登場しない母親」も、父親との情緒的な関係性を必要最小限に押さえることに役立っている。だからこそ、リスクを負っての心情の吐露は、匕首(あいくち)のような鋭さを持って迫ってきたのだ。

共に暮らせなかった25年間、そして再会後の急死を考えると、むしろ「不在」こそが「日常」だったはずだ。にもかかわらず割り切れない何かが、逃れようもなく積み重なっていく。成長するにつれて父に似てくる顔、父と同じダンサーという道の選択、父方の「原」に改姓する決断……拒みつつも同じ轍(わだち)を歩んでいる姿が浮き彫りになってくるのだ。
さて重い心情の吐露から一転して、若く白い衣裳のダンサー達とともに『アスファルト・ガール』に出てくる明るい光のショウダンスが始まる。父の顔で父のダンスを踊るハラ。明るければ明るいほど影として生きてきたハラの半生が濃厚に立ちあがってくる。しかし父を取り巻いていた光の世界を象徴するように、白い衣装のダンサー達は一人二人と倒れていくのである。
冒頭は黒い影のように一人で床に伏していたハラが、最後には一人だけ舞台に立ちつくす。光と影は逆転し、そしてその両方を背負って生きていくのだという強い意志を感じさせる幕切れだった。
(データ 北千住アートセンターBUoY 3/30観劇)

 

 

『アスファルト・ガール』
 DVD¥2,800(税抜)
 発売・販売:KADOKAWA
 ©KADOKAWA 1964

 

 

 

INFORMATION

ハラサオリ 「Da Dad Dada (ダダッドダダ)」

2018年3月30日ー4月1日
BUoY

WRITER PROFILE

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乗越たかお Norikoshi Takao

作家・ヤサぐれ舞踊評論家。株式会社ジャパン・ダンス・プラグ代表。06年にNYジャパン・ソサエティの招聘で滞米研究。07年イタリア『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。現在は国内外の劇場・財団・フェスティバルのアドバイザー、審査員など活躍の場は広い。著書は『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社)、『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』(NTT出版)、『ダンス・バイブル』(河出書房新社)など多数。現在、月刊誌「ぶらあぼ」でコラム「誰も踊ってはならぬ」を好評連載中。

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