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EXHIBITION

藤井博個展「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」
Space 23℃、 2018.3.10 – 4.7

Written by 原万希子|2018.6.11

Hiroshi Fujii Meat, City, Street.
raw meat, city, street and etc. HD, 19min. (1972)

等々力の畑の残る住宅街にあるSpace 23℃は、故・榎倉康二氏夫人が自庭に建てた小さな白壁の新しいアートスペースだ。ここで開催された「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」は70年代から活動する藤井博の70‐90年代の作品4点で構成されたミニマルな展覧会である。それまで筆者はこの藤井博という作家を知らなかった。もの派全盛の70年代、数々の伝説を生んだ田村画廊で生肉と鉛を併置する作品で衝撃的デビューを果たし、もの派周辺の歴史検証に最も重要なイベントとして参照される「スペース戸塚 ’70 」で、榎倉康二・高山登と共に作品を発表していた「あの時代の」作家であることも今回初めて知った。
天井の高い不定形の会場には、天井からロープで吊るされた生肉の塊とひび割れた床の鏡のインスタレーション作品《無題》(1969年/2018年)、厚手の合板に直接色彩されチェーンソーのようなもので削り取られた絵画《無題》(1990年)、モニターには70年代に行ったパフォーマンス《肉・街・路》(1972年)のビデオ記録映像、そしてスペース戸塚‘70における《波動A》(1970年)の記録写真3枚が展示されていた。

藤井博《無題》生肉、ロープ、ビニール袋、ガラス板、床その他、サイズ可変 1969年/2018年

 この「忘れられたもの派作家」の展覧会を企画したのが、80年代生まれの2人の作家、高石晃と石井友人である。またこの展覧会にはプロローグがある。2015年、同じこの榎倉邸の庭で、まだこのギャラリーが建てられる前、高石、石井を含む5人が集まり「わたしの穴、美術の穴」という展覧会を行った。戦後日本の転換期であった70年代を描く村上春樹の文学における「穴」が指し示すものと、同じ時期多くの美術作家たちによって掘られた「穴」の意味を問い直すことにより、2010年代の彼ら自身のリアルな「穴」を検証しようという試みだった。筆者はこの展覧会を数年後に出版された記録集で知ったのだが、そこで中心的に検証されたのが前述のスペース戸塚 ’70であり、その検証後の課題が本展につながっていったことが、記録集に寄せた高石のテキストからうかがえる。

(左上から時計回りに)地主麻衣子 《Welcome Get out》、石井友人《At the Tama Hillside》、高石晃《two rooms and staircase》、榎倉冴香《At Shodoshima》
「わたしの穴 美術の穴」展より Space 23℃、2015

 高石と石井は、なぜ藤井博という作家を選び再考しようとしたのか。本展に寄せられたキューレーターたちの論考やウェブサイトからは、作家への共感と併せて、明らかに昨今の美術界の「もの派」の一部の作家への再評価の構造やマーケットの沸騰に対する疑問と、自らの手で藤井を再評価したいという意志が感じられる。彼らが藤井作品のどこに惹かれたのかという本質については、実際の展覧会と併せてて、ハードカバーの作品集「現代美術の外部性 藤井博作品・集1970-1991」(発行:藤井博、2006年)を見てさらに理解が深まった。2006年出版されたこの本は、ポストもの派世代の戸谷成雄を中心に、中西夏之、平井亮一、彦坂尚嘉ら寄稿者に加えて作家本人も興味深い論考を寄せているが、筆者が最も注目したのは、未発表作品を含む70年代当時の自省的なパフォーマンスを記録した写真の数々だ。
行為のプロセスを秒刻みで記録したこれらの白黒写真は、藤井と同時代にアメリカ西海岸で活躍し、1975年「奇跡を探す航海」に出たまま還らぬ人となったオランダ人アーティスト、バス・ヤン・アデルを思い起こさせる。屋根から落ちるなどの行為を綿密に記録して白黒写真に残したアデルは、彼が海に消えた数十年後、再び評価された。藤井やアデルが当時、おそらく一人でもしくはカメラマンと二人で記録していた時、何十年後の観客を意識していただろうか?両者に共通して感じるのは、行為を行うストイックさ、時代への懐疑性や抵抗感、ある種の諦め、しかし行為を記録し続けるという意思表示である。それが継承されてゆく確信すらそこには感じられる。

冊子「わたしの穴 美術の穴」(アダチデルタ、2016)より

 藤井は40年後、自分の子供よりもっと若い作家たちによって再発見された。アデルはすでにいないが、藤井は今ここにいる。若い作家とアートについて語り、あの年、戸塚でなぜ四角い大きな穴を掘ったのか、その穴は藤井にとってなんであったのか直に聞くこともできる。マーケットや制度の高みからではなく、下の世代の作家たちに再発見された藤井の作品は、70年代から今日まで、私たちを取り巻く社会やアートへの抵抗の有効性を維持し続けている。そのような意味でこの展覧会を目撃できたことがとても嬉しく、日本にアートの可能性を確信できた出来事であった。

INFORMATION

藤井博個展「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」

2018年3月10日—4月7日
Space 23℃
キューレーター:石井友人、高石晃

WRITER PROFILE

原万希子
原万希子 Makiko Hara

コンテンポラリーアートキューレーター 1967年東京生まれ、バンクーバー在住。コンコルディア大学美術学部美術史修了。2007年にバンクーバーの国際現代アジアアートセンター、Centre Aのチーフキュレーター就任を機にカナダに移住、2013年に独立。90年代よりカナダとアジアを繋ぐアートプロジェクトを数多く手がける。最近の主なアートプロジェクトは、Scotia Bank Nuit Blanche(トロント、2009)、鳥取藝術祭、AIR 475プロジェクト(米子市、2014-2016)、『仮想のコミュニティー・アジア』黄金町バザール2014(横浜、2014)、105本の菊の花、シンディー望月個展(若山美術館、東京、2016)、Rock Paper Scissors/石紙鋏、シンディー望月個展(米子市立美術館、鳥取県、2018)など。2017年春から秋田公立美術大学国際交流センター、アドバイザーに就任。

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