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OUT AND ABOUT

アート&メディア・ダイアローグ
アーツカウンシル東京
2021.3.6 – 7

Written by 深沢秀一|2021.4.22

© Arts Council Tokyo, 2021

 

2019年末に突如起こった新型コロナウイルスの感染爆発で、自然の圧倒的な力を世界中の人々が同時に体験することなった。人に会うことが禁忌となり、感染の危機に怯える日常が続く。これからの社会や、人類の未来に、不安が募る。これまでにない実感を伴って。

緊急事態宣言発令中の2021年3月に、アーツカウンシル東京主催のアート&メディア・ダイアローグが開催された。2日間にわたるイベントだ。初日のテーマは香港の民主化デモとタイの軍事政権に対する抗議運動であり、2日目は気候変動に代表される地球環境問題である。現在進行の世界的な問題はコロナだけではない。

「世界で起きている状況を知り、それに対峙するアートの視点から、未来の社会を考える。私たちには同じアジアのすぐそばで起きていることが見えているか。地球のエコロジーが見えているか。理解するには想像力が求められる。」イベント冒頭の主催者のメッセージは、自ら知っていこうと呼びかけている。

本イベントは2019年12月に開催された「アート&メディア・フォーラム」に続く第二弾である。タイトルはフォーラム(討論)からダイアローグ(対話)に変わった。より自由に言葉を交わし、話を続けるということか。企画は前回担当したキュレーターの山峰潤也に加え、編集者でキュレーターの塚田有那が参加し、コロナ禍で馴染みとなったオンライン形式で実施された。また、今回は両日ともに清水淳子によるグラフィック・レコーディングが行われ、流れる対話を描きとめて参照しながら、各日3時間に及ぶ熱のこもった議論が交わされた。

 

第1回「アジア型カルチュラル・レジスタンス」

1日目は、香港の民主化運動に詳しいアーティストのエリック・シウと、タイの民主化運動の現場を調査しているリサーチャーのアーティット・スリヤウォンクンのプレゼンテーションから始まった。続いて、メディア文化論の研究者である清水知子と、企画者の山峰、塚田を加えた計5名で議論がなされた。

 

 [香港の民主化運動]

Source: BE WATER by Hong Kongners

香港出身・東京在住のアーティストであるシウは、香港の民主化運動のネットアクティビズムについて報告した。2020年の抵抗運動は、2014年の雨傘運動の反省から、リーダー不在の活動体であったという。個々人の行動が、有機的につながる。アイデアが次々に実現し、共有される。そのような活動を可能としたインフラがデジタル・テクノロジーである。ライブストリーミング、フォーラム、アプリ、eコマース、ウェブサイト、音楽。使えるものはなんでも使われる。既存のサービスの利用だけでなくプラットフォームの自主開発もなされる。

民主化運動を支持する店舗での購買をサポートするアプリケーション Images collected by Eric Siu

そうして、市民参加による意思決定と透明化のプロセスをオンライン・プラットフォームで実現し、位置情報を共有するairdrop機能を使って集会を組織するなど、誰もが活動に参加しやすい環境が整えられた。クラウドファンディングで資金調達して世界の新聞社に一面広告を掲載し、プロテスト・アートの画像・映像・音楽を発信し、抗議デモ映像のライブ配信がなされるなど、情報発信によって世界との連携・連帯も強化された。

 

[タイの抗議運動]

photo by iLaw

2020年半ばに始まったタイの運動は、香港の運動の影響を受け、多くのことを参照している。スリヤウォンクンは、民主化運動を、歴史的な経緯も踏まえながら解説する。とりわけ特徴的なのは、画像やアイコンや音楽(ラップ)など、非言語のシンボルを使いこなすことである。抵抗運動の3つの要求は、三本指の敬礼で表明する。これは『ハンガー・ゲーム』という映画から引用している。日本のアニメ『とっとこハム太郎』をデモ行進の替え歌にし、『進撃の巨人』の流用ではタイの軍人は信頼できないと当てこする。また、軍事政権に対する抗議運動は王室批判にも広がった。そこではタイの歴史的・文化的シンボルも転用する。王室の音楽や王の発言もパロディやジョークにする。香港と同様、これらのシンボルは音や映像になってYouTubeなどで発信され、インターネット・ミームとして国内外に広められる。

