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「生誕100年 松澤宥」長野県立美術館、2022年2月2日 – 3月21日
「松澤宥 生誕100年祭」諏訪各所、2022年1月29日 – 3月21日

Written by 能勢陽子|2022.3.15

松澤宥  撮影:中嶋興  画像提供:慶應義塾大学アート・センター

松澤宥が生まれた1922年2月2日からちょうど100年が過ぎた2022年2月2日に、出身地の下諏訪が位置する長野県にある美術館で「生誕100年 松澤宥」展が始まった。生涯の大半を諏訪湖畔で過ごした松澤は、湖に浮かぶ白鳥の形をしたこの“2”という数字に運命的な縁を感じていたという。人間中心主義を否定する「反文明」を掲げた松澤の作品に繰り返し登場する白鳥や湖(水)、数字(数学)は、生誕とともにその地で育まれたものであった。

松澤を、美術の歴史のなかに位置付けることは難しい。日本の観念芸術の先駆者であるとか、いや欧米のコンセプチュアル・アーティストにも先んじていたとか、言葉による非物質化を目指したのだといっても、それらのフレームを易々と超え出てしまう融通無碍さが、この作家にはある。松澤の作品は、宇宙物理学、数学、仏教思想、精神世界などの多様な関心に根ざしているが、かといって難解なのかというと、そういうわけでもない。例えば、松澤のなかで最もよく知られている、ピンク色の垂れ幕や紙に「人類よ消滅しよう行こう(ギャティ)行こう(ギャティ) 反文明委員会」と書かれた作品について、その言葉の意味するところがわからないという人はいないだろう。

パフォーマンス〈消滅の幟〉1984年、スイス・フルカ峠、撮影:大住建

ただそれが、人類は滅ぶ定めだからこのまま歩もうと鼓舞しているのか、それともこのままでは滅びてしまうから物質文明から脱却しようと警告しているのかはわからない。それはおそらく、観る人に解釈を委ねているというより、同時にそのどちらでもあるということなのだろう。現時点からの未来は、どちらの可能性も孕んでいるのだから。そんなふうに、呼び掛けとして発せられる松澤の言葉は、わかる、わからないという理性的判断を越えたところにある。それは例えば、「芸術は芸術の定義である」と語るジョゼフ・コスースに代表される欧米の分析的コンセプチュアル・アートと比べたとき、いかに違うかがよくわかる。松澤は、美術内の制度批判的な側面の強い欧米のコンセプチュアル・アートに比べて、世界や宇宙へと向けた遥かに大きい視座を持っていた。

本展では、松澤の言葉による作品やパフォーマンスの記録だけではなく、これまで観たことのないような絵画やドローイング、学生時代の建築プラン、パブリック彫刻の資料、自家版の詩集までもが膨大に展示されていた。1964年6月1日の深夜、突然「オブジェを消せ」という啓示を受けて以降、松澤が物質の支配から脱して言葉で表現するようになったという逸話は、よく知られている。しかしそれ以前の活動で、建築においては「魂の建築、見えない建築をしたい」と語り、詩においては記号のみによる表現に向かうなど、当初から物質や形態、意味を超える表現を志向していたことが知れる。しかしそれとは逆に、有名な「オブジェを消せ」の啓示の後にも、あらゆる物質を抹消したわけではなく、《ψ(プサイ)の部屋》と名付けた自宅の屋根裏部屋に、物質としての作品を大切に秘匿し続けていたこともわかる。

〈プサイの部屋〉2018年11月16日撮影「文化庁平成30年度我が国の現代美術の海外発信事業」の一環として撮影

本展の最後にはこの《ψの部屋》の一部が再現されているが、そこからは夥しい数のオブジェに対する松澤のフェティシズムが窺える。松澤の作品は、言葉のみによる透明な「観念」と、《ψの部屋》に満ちる物質に対する欲望の、二極の間に生まれたものである。とはいえその欲望は、物質文明に属するものではなく、しばしば女性の乳房や子宮の色、形をした物体が持つ生の官能性に向けられたものである。

