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PERFORMANCE

地点『山山』
KAAT 2018.6.6-16

Written by 小崎哲哉|2018.7.3

撮影:松見拓也

黒御影石に見える舞台は10×10mくらいだろうか。奥から手前へと大きく傾き、左右中央がV字型に凹んでいる。目一杯開いたラップトップを90度回転させ、何かに立てかけたような形状だ。役者たちは地下足袋を履き、藁のような素材の脚絆まで巻いているが、動くたびに急角度の舞台から滑り落ちそうではらはらする。安定するのは、天井にまで伸びる7本の角材のどれかにしがみつくか、傾斜した床に横たわるか突っ伏すかするときだけ。荒川修作+マドリン・ギンズの「養老天命反転地」のように危なっかしい。

 

撮影:松見拓也

 

登場人物は、安住の地を追われた「妻」「夫」「娘」「放蕩息子」、除染を行う「作業員」とロボットの「ブッシュ」、そして彼らに指示する「社員」の7名。台詞には「あの日」という言葉がちりばめられていて、7年前の大災厄が否応なく思い出される。不安定な黒い床は、大きく揺れた大地と、夥しい数の命を呑み込んだ海原、そして放射性物質による汚染を想起させる。主題は明快に「あの日からの日本」である。

 

撮影:松見拓也

 

差別、集団行動、スマートフォン、年功序列、既得権益、完全な服従とナショナリズム、ひきこもり、デフレ、介護、電車テトリス労働コンビニ真夜中帰宅寝る週末一日中寝る……。いずれも松原俊太郎の原作戯曲から引いてみた。「死ぬのはいつも他人」というマルセル・デュシャンの金言がさりげなく紛れ込ませてある一方、原作にない「東京オリンピック公式スポンサー」の名前が読み上げられる。「トカトントン」(太宰治)や「傘がない」(井上陽水)という言葉があったような気もするが、空耳だったかもしれない。

 

撮影:松見拓也

 

台詞はブザーのような耳障りな音と、サーチライトか非常灯のようなぐるぐる回る照明で何度も中断される。アンディ・ウォーホルの「Cow」と同じイエローとマゼンタの明かりが、格差社会における局所的バブルを示すかのようにけばけばしく照射されることもある。音が、光が、傾いた舞台面が、役者のアクロバティックな動きが、不可思議な抑揚を強調した発声が、最後まで観る者の神経を逆なでする。

 

観客の脳裏に刻み込まれるのは線的な物語などではない。別作品のレビューで用いた比喩をここでも使うなら、地点の芝居はコース料理ではなく鍋やスープに似ている。具材を食べた順序は忘れ去られ、終演後に残るのは「鍋を食べた」という漠たる幸福感と断片的な記憶ばかりだ。あの日からの日本の苦い食材を、リアリスティックに調理した傑作である。

 

 

INFORMATION

地点『山山』

作:松原俊太郎
演出:三浦基
主催:KAAT 神奈川芸術劇場

WRITER PROFILE

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小崎哲哉 Tetsuya Ozaki

1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALKYOTO』発行人兼編集長。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。同大学舞台芸術研究センター主任研究員。2000年から2016年までウェブマガジン『Realtokyo』発行人兼編集長。2002年、20世紀に人類が犯した愚行を集めた写真集『百年の愚行』を企画編集し、03年には和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊。13年にはあいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当し、14年に『続・百年の愚行』を執筆・編集した。18年3月に『現代アートとは何か』を河出書房新社より刊行。

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