タイの抵抗運動においては、ユーモアが極めて重要であることも語られた。ユーモアはまず、身を守るための安全策である。タイには不敬罪があり、王室の直接批判は禁止されている。加えて、王室を信奉する人々も多いため、無闇に刺激しない慎重さが求められる。また、ユーモアは民主化運動を楽しくする知恵でもある。政治の知識がない人々も参加できる仕組み作りの一環であるといえよう。

“バッド・スチューデント”による色とりどりなモブのステージで踊る恐竜たち(2020年11月21日スプリングニュースより)

 

 [ダイアローグ]

香港とタイの話では、いずれも具体的な事例が次々に紹介された。双方ともに「市民運動がテクノロジーを圧倒的な翻訳力と創造力で使いこなしている、自分のものにしている」(清水)、その様子をまざまざと知ることができた。

シウはジョエル・クゥォンと共に運動の追体験を世界に促すオンライン・サイト“BE WATER”を構築した。その結果、香港の民主化運動は、2020年のアルス・エレクトロニカのデジタル・コミュニティ部門で大賞を受賞している。この民主化運動が、テクノロジーを創造的に駆使することで作られたデジタル・コミュニティである、という評価には納得しかない。

民主化運動のありかたは、香港以前・以後に分かれるのだろう。過去の抵抗運動との違いとして、清水は2点指摘した。ひとつは、キャラクターやジェスチャーなどのシンボルが多用されること。過去の運動はスローガンが中心だった。そして、「楽しさ」と「安心・安全」が運動の戦略となること。正面衝突を避けて運動を継続する工夫もまた、今日的である。

アルス・エレクトロニカの2020年受賞での展覧会 Courtesy of OK Center, Linz

特に香港の市民運動でオンラインと実社会とを行き来し、重なり合っている様は、まるで80年代に目指された理想のネット社会が局所的に実現しているかのように錯覚する。『災害ユートピア』を思い出す。しかし、市民運動によるテクノロジーの活用は、災害時に限られるはずもない。

シビック・テックやSNSでつながる運動は、アジアだけでなく世界的に広まっているのではないか、という塚田の問いに対して、清水は、いまは集まるということの意味自体が変化しており、加えてコロナ禍において新しい方法の開発が加速しているのではないかと答えた。“BE WATER”、水になれ―ブルース・リーを引用した香港民主化運動の哲学―にならって、集まり方も融通無碍で変化自在だ。

そのことは、本イベントの最中に実際に証明された。きっかけは、視聴者として参加していた台湾のg0v(零時政府)のベス・リーが、特に予告なく対話に加わったことだった。そこで彼女が、香港とタイのために私達に何かできることはあるか、と質問した。それが引き金となって、香港、タイ、台湾で、運動の具体的な相談が交わされた。

登壇者(左上段から):山峰潤也、塚田有那、清水知子、グラフィックレコーディング、エリック・シウ、ベス・リー、アーティット・スリヤウォンクン © Arts Council Tokyo, 2021

台湾からは、香港にもg0vがあること、状況が危険であり、支援できていないことが報告される。香港からは、台湾に多くの人が移動しているので、新しい環境に慣れるよう受入先でのローカル・サポートをしてほしいとのリクエスト。タイからは、リーダー不在の意思決定プロセスについて質問がある。台湾から、リーダーはいらない、プロジェクト毎の担当者が進捗報告をオンラインで徹底すれば、透明性が担保される、それがコツだと回答がある。他、SNSの信頼性とオープンソースのツールについての情報交換などが行われた。

それぞれ、肩の力が抜けていて、無駄のない落ち着いた物言いで、短いやり取りで的確に質疑をこなしていく。リーが飛び入りした約5分間のオンライン会議は、民主化運動の緊張感が確かに感じられる、正に現場体験となった。

 

第2回「地球規模のエコロジーから再考する人間社会」

 2日目は、気候変動問題がテーマである。この問題の合意形成をテーマに展覧会を企画したキュレーターのマーティン・ギナール=テリンと、アート・マガジン『プレソラマガジン』の編集者ピーター・ステフェンセンがプレゼンテーションし、それに続いて、建築家の砂山太一、スペキュラティブ・デザイナーの川崎和也、アーティストの長谷川愛、そして企画者の山峰と塚田を加えた計7名で議論が行われた。

