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EXHIBITION

TOKYO 2021
TODA BUILDING 1F, 2019. 8. 3 – 10. 20

Written by 山田泰巨|2020.2.26

藤元明 「2021 #TOKYO2021」(2019年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

 

日本に暮らす私たちはいま、どこまで先にある未来を思い描いているのだろう。東京はここ数年、まもなく開催される東京オリンピック・パラリンピックをひとつのゴールに据えて多くの物事を進めている。しかし私たちの生活は東京オリンピック・パラリンピック以降も、もちろん続く。東京オリンピック・パラリンピック以後の東京をどう考えるか、その問いに向き合ったのが『TOKYO 2021』と名付けられた展覧会だ。

『TOKYO 2021』は東京駅近くにある戸田建設本社ビル1階を会場に、建築展と美術展の2つの展示を連続して行うことで構成された。新社屋を建設する戸田建設がこれまでの社屋を解体するにあたり、会場はもちろん、展覧会そのものをサポートする形で開催された。展覧会全体をアーティストの藤元明と建築家の永山祐子が企画し、建築展は建築家の中山英之と藤村龍至、美術展を美術家/批評家の黒瀬陽平がキュレーションを行った。

藤元明  「2021 #New National Studium Japan」(2016/ 東京) ©TOKYO 2021実行委員会 Photo: Takamitsu Miyagawa

本展はもともと、企画を行った藤元明のアートプロジェクト『2021』に端を発している。藤元は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まるやいなや国立競技場の建設予定地前に「2021」の数字を象った巨大木製オブジェを設置した。これをきっかけに、藤元は同じオブジェを全国各所に出現させている。藤元はこうして東京という都市を再定義する機会として東京オリンピック・パラリンピックを見る一方、2020年の先にあるものを自問する機会とも捉えている。

美術展に先行して行われた建築展をディレクションしたのは、建築家の中山英之だ。中山は建築を学ぶ学生や建築に携わる社会人から参加者を公募し、課題制作に取り組むプロセスや議論を一般公開、そして完成した課題作品の展示を展覧会の内容とした。東京という都市を見つめ直す課題設定は自ら行わず、建築家の藤村龍至に依頼。参加者の課題制作をサポートするために13人の建築家に参加を呼びかけた。

中山は本展を指揮するうえで、都市の長い時間軸を見据え、より広い視野で考える機会を設けたかったという。建築家として活躍する一方、東京藝術大学で教鞭もとる中山は、近年の学生の卒業制作にシェアハウスやシャッター街の再生などが目立つことを指摘する。終戦から復興する都市に携わった丹下健三らが打ち出した都市計画の壮大なスケール感は、現在の学生にとってはもちろん、中山が学生であった頃にもすでに遠く距離を感じるものであった。しかし都市を描くうえで次なる時代に向き合いにくい状況であればこそ、そこを打破する機会を企図したのだろう。

中山から指名を受けた藤村は、江東区新木場の貯木場を1平方キロメートルの人工地盤として再開発すると仮定し、その開発プランを考えるという「島京(とうきょう)2021」なる課題を展開した。藤村は戦後日本における都市計画を読み解きながら、東京の開発について言及する。1990年代までは行政主導の「多心型の都市」を目指した東京が、2000年代になるとデベロッパーによる大型開発で都市再生を目指していくと考察する。その過程で、大手町、日本橋、京橋、銀座、六本木、渋谷、品川など、地域ごとのイメージが際立ち、地域間競争も本格化した。藤村はこうした流れから、東京を「小さな地域=島」からなる集合体と捉え、2021年以降の都市をどう描くかを問うた。

 

建築展 課題「島京2021」© TOKYO 2021実行委員会 Photo: Takamitsu Miyagawa

しかし数週間のワークショップを経た参加者による回答は、図らずも現代日本において都市を描くことの難しさを浮き彫りにした。参加者は視点の異なる4つのグループに分割され、それぞれの視点から中間発表の提案を行っている。ここで中山や藤村、13名の建築家を含めた議論が行われ、各グループの提案は長所をまとめるという形で取りまとめられた。結果、最終講評会で発表されたのは既視感のある凡庸な折衷案に留まった。

参加者の提案は、1平方キロメートルの人工地盤を大小に二分割している。一方は貯木場や新木場というコンテクストから木材研究の施設を核にし、もう一方はオフィスやコンベンションセンター、ホテル、砂浜によるビーチ、さらに移民対策としての集合住宅などからなる都市を提案している。ここで描かれる都市像は建築家の提案というよりも、デベロッパーによる商業やオフィス集積型の都市開発を思わせるもので、どこか台場を思わせる提案であった。藤村は20世紀型の開発の終焉として世界都市博の中止に言及しているが、それによって生まれた台場という都市に似たのは皮肉ともいえる。さらには移民という非常にセンシティブな問題に対し、移民のバックボーンで区画を区切るといった軽はずみな提案も見られた。

