HOME > REVIEWS > PERFORMANCE
> シディ・ラルビ・シェルカウイ × マリア・パヘス『DUNAS—ドゥナス—』  Bunkmura オーチャードホール 、2018.3.29 – 31
PERFORMANCE

シディ・ラルビ・シェルカウイ × マリア・パヘス『DUNAS—ドゥナス—』 
Bunkmura オーチャードホール 、2018.3.29 – 31

Written by 乗越たかお|2018.5.30

©Hiroyuki Kawashima

 

シディ・ラルビ・シェルカウイは自らが数々の伝統舞踊(ときに武術とさえも)と踊る作品を一貫して創り続けている。本作はフラメンコの大スターにして、コンテンポラリー作品にも積極的なマリア・パヘスとのコラボレーションである。

まず冒頭が、息を呑むほどに美しい。タイトルは砂漠を意味するが、砂紋を思わせる美しいドレープを描く大きな黄金色の布に包まれた二人が左右から歩み寄り、半身同士の影が中央で1つになるのだ。

地を踏みならし地霊を召還するようなパヘスの強烈なフラメンコに対し、シェルカウイは時に合わせ、自らも歌う。強固な技術体系を持つ伝統舞踊を前にしても、シェルカウイは不思議な身体の在りようで、無理もなくイヤミもなく存在し続けるのが特異な才である。後半、シェルカウイはクタクタでフニャフニャな脱力した身体でパヘスの垂直に強いダンスと戯れるように踊るのだが、そんな絡み方があるのかと感心させられた。

 

©Hiroyuki Kawashima

 

シェルカウイはヨーロッパ生まれのモロッコ人だが、パンフレットによれば「シディ・ラルビ」という名前は「男のアラブ人」を意味するという。現在のスペインと呼ばれる地域での、イスラム教勢力とキリスト教勢力のぶんどり合いは800年くらい続いてきた。本作では、男/女、伝統/コンテンポラリー、そしてヨーロッパ、キリスト教、ジプシー(ロマ)、アラブ等々、多義多様な要素が展開されるが、それはそのままイベリア半島の歴史の複雑さを物語っているようだ。

 

©Hiroyuki Kawashima

 

が、それだけではない。

シェルカウイが、「下からライトを当ててリアルタイムに手で描いていく砂絵」を舞台の壁に大写しにするシーンがある。初めはスクリーン前に立つパヘスの身体から枝が伸びて大きな木に……という神話的な世界だった。しかしパヘスが外れ、砂絵だけになると、より自由に展開され、9・11の二つのタワーと飛行機も描かれる。それは爆発し、すぐに消し去られるのだった。

最後に二人は互いの身体を再び寄り添わせる。大きな布(砂)がかぶさってきて呑み込まれ、埋もれていくかのように布は平らかになる。実際の砂漠の下にも、数え切れないほどの街や文明、そして闘いの跡が吞まれているだろう。いま世界中で紛争を起こしている国々も、千年後には砂の下かもしれない。だからこそ舞台上で、ただ寄り添い魂を通わせる二人の姿の美しさが、ある種の尊さをもって立ちあがってくるのだった。

 

©Hiroyuki Kawashima

INFORMATION

シディ・ラルビ・シェルカウイ × マリア・パヘス 『DUNASードゥナスー』 2018.3.29-31

2018年3月28日 - 31日
Bunkamuraオーチャードホール

WRITER PROFILE

アバター画像
乗越たかお Norikoshi Takao

作家・ヤサぐれ舞踊評論家。株式会社ジャパン・ダンス・プラグ代表。06年にNYジャパン・ソサエティの招聘で滞米研究。07年イタリア『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。現在は国内外の劇場・財団・フェスティバルのアドバイザー、審査員など活躍の場は広い。著書は『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社)、『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』(NTT出版)、『ダンス・バイブル』(河出書房新社)など多数。現在、月刊誌「ぶらあぼ」でコラム「誰も踊ってはならぬ」を好評連載中。

関連タグ

ページトップへ