 

[2020年台北ビエンナーレ]

2020年台北ビエンナーレ Courtesy of Taipei Fine Arts Museum

ギナール=テリンは、哲学者のブルーノ・ラトゥールと協同企画した2020年の台北ビエンナーレを紹介した。コンセプトは「私とあなたは違う星に住んでいる」。気候変動、民主主義のポピュリズムの台頭、独裁政権の出現など、地球規模、世界規模の課題に対して、最大の課題は、議論の前提が共有できないことにある。対立や無関心でコミュニケーションの前提が決定的に乖離している現状を理解する仕掛けとして、台北ビエンナーレを寓話的に演出している。

 提示される様々な惑星には、現代を生きる人々の思想・信条が反映されている。いままで通り経済成長を続ける社会で生活をしたい人、問題から逃げたい人、壁に守られたい人、制限の中で暮らしていく中で同時に繁栄を享受したい人。展覧会は、異なる惑星の世界観を、空間を覆う巨大なインスタレーションにそれぞれ代表させて、価値観の差異を表現する。展覧会の鑑賞体験に加えてワークショップを開催し、観客同士が対話を通して互いの違いについて納得を深めていく。展覧会の延長として異なる惑星間を行き来する演出は、演劇のそれを思わせる。

 

[プレソラマガジン]

プレソラ・マガジン Courtesy of Plethora Magaizne

ステフェンセンは、自身が編集長を務める雑誌『プレソラマガジン』を紹介した。アートとサイエンスの両側面を合わせたこの出版物は、自然、科学、サイバネティックス、未来主義、などの視点を交差させて、未来と過去を行き来しながら、グローバルで普遍的なテーマを現在の目線で考えていく視野を提供する。超高精細な印刷と50cm✕70cmの大型の判型で、見る人を没入体験に誘う。

「身の回りのものをありのままに受け止めて、言語で、画像で、アートで、プリズムのように映し出し、どうしたら自然と寄り添いながら生きていけるのかを探る」ことが『プレソラマガジン』の目的だ。背景には、人類の知恵のアップデートを切実に求める彼の危機感がある。 

最新号である第10号のテーマはパンデミック。タイトルは「ティアー・マニア」(神々の怒り)。一方では、ウイルスの歴史をたどるように数世紀前の顕微鏡写真を掲載し、他方では神話・バベルの塔を特集する。同じ言語を共有していた人達が散り散りになり、何が真実なのかがバラバラになってしまう寓話の現代性を、過去に描かれた様々な塔の画像と考察のテキストで伝えていく。

 

 [ダイアローグ]

プレゼンテーションをしたギナール=テリンとステフェンセン、そして対話に参加した全員は、それぞれ制作を通して社会に体験を提供するクリエイターである。対話のテーマは、地球、世界、人類、文化から、創作の動機やプロセス、作品制作を通した実感と思考も含めて多岐に渡り、マクロとミクロ、世界と自分、自然と人間、他者とのコミュニケーションを行き来して活発に意見が交換された。その中で、繰り返し立ち戻って参照されたのは、エコロジーの概念であった。自然と人間の関係を考えるとき、ギナール=テリンが繰り返し強調したのは、エコロジーはもはやトピックのひとつではなく、生きる上で必要なインフラとなる基礎的な世界観である、という認識だ。

ただ、日本人の自然観からは、元よりそれは自明であるかもしれない。長谷川は、日本の宗教はいろいろな種類の考え方が混在し、渾然一体としているが、日本人にはその自覚がない、そのこと自体に驚いた、と言う。すべてに命が宿っている、という考え方で、生きていけることに、日本の良さを感じる、と。

欧米と日本の自然観と科学観の違いは、コロナウイルス・ワクチンの開発姿勢に顕著に現れた。ワクチン開発には全世界で7兆円、米国だけで2兆円超が費やされたと聞く。「ウイルスとの戦い」を現代のアポロ計画になぞらえ、オペレーション・ワープスピードと名付けておよそ半年で開発する。そのような発想は日本にはないだろう。