松澤宥《プサイの鳥4》1959年、パステル・クレヨン・蝋・かまどのスミ・紙、個人蔵

松澤宥《胎内願望》1960年個人蔵

松澤の作品はそんなふうに、科学的無機質さと土に塗れた土着性、未知なるものへの期待と仄暗い不気味さへの誘惑、象徴的な生と死の両極を孕んでいる。

世俗から完全に遊離してしまうのではなく、あくまで物質に満ちたこの世界から、透明な観念を思い浮かべる。それは、松澤の作品や思想が育まれた地で膨大な作品や資料を前にして、初めて実感できたことであった。知的営為としての現代美術は、まるで神懸かっているか、もしくは山師めいて聞こえる松澤の言葉を、しばしば扱いあぐねてきた。しかし本展では、そうした作家の特異な精神性を切り捨てるのでも、また過度に崇めるのでもなく、その全生涯から派生したすべてを包括していた。

 

松澤が生まれ育った諏訪の地でも、博物館を始め街中の喫茶店や雑貨店などの複数箇所で、「松澤宥 生誕100年祭」が行われていた。博物館では絵画や資料などまとまった展示が、喫茶店や雑貨店では版画やドローイングが数点展示されており、それらを観ながら街を巡る。

松澤宥生誕100年祭より 青木英侃邸展示風景

松澤宥生誕100年祭より UMI COFFEE & LAUNDRY展示風景

松澤宥生誕100年祭より 諏訪湖博物館展示風景

諏訪は御柱祭で知られているが、この地には大和朝廷が形成した神道よりさらに古い土着文化が伝わっている。松澤の作品が、生/性の記号的象徴性に満ちた古来信仰の影響を受けていることは明らかである。そして松澤は、その地で1949年から1984年まで定時制高校の数学教師を務め、1973年には美学校の諏訪分校を開講しながら、自身の創作を続けた。極めてラディカルな作品を、あくまで諏訪の市井の人でありながら発表し続けたことに、「大賢は市井に遁(とん)す」という言葉を思い出す。初期からコラボレーションによる作品を制作してきた松澤にとって、呼び掛けとして発せられる言葉は、なにより「伝達」を重視したものであった。松澤は、言葉や自身の身体をコミュニケーションの媒体とし、観念を直接伝えることを目論んだ。その松澤のコミュニケーションの対象は、人間だけでなく、動物や草木、諏訪湖、さらに天にまで及んでいたのである。

 

人間に見せるのみならず 岩にも樹にも天にも鳥獣にも音楽にも自己増殖機械にも

私はそれを見せる 見よそこに ただ白色の円を

 松澤宥 ハガキ絵画《すべての生物および無生物のための白紙絵画》1967年

 

見ることも触れることもできない「観念」を直接「伝達」するのは、色や形を通じて「感覚」に訴えるより、遥かに不確かである。しかしだからといって、構え過ぎる必要はない。私たちはただ、心に白い円を浮かべれば良い。鳥や木、湖と同じように。

 

 

INFORMATION

「生誕100年 松澤宥」長野県立美術館、2022年2月2日 - 3月21日
「松澤宥 生誕100年祭」諏訪各所、2022年1月29日 - 3月21日

「生誕100年 松澤宥」
会期:2022年2月2日 - 3月21日
会場長野県立美術館
主催:長野県、長野県立美術館

「松澤宥 生誕100年祭」
会期:2022年1月29日 - 3月21日
会場:諏訪各所
主催:Suwa-Animism(スワニミズム)

WRITER PROFILE

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能勢陽子 Yoko Nose

1997年より豊田市美術館学芸員。これまで企画した主な展覧会に、「テーマ展 中原浩大」(2001年)、「曽根裕 ダブルリバー島への旅」(2002年)、「Twist and Shout Contemporary Art from Japan」(バンコク・アート&カルチャーセンター、2009年、国際交流基金主催・共同企画)、「「石上純也–建築の新しい大きさ」展(2010年)、「反重力」展(2013年)、「杉戸洋-こっぱとあまつぶ」展(2016年)、「ビルディング・ロマンス」(2018年)、あいちトリエンナーレ2019(豊田市・名古屋市、2019年)、「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」展(2022年)。

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