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PERFORMANCE

勅使川原三郎 アップデイトダンスシリーズ No.52「白痴」
KARAS APPARATUS 2018.6.7-15

Written by 岡見さえ|2018.9.26

(c) Akihito Abe

芸術としてのダンスの創造で、作品の抽象性と物語性、舞踊の技術と感情表現は相反する二極を成してきた。では、ムーヴメントと感情の月並な結びつきを拒否するヴィルチュオーゾのダンスは、いかにして物語を語り得るだろう?『白痴』は一つの答えを提出する。

創造の源泉はドストエフスキーの同名小説だが、この長大な群像劇を、勅使川原は主人公ムイシュキン公爵とナスターシャのデュオに還元した。美術も削ぎ落し、音楽と光が風景を作り出す。意識の混濁のごとく薄闇に光が明滅し、斜に構えて膝を曲げ、無表情で客席を見据える男が浮かぶ。微動だにせず、魂の無垢と過敏な感受性ゆえ、我欲渦巻く社交界で「白痴」と呼ばれるムイシュキンを、勅使川原は描き出す。やがて独特の鋭さと官能を放つ動きが、チャイコフスキーのワルツに広がる。ナスターシャを踊る佐東が登場する。真直ぐな身体は強い意思と高貴な印象を与えるが、デュエットが始まり、たわむ上半身や大きな腕の振り、旋回が、内面の嵐を伝える。追い続けても追いつかない奇妙で優美なロンドは、融け合わぬ二人の運命の予兆でもある。

(c) Akihito Abe

二人の踊り手は、その卓越した技術を本作で異なる位相に転移した。演じることも喜怒哀楽をなぞる身振りも排除し、呼吸を鍵とした身体内部と外部空間の関係性の探求から得た純粋なムーヴメントを相手や空間の気配に反応して発し、連繋することで、言葉以上に饒舌に二人は人物の自我のドラマを語る。ダンスによる愛する人、あるいは自らを疎外する社会との対話は、踊り手の身体を通して1868年のロシア帝都の物語を鮮やかに蘇らせ、当時と同様に物質主義が支配しエゴが渦巻く現代に重ねる。

(c) Akihito Abe

文学理論家ミハイル・バフチンは、状況のうねりのなかで登場人物の声や意識が響き合う“ポリフォニー”がドストエフスキー作品の本質と看破した。台詞も脚本も用いず、ダンスによって意識の下層の自我に実体を与え、架空の登場人物の内なる声のざわめきを現実のダンサーの身体に受肉させ、観客に差し出す勅使川原の『白痴』も、この作家の本質を見抜いた仕事なのだ。

INFORMATION

アップデイトダンスシリーズ No.52「白痴」

出演 演出 照明:勅使川原三郎
出演:佐東利穂子
会場:カラス・アパラタス/B2 ホール
日程:2018年6月7日〜15日

【パリ公演】 会場:シャイヨー国立劇場
日程:2018年9月27日〜10月5日
https://www.theatre-chaillot.fr/fr/saison-2018-2019/idiot

WRITER PROFILE

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岡見さえ Sae Okami

東京都出身。トゥールーズ・ミライユ(現ジャン・ジョレス)大学および上智大学にて博士号(文学)。2003年から『ダンスマガジン』(新書館)、産経新聞、朝日新聞、読売新聞などに舞踊評を執筆。日本ダンスフォーラムメンバー、2017年、2018年横浜ダンスコレクションコンペティションⅠ審査員。舞踊、文学関連のフランス語翻訳も手がけ、フランス語、フランス文学、舞踊史を慶應義塾大学他にて教えている。  

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