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EXHIBITION

梅津庸一キュレーション展「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」
三越コンテンポラリーギャラリー  2020.6.10 – 6.29

Written by 藤原えりみ|2020.9.25

 

日本橋三越は、1904年の「尾形光琳遺品展」開催以来、百貨店による美術品販売を牽引してきた老舗百貨店だ。美術部を創設した1907年から日本の近代美術と歩みを共にしてきた三越の美術画廊フロアに、今年の3月、「現代美術」に特化した三越コンテンポラリーギャラリーがオープンし、6月には日本の近現代美術史を編み直す「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター展」が開催された。キュレーターは、美術教育のあり方を問う「パープルーム予備校」とギャラリーを運営するアーティストの梅津庸一。岡倉天心に始まる日本近代美術史が、プロフェッショナルの画家・彫刻家、愛好家、美術史家に特化された狭いクラスター内で生産・享受される「現代美術」を生む遠因となっているのではないか、という梅津の疑念から企画された展覧会である。

プロフェッショナルとアマチュア画家、絵画・彫刻・工芸等々のジャンルの境界を取り外し、横山大観からパープルームに所属する若手アーティストまで、梅津が読み込んだ作品相互の共振関係を提案する展示内容だった。花粉の伝播のように目に見えないその共振関係は、絵の具の物質性とキャンバスという支持体を通して受け止められ、絵画として生成するのではないかという問いをはらむPart1「瘴気とフィルター」から始まり、「視線のエネルギー。見る・見られる。」「ダークファンタジー」「景色の良い部屋」「不定形の炎症」の5つのセクションで構成される。観客は梅津が周到に設えた導線に従って展示空間を歩きながら、梅津自身を含め39作家による64作品を追っていくことになる。

 

 

ギャラリーに入ると、受付カウンターの上に掲げられた緑の旗に気づく。そこには「聡明なあなたの紡ぐ美術史を阻害するお仕事」という文章が。「聡明なあなた」というフレーズはきわめてアイロニカルな響きを放つ。なぜなら、この展覧会そのものが「聡明な」梅津によって企てられた「美術史の再編成」に他ならないからだ。「内なる美術家と内なるキュレーターとの間で執り行われる密輸と交渉。この二重性については留意しておく必要があるだろう」というステイトメントに現れているように、当然のことながら梅津はこの相剋に気づいている。だが、「それを認識してもなお、日本の近現代美術史の再編成を試みざるを得ない」という切迫感が伝わってくる展示内容であった。

切迫感の潜む展示であるとはいえ、会場のあちこちに漂うユーモアのセンスに何度も笑いを誘われた。たとえば、Part1に掲げられた西洋近代美術の流れを示すチャート「今日の絵画」のパネル。美術雑誌の月刊『アトリエ』1953年10月号からの転載だが、シュルレアリスムがクレーに、フォーヴィスムがルオーとカンディンスキーに影響を与えた??? しかも、これはニューヨーク近代美術館の初代館長アルフレッド・バーJr.によるチャートだというのだから、時代によって作品の評価軸も系譜の読み込みもいかに異なるものなのかと、思わず吹き出してしまった。

さらに「ダークファンタジー」のセクションでは、若い頃にゴーギャンの影響を強く受けた日本画家の高山辰雄作品と、真珠湾攻撃で戦死した梅津の祖父の弟が搭乗していた航空母艦加賀や南国のパーム椰子を造形化した梅津の陶芸作品が対比され、近代先進諸国が夢見た「南国幻想」の闇の側面が示唆される。同じコーナーに何本もの大根を背負った坂本繁二郎の馬の素描が展示されているのだが、それやこれやの並びで見ると大根が翼のように見えてきて「お前ペガサスか??」とここでも思わずニヤリ。

次の「景色の良い部屋」は息抜き空間であるかのように笑える展示がいくつも。全てには言及できないが、横山大観の富士山の絵に描かれた鳥たちを迎え入れるかのように、山本桂輔の『鳥とお友達』という鳥小屋を備えた立体作品が配置され、さらに大観作品の手前に、現代住宅の工法であるツーバイフォーに倣って梅津が制作したごく小さい陶芸作品「密室」があり、「密室」なのにその小さな窓から大観の富士山を見ることができるという凝った仕掛け。

 

 

第二次世界大戦後に日本に影響を与えたアンフォルメルの系譜を辿る最後のセクション「不定形の炎症」では、かつて三越の美術画廊で展示された長谷川利行の具象と抽象を往還するような『海』や、コンセプチュアル・アーティスト松澤宥が生前から発表を禁じていた初期の身体性が滲み出すような情念的な素描が衝撃的だった。それらと若手アーティストや陶芸作家作品が等価のものとして展示される。この混在の間を紡ぐ見えない赤い糸を感知するためには、観客にはかなりのリテラシーが要求されるだろう。その危うさもまた、本展の大きな魅力である。

