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EXHIBITION

DOUBLE FANTASY – John & Yoko 
ソニーミュージック六本⽊ミュージアム 
2020.10.9 – 2021.1.11

Written by 関直子|2020.12.5

タイムラインの試み

 

数多くのインタビュー映像、そして草稿や作品で構成される「DOUBLE FANTASY – John & Yoko」展は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ自身の言葉やモノを核に活動を示す、実証的な試みである。鑑賞に2時間は要するその展示は、特定のジャンルあるいは一つのテーマで切り取るのではなく、幅広い活動領域での事実を提示することで、異なる世代の来場者を、半世紀前に遡る活動の再考へといざなう。

時系列で多声的な声を並置する、タイムラインの手法に基づく本展の構成は、個々に展開していた二人の活動の前後関係や協働の詳細はもちろんのこと、同時代の社会状況との関係の中で彼らの創造が進行したことを明らかにしてくれる。

 

オノ・ヨーコ『グレープフルーツ』(1964年)オノがレノンにプレゼントしたもの。中にはレノンの手書きのメモも残っている。©Yoko Ono

ジョン・レノン『デイリー・ハウル』(1955年)漫画や詩、笑い話を書き込んだレノン手作りの本 ©Yoko Ono

 

展覧会は1966年のオノの個展での二人の出会いから1980年までが中心を成すが、展示の冒頭でまず、オノもレノンも、10代のときからドローイングや演奏に親しみ、そして何よりも言葉が重要な表現手段となっていたことが示される。1952年のオノの『見えない花』は英文のテキストとイメージによって構成される挿絵本であり、翌年には楽譜の音符の替わりに言葉を用いることで、音楽の演奏と同じように、構想する人と、それを読みアクションをおこす人とによって構成される「インストラクション」という作品のあり方を提案している。それは、幼時より親しんだ音楽の考え方を、美術に援用したものだった。これら言葉による楽譜をまとめたオノの作品集『グレープフルーツ』発表と同じ1964年に、レノンも『絵本ジョン・レノン・センス』を出版しているが、本展ではこれに遡る在学時の、諧謔味のあるテキストとイラストを満載したノート『デイリー・ハウル』が目をひく。それゆえ、後にロンドンでオノの個展を訪れたレノンが、《天井の絵》に記されたYESという言葉の意味を受けとめ得たことを、偶然のことと言うのは躊躇されるのだ。

 

オノ・ヨーコ《天井の絵》、《釘を打つための絵》1966年 (インディカ画廊での展示の再現。) Photo: Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

 

この邂逅の後、オノから贈られた『グレープフルーツ』と『13日間のダンス・フェスティバル』という二つのインストラクションは、レノンの創作に深く構造的なインパクトをもたらし、「イマジン」(1971年)の詩が生まれたことは、レノン自身が語っている。この楽曲は発表から半世紀近くを経て共作者としてオノの名がクレジットされたのに対し、1969年に世界の12都市のビルボードなどで展開した《WAR IS OVER! IF YOU WANT IT》は、当時から二人の連名で発表されていた。これは、オノの「インストラクション」の考え方を、ギャラリーのような閉鎖的な場ではなく、都市空間に開く試みだったわけで、そこにはポピュラーミュジックでレノンが培ってきた社会への訴求という視座がもたらされている。広告媒体を使ったコンセプチュアルアートのかたちをとることによって、社会へのメッセージを連名で発表することができたのかもしれない。このように、言葉のちからを二人がそれぞれの活動の核に据えていたがゆえに、協働で活動をする場合も、言葉が紐帯となってより多彩な創造へと展開することになったと言えるだろう。出品されている、手書きの歌詞やインストラクションは、ホテルの便箋などを使っている場合もあり、どのような状況でそれらの言葉が生まれてきたのかが判る貴重なものである。

 

ジョン・レノン、オノ・ヨーコ《WAR IS OVER! IF YOU WANT IT》1969年ニューヨーク タイムズ・スクエア Photo Courtesy of Yoko Ono Lennon

 

