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東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
KAAT 2018.6.30-7.8

Written by 高橋彩子|2018.8.11

@bozzo

 

井上ひさしによる劇『ロマンス』で、トルストイから“ドラマは主人公が出発点に立つところから始まるものなのに、君の芝居は主要人物が到着するところから始まって出発するところで終わる”と指摘されたチェーホフは、“「無」からこの世に到着し、再び「無」へ出発するのが人間だから、私の戯曲は到着で始まり出発で終わらなければならない”と返す。チェーホフの『かもめ』を翻案した『가모메 カルメギ』は、井上の、どこか能に通じるチェーホフ評を思い起こさせる。

本作はソン・ギウン脚本、多田淳之介演出で2013年、日韓の俳優によって韓国で初演され、14年の日本初演を経て今回、日本で再演された。タイトルは、「かもめ」のハングル語表記と、韓国語でかもめを意味する「カルメギ」のカタカナ表記。秀逸なのは、物語の舞台を、日本の植民地支配下にある1936〜38年の朝鮮北部・ヨナンに置き換えた点だ。ロシアの田舎からモスクワを見る眼差しは、外地から内地である日本の東京へ向けられた眼差しとなり、トリゴーリン=塚口を巡るトレープレフ=ギヒョクとアルカージナ=ヌンヒとニーナ=スニムの愛憎にもより複雑な感情が絡む。

©bozzo

 

基本的に、日本人俳優は日本人を、韓国人俳優は朝鮮人を演じるのだが、朝鮮人がしばしば日本語を話すのに対し、日本人が韓国語を話すことは稀だ。言うまでもなく、ここには植民地の現実が表れている。ポリーナの変形であるエギョンは、思いを寄せるドクトル姜=ドールンと、言語帝国主義とは無縁のエスペラント語を介して絆を結ぼうとするが、その思いは成就しない。

舞台は、両側から観客が挟む細長い空間。そこには、30年代から現代までの様々な道具や新聞が堆積している。俳優は舞台の端から現れ、もう片端へと消えていく。この流れが次第に加速するさまは、運命の歯車が回り始めたかのよう。唯一、塚口が外から出口に錠をかけ、流れをせき止める場面では、取り残された朝鮮の人々の前で、日本人の御手洗=メドヴェジェンコが朝鮮人の少年に旭日旗と猟銃を渡し、志願兵として送り出す。同化政策が強まる中、ギヒョクは自らの通俗性を嘲りながら服毒自殺し、他の登場人物も次々に死んでいく。誰もいなくなった舞台上の字幕には、1938年以降の日朝の出来事と年号が表示され、今度は現代の服装で現れた俳優たちが、2018年の表示を見届けて、再び去る。

 

©bozzo

 

随所で使われる、ドラマ「冬のソナタ」の主題歌やPerfume「Baby cruising Love」などの音楽が、悲劇に滑稽さと既視感を与えて効果的。しかし、何より印象深いのは、幾度も流れるラヴェル作曲「ボレロ」だろう。上昇し絶頂で果てるこの音楽が、現れては去る人々の姿と共に繰り返されることで、無常観が形成される。愚行で溢れる日朝の歴史は、今なお進行中。だからこそ、積み重ねられた歴史の上で、束の間の命を燃やす俳優一人ひとりが、かけがえのないものに見えてくるのだ。

 

INFORMATION

東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』

2018.6.30-7.8
KAAT

原作: アントン・チェーホフ『かもめ』
脚本・演出協力:ソン・ギウン
演出:多田淳之介

WRITER PROFILE

高橋彩子
高橋彩子 Ayako Takahashi

早稲田大学大学院文学研究科(演劇学・舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。現在、『シアターガイド』でオペラとバレエを紹介する「怪物達の殿堂」、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」(https://ontomo-mag.com/tag/mimi-kara-miru/)を連載中。第10回日本ダンス評論賞第一席。

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