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横浜美術館 2018.7.14-9.24
EXHIBITION

モネ それからの100年
横浜美術館 2018.7.14-9.24

Written by 河添 剛|2018.8.3

提供:東京新聞

 
印象派の巨匠と呼ぶのも今更といった感じのクロード・モネを起点に、果たして何が新たに始まり、延長されうるというのか。モネ自身の作品にあらためて触れることを介してこの問いの周囲を言わば「逡巡すること」、しかも終わりなくそうし続けることが、他ならぬモネの、そしてモネ以後の芸術を刷新する体験となることを告げる本展は、モネの現代性といったいささか陳腐な常套句をしりぞけつつ(そうした言い方をしりぞけることそれ自体がすでに現代性の証にもなっているのだが)、計27作家たちによるグループ展として立ち現れる。
とはいえ、久方ぶりに間近で接するモネの作品群にはやはり興は尽きない。時とともに確実に推移する自然光を追跡したいがあまり執拗に筆致を重ねていったモネのあの高名な努力は、結果的に画面から輝きを喪失させ、下手をするとただの色彩の氾濫となり、油絵具を白濁させてしまう。これは印象主義のテーゼに自ら違背する失態に他ならなかった。だから彼は、積み藁であれ、睡蓮の浮かぶ池であれ、ロンドンの国会議事堂であれ、同一のモティーフに繰り返し取り組まざるを得なくなる。このことが彼にとって完結を知らない「連作」のやむにやまれぬ動機となった(形態に明晰なものがなく、ほとんど不均等なシルエットになっている風景画に描かれた太陽が、いずれも画面中央より必ずやや右側に配置されていることも、このことと無縁ではない)が、モネのヴィジョン自体がたとえばシュルレアリスムの絵画とは異なり、文学的空想力にあまりにも乏しいがゆえに退屈であるからこそ、それだけにいっそう純粋な視覚的対象として見られるべきであることが瞭然としてくる。モネの睡蓮を瞑想的と形容する人がいるが、しかし彼は芸術を神秘化させる道具としての主題には無関心だった(むしろ彼は「愛国的な」通俗的主題に固執していた)。丸筆を手にしたモネの、時にリズミックで無造作にも見える筆致は、絵画にとって今なお規範的なものである。

モーリス・ルイス《金色と緑色》
1958年 アクリル/キャンヴァス 237.5×352.0 cm 東京都現代美術館

 一方、モネから受けた霊感が深甚なものであったかどうかはさておき、本展でモネとともに観られるべきものとされたマーク・ロスコ、モーリス・ルイス、ロイ・リキテンスタイン、松本陽子、岡崎乾二郎らの諸作も興味深い。彼らもまた、自らの不可能な完成作という理念を前に、それぞれの仕方で執拗に「逡巡」し、あたかもそれを芸術にとって避けがたい宿命であるかのように寡黙に引き受けつつ「連作」を制作し続けるのだ。

INFORMATION

モネ それからの100年

横浜美術館
2018年7月14日— 9月24日

WRITER PROFILE

Tsuyoshi Kawasoe河添 剛
河添 剛 Tsuyoshi Kawasoe

慶応義塾大学文学部フランス文学科卒。美術・音楽評論家、画家、グラフィック・デザイナー、アート・コンサルタント。ユリシーズ同人。著書『シュザンヌ・ラフォンの場合』(ファランステール、1999年)、監修書『T・レックス・ファイル』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年)、『フリクション ザ・ブック』(ブルース・インターアクションズ、 2007年)、『アシッド・フォーク』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年)、他多数。 また、2017年はアンディ・ウォーホル/ジェラード・マランガのアートブック『Screen Tests / A Diary』の復刻とテキスト執筆に尽力した。

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