日本でワクチン摂取を歓迎する人が他国と比較して少ないのは、その自然観ゆえでもありそうだ。川崎はバイオアートの制作で菌を培養する経験を語った。それは作るというよりも育てる感覚であった、と。長谷川は、イルカを産み、サメを誘惑する自分を具体的にシミュレーションして、テクノロジーで実現する可能性を探る。両者ともに、自然と戦い、支配し、管理するのとは別の関係性の構築をめざしている。

さて、地球環境問題の解決には、前提の共有と合意形成のプロセスが重要だ。ギナール=テリンは、この困難なプロセスに日本で成功例があるか、日本人に尋ねた。日本が国際的な合意形成でイニシアチブを取る部分はあるか、という質問だ。回答として、塚田、長谷川、川崎が挙げたのは、アニメとマンガによる発信である。いずれもストーリーを伝える手法として日本独自の発展をしてきた。女性漫画家も多く、女性視点の物語が読まれてきた。その影響で、女性漫画家達の思想は現代の女性の人格形成に少なからぬ影響を及ぼしている。また、川崎は、クラフトマンシップ、日本の工芸の伝統を挙げた。

同時に、日本における議論文化の不在も指摘された。議論は相互理解のスキルである。砂山は、議論が苦手なのではなく、動機が希薄だからできないのであり、気候変動問題をはじめマクロな課題については「自分事化」の困難こそが課題だ、と言う。ギナール=テリンからは、わかり合えない相手と議論するための戦術として、「外交」が提案された。利害の一致を探るということだ。対話を促すために、異なる分野の交差点、つまりコミュニケーションのハブを作り続ける重要性も、山峰、ギナール=テリン、砂山によって改めて確認された。

環境問題を「自分事」にした実例としては、過去の市民運動が思い起こされる。60年代には市民運動が全世界的に展開された。そこでは、環境保護、反核と再生エネルギー、反戦、フェミニズム、公民権運動など、現代なされている問題提起の原型のほとんどが展開されていた。その原因として、行き過ぎた資本主義が挙げられ、反資本主義、反消費社会が唱えられた。この運動は、例えばグリーンピースと緑の党の設立につながる。権力の外部と内部の双方から変革を進めるこれらの団体は、運動の精神が通底している。ドイツでは緑の党の黎明期にヨーゼフ・ボイスが参加していた。

砂山は、近代主義が築き上げてきたグローバリズムが限界点を迎えたことは、50年前から指摘されてきたのではないか、と言う。同時期に、世界のエリートが集まったローマクラブも思い出される。その報告書では冒頭に人口増加と環境破壊の危機が指摘されていた。すると、現代の基盤をつくり、実際に行われた過去の抵抗活動の実体験が、いまの社会で共同体の記憶として言及されないことに大きな疑問を感じる。当時の体験者がいまも活躍しているはずだが、特に日本では全く話題にならない。日本でもドイツのようにフラワーチルドレン世代が政権の一翼を担っていたならば、世代間の意識格差や、政治におけるジェンダーや世代のバランスは、今ほど問題になっていただろうか。シウが進める香港の民主化運動のアーカイブ化や、同じ問題を抱えるアジア諸国と連帯するミルクティー同盟の取り組みを改めて貴重に思う。

対照的に、現代アートの活動では、いまも当時の精神が受け継がれていると感じる。本イベントが掲げたダイアローグ(対話)は、ボイスの活動の基盤である。人は誰もがアーティストであり、社会は創造的な彫刻であるとした彼は、あらゆる表現は政治的であるとの自覚から、活動の場を美術館から社会に開き、政治活動や環境運動から生活相談に至るまで、広く多様な社会の対話に参加した。社会にとってアートが重要なのは、その表現の力のみならず、自らの活動の必然性を追求する態度が、社会に気付きをもたらすということもあるだろう。

登壇者(左上段から):ピーター・ステフェンセン、マーティン・ギナール=テリン、塚田有那、川崎和也、砂山太一、山峰潤也、長谷川愛、グラフィックレコーディング © Arts Council Tokyo, 2021

 

