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デヴィッド・エリオット著
『アートとトラウザーズ——現代アジア美術における伝統と近代性』
書評

Written by 山本浩貴|2021.9.10

 

現在、中国・広州にある紅専廠現代美術館(RMCA)のキュレーターを務めるデヴィッド・エリオットの新著にはいささか奇妙な書名が付けられている——『アートとトラウザーズ』。イギリス生まれのエリオットは文化史家、キュレーター、ライター、教育者といった多彩な顔を備え、英国のダラム大学とコートールド美術研究所で現代史や美術史を修めたのち、近現代アジア美術とソ連・ロシアのアヴァンギャルドの専門家としてオックスフォード近代美術館、ストックホルム近代美術館、森美術館、イスタンブール近代美術館などの館長を歴任した人物である。『アートとトラウザーズ』には、彼が1980年代後半から2010年代半ばの約30年間に執筆した、「現代アジア美術」に関するエッセイが収録されている。計33本のエッセイは3つのパート——「歴史(Histories)」、「物語(Stories)」、「移動(Migrations)」——に分類され、それぞれのパートに付けられたヘッドラインの英単語が複数形であることが示唆するように、明治期の日本、オスマン帝国からトルコ共和国への移行期、日本人アーティストの会田誠、1960年代にパキスタンからイギリスに渡ったラシード・アライーンなど、扱われている時期も対象もさまざまなそれらのエッセイでは、近現代アジアを中心的な舞台として展開された、芸術をめぐる重層的な「歴史」「物語」「移動」が語られる。各パートの冒頭には、エリオットが本書のために書き下ろしたイントロダクションが付される。それら3本のイントロダクションは、近代絵画、黎明期の記録写真、現代アートの作品などに登場するズボンの形態を参照しながら、人種やジェンダーの不均衡な権力関係を通じた植民地化の軌跡が反映された指標としてズボンに着目する、独立した服飾史の論考としても読み応えのある内容になっている。

「歴史(Histories)」と名づけられた1番目のパートでは、エリオットがキュレーションを手がけた展覧会や芸術祭に際して執筆された7本のテキストが収録されている。これらのテキストがカバーする時代や地域は非常に広範であり、それらの内容はどれも濃密である。このパートに収録された最初のテキスト「グローバルになる(Going Global)」には本書全体を貫くテーマが現れており、このエッセイはさながら、弱冠27歳にしてオックスフォード近代美術館の館長に就任したエリオットの成長譚のように読むことができる。彼は、展覧会のために同時代のインド美術をリサーチする過程で「少数の例外を除き、イギリス美術界、そしてそのマーケットは、とりわけ問題となっている文化が旧植民地のものであるとき、それが『周縁的(peripheral)』であるとみなすあらゆる形式の近代性に対して強い偏見を有する」(30頁)ことに気づかされたと書く。また、アジアに目を向け、戦後の日本美術について知見を深めるなかで、エリオットは、「あらゆる種類の日本美術は西洋によって『周縁的』、かつしばしば『独創性のない(derivative)』ものとされ、その近代性のナラティブから排除された」(36頁)という認識に至った。こうした認識は、彼を世界各地に偏在する「複数の近代性(multiple modernities)」の存在への関心へと導いた。こうした近代の複数性と芸術文化における西洋中心主義への自覚を念頭に置き、「帝国から民主主義への継続的な対話(A Continuous Dialogue from Empire to Democracy)」では、明治時代から大正時代にかけての日本とドイツの芸術、建築、文学、都市計画などの分野における大部分が見過ごされてきた相互影響関係を描出することが試みられ、「現代日本美術における天国と地獄のあいだ(Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art)」では、「カワイイ」という言葉の過度な使用に象徴される、「西洋では、そしてときに日本人の間でさえ一般的である、現代の日本文化を幼児的であるとみる見方(the infantilist view)」(83頁)への挑戦が試みられている。

2番目のパート「物語(Stories)」では、インド、インドネシア、タイ、フィリピン、韓国といったアジア各地から総勢18名の現代アーティスト——一部を挙げれば、KG・サブラマニャン(インド)、ヘリ・ドノ(インドネシア)、チャーチャイ・プイピア(タイ)、ロデル・タパヤ(フィリピン)、崔正化(チェ・ジョンファ)(韓国)など——の作品を論じたエッセイが収録されている。日本の作家としては、先述した会田誠に加えて、やなぎみわ、塩田千春、樫木知子が取り上げられている。いずれのエッセイも元々は展覧会カタログや作品集の寄稿文として独立に執筆されたものであるが、全体を通して読むと欧米とは異なるアジアの近代性とそれが芸術に与えた影響にまつわる注目に値する関連性が浮かび上がる。そうした関連性は、アジアの異なる国や地域の歴史的・地政学的な特性によって形成されたものである。たとえば、中国出身の2人の世界的アーティスト、徐氷(シュ・ビン)と宋冬(ソン・ドン)を主役に据えた2本のエッセイ——「伝統、表象、言語(Tradition, Representation and Language)」と「芸術、私の最後の希望(Art, My Last Hope)」——からは、中国共産党のリーダーであった毛沢東に主導された文化大革命(1966~76)の前後に中国で活動を開始したアーティストたちが、いかに芸術家としてのアイデンティティを確立していくうえでその政治的出来事の影響を被ったかがはっきりと読み取れる。しかし、世代の少し異なる、そしてパーソナリティーや生育環境の大きく異なる徐と宋の芸術作品において、文化大革命の逃れがたい影響が異なる仕方で表出していることはさらに興味深く、エリオットの分析はその共通点と相違点の双方を描き出している。

