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ミシェル・アザナヴィシウス監督『グッバイ・ゴダール!』
2018.7.13-

Written by 佐藤久理子|2018.6.15

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

映画か政治か、それが問題だ。
五月革命を背景にしたゴダールとヴィアゼムスキーの、可笑しくもせつないラブ・ストーリー

映画界でジャン=リュック・ゴダールほどアンタッチャブルな存在も珍しい。近年のカットアップ的な編集スタイルの作品はとくに難解で、誰にとっても理解しやすいものではないにも拘らず、誰もが尊敬してやまない監督。だから彼を題材にして映画を作るなどということは、よほど豪胆な監督でなければできないはずだが、そんな肝の据わった監督がミシェル・アザナヴィシウスである。なるほど、彼はこれまでにも、『アーティスト』でモノクロの無声映画をリバイバルさせたぐらいだから、不可能を可能にするチャレンジに惹かれるのかもしれない。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

もっとも、『グッバイ・ゴダール!』には原作がある。アンナ・カリーナと別れた後、ゴダールが1967年に再婚し、『中国女』と『ウィークエンド』に起用した女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーが、翌年彼と破局するに至った経緯を書いた「それからの彼女」だ。ヴィアゼムスキー自身、小説と謳っているように、あくまで彼女のフィルターが掛かっているが、アザナヴィシウスはこれを彼なりの解釈で映画化している。結果、本作はなんともウィットの効いたコメディになった。とくにこの監督らしい工夫は、ゴダール風の映像で遊び倒していること。カメラに向かって語りかけたり、パステル調の色彩で遊んだり、あるいはゴダール映画お馴染みのパンフォーカスを用いたり。たしかにゴダールのかつての映画は、快活でユーモアに富んでいたではないか、ということを思い出させてくれる。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

 もちろんゴダールの話であるから、辛辣なセリフや政治的な題材も含まれる。1968年、パリでは労働者と学生による、いわゆる五月革命が起こり、ストリートではデモ隊と治安部隊が衝突していた。この頃急速に共産主義に傾倒し始めたゴダールもヴィアゼムスキーとたびたびデモ隊に交わるものの、その都度混乱のさなか眼鏡を壊される羽目になる。ソルボンヌの学生たちの集会では、よせばいいのに挑発的なことを口走りののしられる。さらにカンヌ映画祭に乗り込んで、仲間のシネアストたちとともに映画祭を中止に追い込んだ帰り、南仏の優雅なヴィラにいるヴィアゼムスキーと友人たちを訪れた彼は、棘のある態度で彼らすべてを敵に回す。こうしたゴダールの、ある意味子供っぽくもある面と、アーティストとしては尊敬しながらもそんな彼の性格に幻滅していくヴィアゼムスキーとの関係を、アザナヴィシウスはユーモアとせつなさの入り混じった絶妙なバランス感覚で描く。

コダールがコメディの対象に!?と、怒ってはなるまい。この映画のなかの彼は逆説的に、なんとも人間的でチャーミングなのだから。ゴダールの口調をマスターし、無理なく彼になりきった俳優ルイ・ガレルの功績も大きい。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

INFORMATION

『グッバイ・ゴダール!』

監督:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ルイ・ガレル、ステイシー・マーティン、ベレニス・ベジョ他
2017年 / 108分 / フランス
2018年7月13日(金)、新宿ピカデリーほか全国順次公開

WRITER PROFILE

Kuriko Sato佐藤久理子
佐藤久理子 Kuriko Sato

パリ在住。編集者を経て、現在フリー・ジャーナリスト。映画をメインに、音楽、カルチャー全般で筆を振るう。Web映画コム、白水社の雑誌「ふらんす」で連載を手がける。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。

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