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EXHIBITION

松﨑友哉 「Unmapped Territory」展
2021.9.8 – 22
Yutaka Kikutake Gallery

Written by 鈴木俊晴|2021.9.27

Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

まず、2つの石にまつわる3つの話から始めよう。橋本平八の1928年の《石に就いて》、ジュゼッペ・ぺノーネの1981年の《川である(川になる)》、そしてヴィヤ・セルミンスの1971-82年の《イメージを記憶に留めるために(To Fix the Image in Memory)》。

橋本平八は自ら集めていた石のなかからとりわけ「仙」、つまり「自然界に潜む人智が及ばない聖なるもの」を感じさせる石を選び、それを別なる聖性を宿した木を彫ることによって、精緻にかたちを移し替えつつ、かたちを発生させる力をも移そうとしている。

ジュゼッペ・ぺノーネは、「~になる」「~である」ことそのものの時間をともなう造形力をかたちにして見せるために、川の流れによって造形された石のかたちを、別の石に模刻する。あるいはある種のパフォーマンス的作品〈マルティム・アルプス〉の中の一枚に、森の中の小川で作家が寝そべっていたことを思い出そう(その周りを囲う木枠のようなものにも目を配っておきたい)。

ヴィヤ・セルミンスは石と同じかたちをとったブロンズにそっくりそのまま着彩することで、一見どちらがどちらなのか分からなくした。11組あつらえられたそれは、作家の言うように「よく見ること」を促しつつ、造形行為の原点へと立ち返らせる。

石のかたちをなぞり、石の姿を移す/写すこと、そこには造形にまつわる、あるいは美術にまつわるなにか根源的な行為があるのかもしれない。

Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

さて、六本木の小さな画廊のスペースには、2種の「石」がある。一つは、画廊の窓辺に慎ましやかに並ぶ6つの小石。それぞれの石には穴があいているが、これは作家がイギリスの海岸から拾ってきたもので、こうして穴が空いているのはコーンウォール地方のセント・アイヴスの海岸などで多く見られるものだという。セント・アイヴスといえばベン・ニコルソンやバーバラ・ヘップワースといった名前がすぐに思い出されるだろうが、穴のあいた石は彼らとの造形の近親性を感じさせるに十分である。

もう一つの石は、これを石と呼ぶべきではないかも知れないが、少なくとも石板のようなものが、画廊の壁に3つ、仮設的な木の支柱に3つ、あわせて6つ掛かっている。小石の数と同じだ。それぞれの石板にもまた穴があいている。

Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

とはいえこれは石版ではなく、ジェスモナイト ― 1984年にイギリスで開発された水性樹脂の素材 ― を成形したもので、垂直に、板の両面を見せるように壁に掛かっている。裏も表もなく、しかし背はある、というように。板の両面は実のところ絵具で着色されている。その模様は、石をイミテーションしようとしているようにも、あたかもその辺で苔むしたかのようにも見えるし、石板に空いた穴も相まって風景のようにも見える。はっきりしない島国の空と海のような。石に風景を見る東洋の伝統を思い出してもいいだろう。いずれにせよ、その絵具の塗りによって、この穴のあいた板状のものはただの板ではない何かになっている。

Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

そして2つの「石」のあいだにあるのが、壁にかけられたドローイング群である。石板の面に塗られたものと同様かたちがはっきりとはしない。とはいえところどころ文字(ひらがな?)のようにも見える。「石」から「石」への — 記号からイメージへの — 移行の途中にあるようだ。

一方に、作家が長く暮らし続けているイギリスの海岸の小石。長い時間をかけて海に洗われ、穴があいている。他方に、同じように穴を持ちながら、平板に、不定形に、しかし背と底を備えたかたちの、着彩された石板のようなもの。確かにそこには最初にあげた2つの石にまつわる3人の作家のような、片方のかたちをもう片方に寄せていくようなアプローチはない。しかし、ここには、ちょうど穴のトンネルのようなものを行き来して2つの極を覗くように、イギリスの海岸と東京の六本木とで、トポロジカルにかたちが繋がっている。そこで石板は、壁に掛かっているものもあれば、いかにも頼りない仮設の木柱に打たれたものもある。その拠り所は、作品の重みに対して、接木のような不安定さは否めない。それをたとえば日本人が美術に携わることの足元の弱さといった一般論に落とし込むのはあまりに短絡だろう。むしろ、異種なものを接木する際の接続部に盛り上がるコブのようなものとしてこの石板があるとしよう。であれば、ホワイトキューブの中立的な壁に掛かった石板もまた、そうしたものとして、つまり多くの美術史にクレジットされた作品たちもまた、そうした接木のコブ的なものとして、作家は認識しようとしている。それは、Roger Hilton、Prunella Crough、Hubert Dalwoodといった、イギリスでも広く知られているというわけではない作家たちの名前を口にするときに、この画家が念頭に置いていることでもあるだろう。こうした画家たちもまた、さまざまな結節点に自らの、歪ながら、なお、そうある他ないものとしてコブを立ち上げていった。

Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

土壌や風土といったものは多分に造形に関わっている。しかし同時に、たとえば偶然にそこに吹き寄せられ、人が拾い上げる石ころが、結局のところ長い時間の造形行為とたまたまの選択によってその場に現れているように、偶然によって引き起こされ、生まれ出てくるものもある。そこに生じる造形力 ― 接木によって生まれるコブのような ― をどのようにかたちにしていくか、そうした実践はこの時代において、というのはコロナ以前も以後も関係なく、多くの移動と多くの受容が当たり前となった時代に、わたしたちが自ら何を選択し、引き受けていくのか、背骨を作りながら、裏も表もなく、在るための、その姿勢の表明のようにも見える。

INFORMATION

松﨑友哉「Unmapped Territory」展 

会期:2021.9.8 - 22
会場:Yutaka Kikutake Gallery

WRITER PROFILE

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鈴木俊晴 Toshiharu Suzuki

豊田市美術館学芸員 勤務館での近年の企画として「奈良美智 for better or worse」(2017年)、「開館25周年記念コレクション展 光について/光をともして」(2020年)、「ボイス+パレルモ」(埼玉県立近代美術館、国立国際美術館と共同企画、2021-22年)。  

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