しかし、高度にグローバル化した世界のなかでは、「国家」——ベネディクト・アンダーソンの有名な表現を借りれば「想像の共同体」——という概念は、私たちの社会を取り巻くさまざまな現象を分析する枠組みとして、ますます不十分なものになりつつある。そのことを踏まえて、「移動(Migrations)」と題された3番目のパートにおいて、エリオットは国境線をまたいだトランスナショナルな動きを示す現代アーティストたちの作品や活動を追う。このパートで議論の俎上に載せられる7名のアーティストたち——蔡國強(ツァイ・グォチャン)、曾小俊(ヅォン・シャオジュン)、杉本博司、イケムラレイコ、ネザ・エキジ、ラシード・アライーン、バーティ・カー——は、いずれも「さまざまな理由で、[…](ときに一時的に)異なる大陸で暮らし、活動するために移動しており、避けがたく、このことは彼・彼女らがいかに世界を経験し、示すかに影響を与えてきた」(296頁)。たとえば、1935年にパキスタンで生まれたアライーンは、その地の閉鎖的な美術界から逃れるためにイギリスに移住した。だが、自由と解放の空気を求めて渡ったロンドンで彼が直面したのは、「第三世界」を含む非欧米諸国のアート、または黒人アーティストの作品を単に副次的な、劣ったものとしか認識しない、排他的な欧米中心主義に支配されたイギリス美術界の姿であった。本書所収のエッセイ「踊り手と炎(The Dancer and the Flame)」は、黒人文化や「第三世界」文化を論じた論考を収めた『ブラック・フェニックス』や『サード・テキスト』といったアカデミック・ジャーナルの創刊、あるいは1989年にイギリスで最初にイギリス系アフリカ人、カリブ人、アジア人のアーティストを紹介した「ほかの物語(The Other Story)」展のキュレーションなどを通して、いかにしてアライーンが「西洋の近代性の近視眼的なヨーロッパ中心主義(the myopic eurocentrism)」(345頁)と対決してきたかを記述する。

このように、本書『アートとトラウザーズ』を通してくっきりと浮かび上がってくるのは、アジア美術を叙述する「伝統と未来のあいだの独自の道のりをたどる近代性の異なる歴史的モデル」(24頁)の多様な諸相である。エリオットは、現代アジア美術に見られる多様な個性のかたち、それと近現代におけるヨーロッパとアジアのアーティストのあいだの(美術史家の富井玲子の表現を用いれば)「繋がり(コネクション)」や「響きあい(レゾナンス)」を探ることによって、西洋のモデルだけが唯一の規範的な近代性(Modernity)であるという考えに反論し、アジアにおいて複数の近代性(modernities)が発展したという事実を示してみせる。エリオットは、ヨーロッパで教育を受けた「一人の非アジア人」(13頁)という自身のポジショナリティをつねに確認しながら、『アートとトラウザーズ』に収められたエッセイ、およびイントロダクションを慎重に構成していることがそれらの文章から明白にうかがえる。そのような著作を受けて、ヨーロッパで教育を受けた「一人のアジア(日本)人」である私自身はどのような視座を新たに提示することができるだろうかと深く考えさせられた。すなわち、本書は、現代アジア美術に関心のある、あるいは何らかのかたちで携わるすべての読者に対して、各々の異なるポジショナリティから応答することを要求する本である。その意味において、デヴィッド・エリオットの新著『アートとトラウザーズ』は受動的に知識を吸収するのではなく、能動的に議論に参加することを促す。ゆえに、さまざまな仕方で、同書がアジアの現代アートにまつわる言説のさらなる発展に貢献することは間違いない。

INFORMATION

『アートとトラウザーズ——現代アジア美術における伝統と近代性』

Art and Trousers: Tradition and Modernity in Contemporary Asian Art
著者:デヴィッド・エリオット
寄稿:ヴィシャカ・デサイ
発行元:Artasiapacific
発行日:2021年9月20日
言語 ‏ : ‎ 英語
ISBN-10 ‏ : ‎ 0989688534
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0989688536

WRITER PROFILE

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山本浩貴 Hiroki Yamamoto

文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社、2019年)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(ラトガース大学出版、2020年)、『レイシズムを考える』(共和国、2021年)など。

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