おそらく出来上がった街の姿に中山や藤村も賛同できずにいる。そして、この展示が単純に失敗だと言えないところに根深い問題がある。中山や藤村があらかじめ指摘したように、課題を通じて現代の日本において都市を描くことの難しさをあらためてあぶり出したという見方もできるからだ。本展は建築展と後述する美術展の2つで構成されたが、この2つは直接的な関わりをもたなかった。しかし建築展において次なる都市の形を考える上で、美術との連動は考えられなかったのだろうか。例に挙げるまでもなく海外の主要都市では美術を起爆剤に再構築に取り組むことも珍しくない。むしろ現在再開発が進む渋谷では、大規模開発ながらほとんどをオフィスと商業開発で進めており、美術館一つもたない都市の貧しさを感じる。美術展では都市、そしてそこで暮らす人々への眼差しが多く含まれていた。両展の視点が交っていれば、少なくとも都市の提案は形を変えたように思う。

 

建築展 課題「島京2021」© TOKYO 2021実行委員会 Photo: Takamitsu Miyagawa

藤元が投げかける「2021」は、人口減少社会に転じた日本が東京オリンピック・パラリンピックを経てどうするのかを論じるものであったはずだ。多様な問題が蓄積し疲弊した日本のこれからをどう描くか。矮小化された都市開発ははたして参加者だけに責任があるのか。そうした社会背景を変えていかなくては、もはや後進国であると揶揄される日本における次は描けない。その気付きを経た上で私たちは都市の未来をどう描くのか。スタート地点に立つための展示となったと言える。

 

建築展 課題「島京 2021」 © TOKYO 2021 実行委員会 Photo: Takamitsu Miyagawa

一方、美術展のキュレーターを務めたのが美術家/批評家の黒瀬陽平だ。日本の歴史に「災害と祝祭」という反復を見出した黒瀬は、展覧会名を「un/real engine ― 慰霊のエンジニアリング」と名付けた。災害と祝祭の反復によって、文化は想像力、科学は技術を新たにしてきたと考察し、災害後に行われる祝祭には多くの表現者が関わってきたと黒瀬は論ずる。1974年の東京オリンピックの前には第二次世界大戦と原爆投下があり、2020年の東京オリンピックの前には東日本大震災があった。厄災を乗り越えるべく開かれてきた祝祭の場づくりには建築家やアーティストが関わり、災害の姿かたちに応じて慰霊の行為=学術や技術もまた更新されていく。この視点と日本の現代美術史を重ねる展覧会を展開した。

黒瀬は、情報社会化の始まりである1970年代を起点とし、現在までつながる日本現代美術の系譜を提示する。美術がいかに同時代の文化やテクノロジーを取り入れながら、作品制作においてさまざまな災害の記憶を扱ってきたのかを考える。黒瀬は本展で、水俣病の抗議運動を扱った中谷芙二子の《水俣病を告発する会―テント村ビデオ日記》、専用のビュワーを必要とする電光掲示板に阪神淡路大震直後の人々の発言を掲示した八谷和彦の《見ることは信じること》のほか、オウム真理教の事件を扱う飴屋法水、東日本大震災より以前に災害をテーマに取り組んだ宇川直宏、東日本大震災を契機とする原発事故を扱った会田誠らの作品を展示する。

 

渡邉英徳「『忘れない』震災犠牲者の行動記録」(2019年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

いわゆる美術の領域を超えた作品も加えられた。それは工学者の渡邉英徳による《忘れない:震災犠牲者の行動記録》だ。渡邉は本作で、東日本大震災によって岩手県内で亡くなった人の地震発生から津波襲来までの動きを地図上に表示する。遺族に許諾を取り、ローマ字で記された人名が時間の経過とともに動く線をもって私たちは犠牲者の声なき声を知る。まさに〈慰霊のエンジニアリング〉というべき作品の数々を通じて、来場者は日本の現代史を見つめ直すこととなった。黒瀬は複層的な視点と分析をもって、祝祭と慰霊という縦軸に対して日本の現代史という横軸を織り込むことで巧みなタペストリーを展開した。

 

梅沢和木 「Summer clouds」(2019年) ©TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

また、黒瀬はこれらの作品を展示するにあたり、会場は2エリアに分けた。災害と慰霊をテーマにした「SiteA 災害の国」では、中央にキノコ雲を思わせる閃光を宿した梅沢和木のカタストロフィックなコラージュ《Summer clouds》をはじめ、東海道五十三次の東西を逆転させ「京アニ」を終着点とするカオス*ラウンジの《東海道五十三童子巡礼図》、その53宿で採集した土を詰めた座布団53枚を京都方向に敷いた梅田裕の《53つぎ》などを展開した。

 

