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EXHIBITION

イケムラレイコ「土と星 Our Planet」
国立新美術館 2019.1.18 – 4.1

Written by 湯山玲子|2019.5.28

©Reiko Ikemura  Photo: Philipp von Matt

茫洋としている。ぼんやりとはっきりせずに在る。色もかたちも人物の表情も背景に溶け込んでいるようにも見える。弱さ、小ささ、柔らかさというような視覚的要素の集合体なのだけれど、実際には強くて、雄大、暴力のキナ臭さもある。ふわふわと可愛らしいうさぎも、硬い歯を持ち、食べると美味しい肉を隠し持ち、顕微鏡で細胞をのぞけば、激しい新陳代謝が行われている、といったような、「私が見知っているこの世界は、本当はどういうものなのか?!」といった、心ある哲学者、アーティスト、SF作家が追求してきた大山脈を歩き続け、独自の「眺めの良い」山道を切り開いてきたのが、イケムラレイコだ。

©Reiko Ikemura  Photo: Philipp von Matt

 

「山」の例えをしたのは、彼女がスイスの山奥の山荘に一年ほど籠もって創作活動に没頭していたときのことを語った、自叙伝である『どこにも属さないわたし』の発言が興味深かったから。

「世俗から離れた場所では、人間がつくりだした文化や人間の営み、人間中心の考え方は通用せずに比重が小さくなる。時間の概念、国、性別、年齢など人間がつくりだした境界線はぼやけ、区切りがはずれていくような体験だった。<中略>身につけている装備をひとつひとつ外して捨ててゆく。すべてが浄化されてゆく感覚」

この感覚は、私たちもたまに登山で山のてっぺんに立ったとき何気に「人間は小さいなぁ」などと想ってしまうアレだが、イケムラはそのある意味、紋切り型の直感を推し進めていく。たとえば、人がひとりとある山奥の森の中に立ったとき、そこで五感を通じて感じ取っているはずの世界全体はどういうものなのか。マーラーが交響曲一番で、メシアンが「峡谷から星たちへ」で描き、山頭火が「分け入っても分け入っても青い山」と句を書いたその動機は、決して人間には叶えられない領域でありながら、耳や目や言葉という人間付属のツールからの受け取った本質的な「自然の核心」を作品として、人々に手渡す、というところにある。

©Reiko Ikemura  Photo: Philipp von Matt

 

イケムラ作品の「茫洋」は、その世界認識の置換方法であると私は想う。「ありのままを描く。こう見える」と、これは多くの美術家たちの動機であるが(パウル・クレーの金言「芸術の役割は見えるものを表現することではなく、見えるようにすることである」参照のこと)、イケムラの「ありのまま」は、自然に対峙したときの(一瞬ではなく、生活空間や時間も含む)作家の全身感覚への信頼と、その逆にそれを感じるイケムラというキャッチの主体、つまり人間(感覚)に対する不信との同居に関しての書式だと言うこともできる。

「ツァラトゥストラⅢ」「東海道」「始原」といった作品に現れてくる「茫洋」に描かれる事物はシンプルで数少ない。しかし、我々に訴えかけてくるのは、その黄土色、灰色、黒、水色のなんとも言えない濁りの色彩の「音波」のような波動だ。それらの絵画を前にして多くの人が感じ取るのは、「東海道」に置かれた髑髏のように死んだら土に帰る、我が身の将来だろう。同時に、その対極の「生」についても考えが及ぶ。「産まれて良かったね!」の人間讃歌でもなんでもない、野卑でも崇高でもない、あっけらかんとした「生」は、かたちとして現れなくともイケムラの絵に「描かれて」いるのだ。

©Reiko Ikemura  Photo: Philipp von Matt

 

三島由紀夫は自伝的小説『仮面の告白』の中で、生まれた時の記憶がある、と記している。産湯をつかった盥の縁の、水と光の描写は、この作家の表現力の凄さを記してあまりあるものだが、残念なことに、言葉や経験を積んでしまった私たちには、もう「世界とのまっさらな第一次遭遇」は不可能なのだ。

しかし、イケムラレイコは、日本語、スペイン語、ドイツ語そして英語を、現地に移動してモノにした多言語話者。生活の拠点を変え、そのことを「言葉を一時無くすことで、世界と直接接するような」と述べているように、言語的な「生まれ変わり」を何度も体験しているのである。イケムラがドイツの森、シュバルツヴァルトと呼ばれるその呼び方を、日本語の森のイメージと別のものとして獲得するまでが、その真骨頂であり、イケムラ作品のイメージの強度はその体験に根ざしていることは間違いがない。

ちなみに、彼女を有名にした、「うつぶせの少女」シリーズの中では、「ライオン・レッド」が印象深い。熾火のようなエネルギーと欲望、社会に生きる不安と作為の強大な塊が、下半身を赤に溶け込ませて半身を起こしている図はまた、まだ少女だった頃の自分の肖像のようだったのだ!

INFORMATION

イケムラレイコ「土と星 Our Planet」

国立新美術館
2019.1.18 - 4.1

WRITER PROFILE

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湯山玲子 Reiko Yuyama

著述家、ディレクター。 興味: 著述家。出版、広告の分野でクリエイティブ・ディレクター、プランナー、プロデューサーとして活動。同時に評論、エッセイストとしても著作活動を行っており、特に女性誌等のメディアにおいては、コメンテーターとしての登場多数。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッション等、文化全般を広くそしてディープに横断する独特の視点には、ファンが多い。 メディア、アート、表現文化ジャンルにおける、幅広いネットワークを生かして、近年は、PR、企業のコンサルティングも多く手がけている。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)など。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」を主催し世界を回る。(有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。 

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