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PERFORMANCE

《ペレアスとメリザンド》
新国立劇場
2022.7.2 – 17

Written by 住吉智恵|2022.9.12

撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 

ドビュッシー唯一のオペラ《ペレアスとメリザンド》は、童話劇『青い鳥』で知られるベルギー象徴派の詩人・劇作家メーテルリンクの戯曲をほぼそのまま台本にした作品だ。本公演では英国の演出家ケイティ・ミッチェルが演出を手がけた。2016年のエクサンプロヴァンス音楽祭の初演では独自のラディカルなリアリズムとジェンダー観による大胆な解釈が話題を呼んだという。

 

撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 

静寂のなか、ウェディングドレスを着た女がホテルの寝室に入ってくる。いきなり鼻血を出して白いハンカチで鮮血を拭い、疲れ果てたように眠りに落ちるところから舞台は始まる。そこで初めて楽曲が滑りだし、女が見た夢想のなかで物語が展開する。この「夢落ち」の設定には賛否両論の批評が上がっているが、そうすんなりとはいかない、多角的な深読みをゆるす演出であると捉えた。

次の場面では、ホテルの壁やベッドは鬱蒼とした森の木立に半ば変容している。舞台は架空の国アルモンド。やや歳をくった王子ゴローは狩りの途中、泉のほとりで啜り泣く乙女メリザンドと出会い、彼女を連れ帰る。結婚した2人は父王の城に戻るが、メリザンドは若い異父弟ペレアスと惹かれ合うようになる。彼らの関係に気づいたゴローは嫉妬のあまり幼い息子に妻の寝室を覗かせ、遂に泉のほとりで不倫の現場を押さえると妻を殴り、ペレアスを殺害する。やがてメリザンドも女児を出産したのち息絶える。

 

撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 

原作は中世らしき時代の寓話だが、本作では現代劇の体で演じられた。自暴自棄になった女が1人で森の奥を彷徨ったり、いくら王子でも知らない男に誘われるままついていったり、家族に連絡もせず結婚したりと、唐突な行動は謎めいているが、実のところ、現代の社会に置き換えてもそれほど浮世離れした話ではないかもしれない。都市の雑踏やネットの森では、孤独やトラウマを抱えた若い女性の失踪や拉致は日常的に起きている。

風や水の音を微細に表現し、不穏な空気を暗示する象徴主義的な楽曲と共に、緻密につくり込まれた複雑な舞台装置の転換もまた時空の歪みや人間心理を浮き彫りにする。ドールハウスを思わせる箱型に区切られたステージはあたかも人形遊びをする子どもの手で開閉されるかのように切り替わる。冒頭のホテルの客室、王家の食堂、夫婦の寝室、水を抜かれた廃墟のプール、地下に続く螺旋階段など、すべての情景は質感や細部まで研ぎ澄まされた美意識に貫かれ、端正な陰影を冴え冴えとたたえていた。

 

撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 

宿命の女をめぐる記憶を軸に、時空を撹乱させる幻想譚のような演出は、アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバートで』やルイス・ブニュエル監督の一連のシュルレアリスム作品を彷彿させる。例えば、メリザンドが王家に嫁いでからの場面では、舞台上に常に2人のメリザンドが登場する。それは夢のなかでもう1人の自分に寄り添う視点でもあり、同時に、男性中心社会のなかで引き裂かれた女性の自意識を象徴する表現とも読み取れた。

物語のなかのメリザンドは男たちの性的な欲求や抑圧に翻弄され、父兄社会で主体性を持つことを諦めた女性に見える(夫、義弟、義父のほか、森に逃げ込む前の出来事も似たような状況が想像される)。だがクライマックスでは遂に自分の欲望を肯定してペレアスと結ばれる。この場面のポルノめいた演出ではやや悪意のあるユーモアでメリザンドの自我の爆発を見せた。押し殺してきた主体性をいきなり全開したせいで、夫に暴力を振るわれ、恋人を殺され、自身も死に至る……あまりにも悲劇的な女の一生。ただし本作に限っては、それはすべて夢のなかの人生なのだ。覚醒しているメリザンドは、婚礼のストレスで鼻血を出しながらも、自身の欲望や自由意志に従って行動することができる独立した女である。とすれば最後のシーンは「夢落ち」というよりむしろ「悪夢」。もしも生まれる場所や時間を間違えたらこんな悲惨な目に遭っていても不思議のない世の中なのだ、と悪夢から覚めてゾッとする場面ではないか。そう考えると「もしものコーナー」(©️ドリフ)のコントのようで笑えないこのメロドラマは、現代にも有効な怖しい寓話として生きてくる。

 

撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 

本作について演出家のミッチェルは「フェミニズムのレンズを通して、女性が囚われた牢獄のような世界を描く」ことを目指したと語っている。ドビュッシーの幻想的かつ不穏な音楽と、謎に満ちたロマンティックスリラーの展開は、現代のフェミニストの視線に穿たれた普遍的な主題をスタイリッシュに際立たせ、極上のドラマに仕上げた。

芸術文化の歴史を省みると、当時の社会規範に基づいて創作された名作の多くは男性中心の視点で描かれている。21世紀の実践的フェミニズムの恩恵を受け、覆われていた「膜」を剥がされた眼でそれらを観るとき、居心地の悪さや生理的な気持ち悪さ、滑稽さといった違和感を感じることがある。その感覚を「物わかり良くわきまえて」スルーしないことは、社会通念に変革が求められる現在、創作者や制作者にとって重要な姿勢だ。ラディカルな演出家のメスが入ることで、精神的・身体的な自立を実現しようともがく女性の姿を炙り出した本作は、2019年に同じく大野和士指揮で上演されたアレックス・オリエ演出の『トゥーランドット』の鮮烈なラストも思い起こさせた。都合のいい「夢落ち」の結末を超え、「悪夢からの目覚め」に慄く女性の寓話は未だ議論と改革を待ち望んでいる。

INFORMATION

ペレアスとメリザンド

公演期間:2022年7月2日 - 7月17日
会場:新国立劇場
作曲:クロード・アシル・ドビュッシー
指揮:大野和士
演出:ケイティ・ミッチェル

WRITER PROFILE

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住吉智恵 Chie Sumiyoshi

アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代よりアート・ジャーナリストとして活動。2003〜2015年、オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰を経て、現在、各所で現代美術とパフォーミングアーツの企画を手がける。2011〜2016年、横浜ダンスコレクション/コンペ2審査員。子育て世代のアーティストとオーディエンスを応援するプラットフォーム「ダンス保育園!! 実行委員会」代表。2017年、RealJapan実行委員会を発足。本サイトRealTokyoではコ・ディレクターを務める。http://www.traumaris.jp 写真:片山真理

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