高山明 「個室都市東京2019」(2009-2019年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

このエリアで東京という都市をするどく抉ったのが高山明の《個室都市東京 2019》だ。一度に三枚までと指定されたDVDを選び、いかがわしくもある観賞用の個室で順に映像を観賞する。それは、池袋の西口公園で老若男女さまざまな背景をもつ人に次々と質問を投げかけるインタビュー映像だ。矢継早に投げかける質問はやがて、移民や難民、ホームレスへの意識について話題が及ぶ。無作為に抽出されたであろう人々の回答に、東京で暮らす「私たち」という無数の人々の意識が浮かび上がる。しばらく観賞して、私はようやく映像が10年前に撮影されたものであることに気がついた。映像の舞台である池袋西口公園は先日再開発を終えたところで、風景は様変わりしている。適当に選んだ幾人かのインタビューを見て、ようやく次の指示に従う。高山が示す経路は避難用の誘導灯と重なり、有事を除いて使用することのない経路を辿ることで東日本大震災の経験がフラッシュバックする。辿り着いた先には再びインタビュー映像があり、これは最近撮影されたものであることがわかる。この映像には驚くことに先のインタビューを受けた人物も出てくる。映像を通じて、十年前の私、そしていまの私は、質問になんと答えるのだろうかという問いをあらためて突きつけられる。

 

檜皮一彦 「hiwadrome : type THE END spec5 CODE : invisible circus」(2019 年)協力:株式会社コトブキ、コトブキシーティング株式会社 © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

 

弓指寛治 「黒い盆踊り」(2019 年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

 

弓指寛治 「白い馬」(2019 年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

 

「SiteB 祝祭の国」のエリアでは、車椅子や蛍光灯を荒々しく積み上げ、正面に岡本太郎の《太陽の塔》の顔の縮小版を据えた檜皮一彦のインスタレーション《hiwadrome: type THE END spec5 CODE: invisible circus》が来場者を出迎える。2019年に岡本太郎現代芸術賞を受賞した檜皮は、1970年の大阪万博を参照しながら、受賞作同様、車椅子を積み上げた構造体と、そこから発せられる光で祝祭の空間を作り出す。また四肢に障碍を持つ檜皮自身の映像も隣接して流され、複合的なインスタレーションを展開する。また、ひょっとこやおかめなどの面をかぶって踊る人たちの人形と黒い提灯を並べた弓指寛治の《黒い盆踊り》が生と死を扱った日本の祝祭を取り上げ、同じ弓指によるウジ虫に覆われた馬の死体を描いた《白い馬》は前述した岡本太郎の戦争体験をモチーフにしたものだ。

 

Houxo Que 「un/breakable engine」(2019 年) © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

同じ会場内には会場設営時に床や壁をはがした廃材でつくった藤元明の《2026》、地下室に防水工事を行って水たまりをつくったHouxo Queの《un/breakable engine》なども展示された。これらは建設業を行う主催者の背景を引用しつつ、東京という都市のスクラップアンドビルド、施工技術などをどこか感じさせるものであった。黒瀬は非常に多くのテーマを、多様な作家たちによって描き出している。そのストーリーテリングを楽しめるようにハンドアウト=解説文を置き、来場者に考察を促していたのも現代的なコミュニケーションに長けた黒瀬らしい真摯な展示だったように思う。

展示風景 © TOKYO 2021実行委員会 Photo: Mitsuhisa Mitsuya

 

本展の会期中、日本ではあいちトリエンナーレを始めとする公的機関が関わる芸術祭や展覧会にいくつもの問題が起こった。この問題については本稿で論ずるものではないので他に譲るが、こうした状況下で私企業である戸田建設が批評性に富んだ展覧会を主催したことに意義を感じる。2020年の東京オリンピック・パラリンピックが終わったあとも、2025年には大阪万博という祝祭が用意されている。都市にドーピングを続けているようなきらいも否めないが、黒瀬のストーリーによって新たな可能性が生まれる萌芽であることも見出すことができた。ただ一方でザハ・ハディドによる国立競技場案の破棄によって新たなエンジニアリングの機会が失われたことも思わざるをえない。日本には「あとの祭り」という言葉があるが、2021年以降を「あとの祭り」という状態にしないために私たちは思考を止めてはならない。その思いを感じる展覧会であった。

INFORMATION

TOKYO 2021

会期:2019年8月3日〜10月20日
   建築展(8月3日〜8月24日)/美術展(9月14日〜10月20日)
会場:TODA BUILDING 1F
主催:戸田建設株式会社
総合ディレクション:藤元明
企画アドバイザー:永山祐子

WRITER PROFILE

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山田泰巨 Yoshinao Yamada

編集者。1980年北海道生まれ。『商店建築』『Pen』編集部を経て、2017年よりフリーランスで活動。建築、デザイン、アートなどを中心に、雑誌『Pen』『Casa BRUTUS』『ELLE DÉCOR JAPON』『Harper’s BAZAAR』『madame FIGARO japon』などで編集・執筆。展覧会の企画や図録制作、企業の展示構成やカタログ制作などに携わる。

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