オリジナルの草稿と並び、本展で注目されるのはインタビュー映像の数々だ。例えば、1967年のリッスン画廊での個展では、オノが出品作品について、物質を伴うものより鑑賞者の想像力を促すことを重視していることを語る様子が会場風景と共に記録されている。また、そのひと月前、リヴァプールのブルーコート芸術協会で撮影された映像には、オノ自身のイヴェントや、来場者が脚立から飛び降りる作品「FLY」の様子が残っている。

 

個展『半分の風』(リッソン画廊、ロンドン 1967年)で展示作品について語るオノ(映像提供 オノ・ヨーコ)

 

1969年の結婚後、記者会見やテレビに揃って出演する機会が増え、3月のウィーンでの会見では、二人が布の袋の中に入る作品、「バギズム」を行いながら記者からのインタビューを受けている。それは、カメラによる一方的な撮影を、レンズによるレイプとして取り上げ、協働で制作した映像作品「レイプ」のTV放映に際して行われたものであり、その中で、二人は袋に入ってしまえば、外見(人種や性別)などの視覚的な情報によってではなく、言葉のみによってコミュニケーションすることができるのだと説明している。また、1972年の「女は世界の奴隷か」の歌詞によって、奴隷という言葉の意味が変化したことについてレノンが語る様子は、会場でご覧いただくことをお勧めしたい。

 

ケイト・ミレットらによる嘆願の手紙などの資料  Photo: Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

「平和のためのベッド・イン」カナダ・モントリオール、クイーン・エリザベス・ホテル 1969年 Photo by Ivor Sharp. ©Yoko Ono

 

ベトナム戦争が泥沼化する1971年にアメリカに移り住んだ二人は、平和運動をはじめコンサートやインタビューを通して社会問題について積極的な発信を続けたため、その影響力に対する危惧などもあり、1972年に国外退去命令が出た。二人を支援するため、文化活動にも熱心に取り組んだニューヨークのリンゼイ市長や、女性運動の担い手としても知られるアーティストのケイト・ミレットなどによる嘆願の手紙は、同時代の多くの人々の声として、本展では特別に重要な意味をもっている。二人の様々な活動(例えば国境のない世界を提案するヌートピア宣言)は大統領選前後の同時代の状況へのアクションとして捉えることを促すのである。そしてまた、二人の活動の場所、例えば2度目のベッドインが行われたフランス語圏(ケベック州)のモントリオールは当時、独自の外交や環境政策を進めていたのであり、米国を相対化する視点をもたらしてくれるのである。

 

見つめ合うジョンとヨーコの眼鏡  Photo: Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

 

手書きのテキストや映像と共に展示室に点在する、眼鏡や抱っこ紐など身に纏ったもの、愛用の楽器や日本語練習帳は、穏やかに続くはずだった日常が暴力によって途絶されたこと、さらに不在の意味を突きつけてくる。そして会場の最後では、オノの発案により、各国から贈られた木々が植樹されたセントラル・パークのストロベリー・フィールズの完成までのプロセスが紹介されている。公園の中のこの一角は、多様な人びとがコミュニケートするための場であり、円形のモザイクにはIMAGINEと記されている。展示室のモザイクの上でも、言葉を核とした多岐にわたる二人の活動について、しばし想像してみることはできるはずだ。

 

NYセントラル・パークのストロベリー・フィールズにある「イマジン・モザイク」の再現 Photo: Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

 

 

INFORMATION

DOUBLE FANTASY - John & Yoko

会期:2020年10⽉9 ⽇ - 2021 年1 ⽉11 ⽇(休館日:12月31日、1月1日)
開館時間:[日~木] 10時~18時 [金・土・1/11] 10時~20時 (入館は閉館の30分前まで)
会場:ソニーミュージック六本⽊ミュージアム
主催:株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント / 株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ

WRITER PROFILE

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関直子 Naoko Seki

早稲田大学文学学術院教授。東京都現代美術館学芸員として執筆した同館の展覧会図録に、桂ゆき、オノ・ヨーコ、磯辺行久、菅木志雄の個展、テーマ展として『水辺のモダン』、『東京府美術館の時代』、『百年の編み手たち—流動する日本の近現代美術』、『ドローイングの可能性』のほか、共著に『展示の政治学』(水声社)、『ミュージアムの憂鬱』(水声社)、YOKO ONO: THE SKY IS ALWAYS CLEAR(Moscow Museum of Modern Art)などがある。

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