展覧会タイトルの「フル・フロンタル」は、近代日本美術が影響を受けてきた西洋美術との呼応を示す梅津自身の作品に由来する。Part1に展示されている黒田清輝の『智・感・情』に基づいて自らの裸体自画像を描いた作品のタイトルだ(今回は5点だが、最終的には11点になる予定)。西欧的で理想的な女性裸体表現を日本人の身体に転換して成就しようとする黒田の試みを、梅津はあえて自らの男性裸体で引き受ける。梅津は、黒田作品と同じ年に制作されたスイスの画家ホドラーの寓意画『昼』に基づく『昼–空虚な祝祭と内なる共同体について』においても自らの裸体を曝け出し、近代絵画における身体性とはという問いを再考しつつ、絵画を構成する要素(点・線・面、絵の具などの画材のマティエール、支持体の物質性等々)の原点に遡り、再構築しようとしているかのようだ。

美術史研究は確かに権威となりうるかもしれないが、その一方で個々の作家や作品の背後にある多種多様な背景を読み直すことを通して、個別の時代や作品の読み解きを促す営みでもあるのだから、梅津自身の試みもまたその一環であることは確かなのだ。それなのに、あえて「聡明なあなたの〜」とは。常に会場に詰め、訪れる観客に個々の作品の解説を熱心にしていた梅津だが、観客のリテラシーが必要とされる展示ならば、この一方的なフレーズ(逆転した意味で「権威的な」)はいかがなものかと。その果敢な試みを十分に堪能した上で、愛をもって、いささかの苦言を呈しておきたい。

 

 

ところで、筆者が展覧会を訪れた2日後、隣の美術画廊で個展開催中であった日本美術院所属の東京藝術大学准教授の日本画家・吉村誠司氏が「フル・フロンタル展」に足を運んだ。だが、展示作品の解説をしていた出品作家に対する人種差別的な発言および若者&女性差別的な発言があり、問題視したパープルームはTwitter上に吉村氏の行状を投稿。これに応じる形で同時期に三越と同グループの伊勢丹の館内で作品展示していたHou Xo Queも自らの出自にも関わる差別発言として、公開質問状を三越伊勢丹に提出した(1)。

現代美術と現代画壇美術を同等に扱う商業ギャラリーはほとんどなく、美術館の企画展においても「現代美術界」と「現代画壇界」がクロスすることはない。この梅津の企画展が銀座か青山の現代美術ギャラリーで開催されていたならば、このような事態は起こり得なかっただろう。歴史認識においても世界情勢認識においても共通項を持たない二者の遭遇と衝突。しかも、「日本の近現代史再考」を図る若手アーティストと、近代日本美術の形成に深く関与してきた日本画壇に属する画家という対立構図には、日本の近現代美術史を通して形成されてきた「美術というフィールド内の文化的断絶」が透けて見える。

三越という百貨店だからこそ起きた歴史的「事件」ではあるのだが、今回の出来事がこうした断絶を解消するとは思えない。「中国人と喋ってるみたいだ」「20歳そこそこの小娘に絵がわかるはずがない」、さらには「膠と顔料を使えば日本画だ」と宣言して憚らない、歴史的認識も現状のジェンダーギャップ認識も欠如している教官の指導を受ける東京藝術大学の日本画科の学生たちが、こうした無知と偏見にまみれた歴史的見解を延々と再生産していくのだとしたら……。

だからこそ、美術に関わる主体である作り手も受け手もコレクターも展覧会企画者もギャラリストも、いかに歴史を読み直し、自らのポジショニングを更新し続けられるのか、今まで以上に問われることになるだろう。100年以上にわたる日本の近現代美術史に思いを馳せつつ、怒りと切なさが爆発的に立ち上がる。こんな稀有な体験をさせてくれた展覧会に、改めて「Thanks」と言いたい。

 付記 (1)Hou Xo Queの公開質問状と三越伊勢丹グループの回答:https://note.com/quehouxo/n/n29efc380ede2

 

INFORMATION

梅津庸一キュレーション展「「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」

会場:三越コンテンポラリーギャラリー
会期:2020年6月10日 - 6月29日

WRITER PROFILE

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藤原えりみ Erimi Fujihara

美術ジャーナリスト。東京芸術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・東京藝術大学・國學院大学非常勤講師。著書『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。共著に『西洋美術館』『週刊美術館』(小学館)、『ヌードの美術史』(美術出版社)、『現代アートがわかる本』(洋泉社)など。訳書に、C・グルー『都市空間の芸術』(鹿島出版会)、M・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(大月書店)、C・フリーランド『でも、これがアートなの?』(ブリュッケ)など。

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