■対話を続ける

2日間にわたる対話はとても充実しており、本当にさまざまなことを考えさせられた。オンラインの画面越しのミーティングにコロナ禍で慣れていることもあってか、対話はとても身近に感じられた。チャット欄を使った質疑もあり、視聴者と登壇者の垣根は感じられなかった。

香港とタイの民主化運動の現状報告は、なによりも報道では伝わらない現場の状況を生々しく実感させられた。気候変動をはじめさまざまなテーマを行き来した対話からは、受け身ではなく表現することを通して考えることが「自分事化」へのプロセスであることを確認させられた。また、アジアとヨーロッパの文化の違いについて、特にアジアの明るさとヨーロッパの内省の深さを感じさせられた。

1968年の運動から半世紀以上が経ち、現代では「地球を守る」と言わなくなった。全世界的に情報テクノロジーが浸透した。そして当時の運動の重要な参照点であったアジアは、いまでは自ら発信をしている。環境ビジネスやSDGsとは異なる人間の欲望との向き合い方や、哲学や科学が代表する知のドグマ化をほぐすヒントが、アジアのデジタル・コミュニティの抵抗の実践に感じられた。リーダーや戦略の立て方を問われて「それはいらない」と答えたリーの、どうやって説明したらいいものか、少し戸惑うような表情が印象に残る。

1日目のプレゼンテーション終了後に塚田が「では、私達は何をすべきなのか、と考えがち」であると言っていたが、実際にその通りだ。大きなテーマを前にすると、無力感も焦燥感も倦怠感もある。あるいは、気が大きくなる。本イベントは、自分で考えて行動するために、なによりも対話を続けよう、という呼びかけであったと思う。今後のダイアローグの展開にも期待しつつ、自分もあちこちで対話を続けていきたい。

 

INFORMATION

アート&メディア・ダイアローグ
第1回「アジア型カルチュラル・レジスタンス」
第2回「地球規模のエコロジーから再考する人間社会」

主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
場所:オンライン(Zoom ウェビナー)
企画:山峰潤也(一般財団法人東京アートアクセラレーション)、塚田有那(一般社団法人Whole Universe)
企画協力:清恵子
開催日時:第1回 3月6日18:00〜21:00、第2回 3月7日18:00〜21:00

第1回「アジア型カルチュラル・レジスタンス」
ゲストスピーカー:エリック・シウ(アーティスト/“Be Water”)アーティット・スリヤウォンクン(AI倫理、データガバナンス・リサーチャー/Thai Netizen Network)
ゲスト:清水知子(文化理論、メディア文化論/筑波大学人文社会系 准教授)
モデレーター:山峰潤也(キュレーター、一般財団法人東京アートアクセラレーション共同代表、ANB Tokyoディレクター) 塚田有那(編集者、キュレーター、一般社団法人Whole Universe代表理事)
グラフィックレコーダー:清水淳子

第2回「地球規模のエコロジーから再考する人間社会」
ゲストスピーカー:マーティン・ギナール=テリン(インデペンデント・キュレーター/Luma Foundation)、ピーター・ステフェンセン(編集長/PLETHORA MAGAZINE)
ゲスト:長谷川愛(アーティスト、デザイナー)、川崎和也(スペキュラティヴ・ファッションデザイナー、デザイン・リサーチャー、Synflux主宰)、砂山太一(建築家、アーティスト、sunayamastudio主宰)
モデレーター:山峰潤也(キュレーター、一般財団法人東京アートアクセラレーション共同代表、ANB Tokyoディレクター)、塚田有那(編集者、キュレーター、一般社団法人Whole Universe代表理事)
グラフィックレコーダー:清水淳子

WRITER PROFILE

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深沢秀一 Shuichi Fukazawa

Studio KIKIRIKI代表。官公庁・企業向けに展覧会やアーティスティック・リサーチを行う。ヨーロッパ、特にドイツにおける現代アートの公共性や、戦争体験と東西分断が要となっている現代ドイツの共同体の記憶のデザインを参照する。近年の企画に特別展『警視庁全職員が選んだ首都140年の十大事件』(警視庁、2014)、特別展『あさっての駅』(JR東日本、2019)。カールスルーエ・ユニバーシティー・オブ・アート・アンド・デザイン大学院課程修了(メディア・アート)。  

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