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原美術館 2018.09.16 – 2018.12.24
EXHIBITION

リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」
原美術館 2018.09.16 – 2018.12.24

Written by 河内タカ|2018.10.19

© Lee Kit, courtesy of the artist and ShugoArts

 

フラジャイルな空間

台北を活動拠点にする香港生まれのアーティスト・リー・キット(1978-)は原美術館での展示に向けて、自身が以前に描いた絵画を数点スーツケースに入れて持ってきたという。そして、オープン前の10日間毎日のように会場に足を運び、モダニズムとアール・デコが融合したようなあの特徴的な建物内で思考を巡らしながら、導き出したのがそこにある光や影や窓を取り入れることだった。

キット作品の特徴は、ごく一般的に買える日用品などを使い、それを通して新たな問いかけや「見えなかったことを見えるようにする」といった提示を行なってきたと思うが、今回の展示ではあえて照明を使わず、窓から入ってくる自然光とプロジェクターによる人工光を交差させたりすることで、建物そのものや空間をテーマにしたようなインスタレーションを行なっている。会場に踏み入れたときのガランとした雰囲気や静けさは、どこかフェリックス・ゴンザレス=トレスによるぶら下がった裸電球の作品やマーティン・クリードの空っぽの展示室の照明を点滅させた《作品番号227 ライトが点いたり消えたり》を思い起こさせたりする。

ⓒLee Kit, courtesy the artist and ShugoArts 撮影:武藤滋生

それぞれの部屋の光や陰影の調子をセクションごとに少しずつ異なるようにしてある会場は、実際の窓と映像で撮った窓の異なった明かりを対比させたり、屋外の庭で撮影した木陰の映像、または窓に青の同じサイズの画面を少しずらして投影することで、リアルと擬似、展示空間の内と外を同時に感じさせるといった面白い効果を生んでいる。加えて、女性の素足がリズムに合わせて小刻みに動いているサイレント映像や窓際に置かれた作動しない目覚ましラジオ、または二階の部屋には緑色の扇風機が回る音が聞こえてきたりと、観るものの頭の中で「音」という要素を感じさせようとしている。

マルセル・デュシャン的というか、「いかにもアート作品であるというのはつまらない」と発言していてあまり作りこむことを行わないタイプのアーティストだが、今回もプロジェクターを透明の衣装ケースに反射させたり通過させたり、サイズが合ってない市販の安手のロールカーテンを設置したり、《Full of joy(喜びでいっぱい)》と書かれたマグカップ(これは今回の展示のために作ったマルチプル作品として販売されている)がポツンと置いたりしていて、そういった何気ない所作が逆に見るものにそのオブジェに込められた意図を問いかけ、さらに展示空間に流れる時間や光を意識させたりするという巧みさがある。

ⓒLee Kit, courtesy the artist and ShugoArts 撮影:武藤滋生

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」と谷崎潤一郎は『陰影礼賛』の中で書いていたが、キットも美術館の照明ではなくもともとそこに存在する光、あるいは陰影や人工的な光を操ることで、いつもの見慣れたスペースとは異なる独特の雰囲気を作り出しそこに短い言葉のセンテンスを散りばめる。しかし、日の終わりに各部屋に設置されたプロジェクターの電源が切られるや展示会場はなにもない静寂の空間にもどってしまうわけで、そういったはかなさや喪失感がもしかしたら見るものの心の奥により響いてくるのかもしれない。

INFORMATION

リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」

2018年9月16日(日)- 12月24日(月祝)
原美術館

WRITER PROFILE

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河内タカ Taka Kawachi

便利堂 海外事業部ディレクター 高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジへ留学し、卒業後はニューヨークに拠点を移し、現代アートや写真のキュレーションや写真集の編集を数多く手がける。長年に渡った米国生活の後、2011年1月に帰国。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を太田出版から刊行。2017年1月より京都便利堂の東京オフィスを拠点にして、写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した活動を行なっている。

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