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INTERVIEW

Withコロナの時代に、ダンサーは何を思うのか? 溶解した「境」を取り戻すためのダンスとは。
ハラサオリ インタビュー

Written by 安藤誠|2020.7.27

photo by Sylvia Steinhäuser

 

未だ収束の気配を見せないコロナ禍。前例のない事態が世界全体を覆うなか、殆どのアーティストがその活動に大きな制約を課せられることになった。なかでも、ただひとつの自身の身体を拠り所にオーディエンスと向き合うことが宿命ともいえるダンサーたちが被った影響は大きい。今、彼女ら・彼らは何を思い、どのように再起への足がかりを得ようとしているのか。ベルリンを拠点に、日独を行き来しながら活動を続けるハラサオリが、日独両国を俯瞰しつつ思いを巡らせた、withコロナの日々。

曖昧な日本、明確なドイツ。アーティストはどう連帯すべきなのか?

 

2020年3月15日。ハラサオリはオーストリアのとある街でパフォーマンスを行っていた。そのまさに翌日から、ヨーロッパ全土で本格的な国境封鎖が始まる。ギリギリで拠点とするベルリンへの帰還は果たせたものの、当面のリハーサルや本番はすべて中止。そして日本で予定していた、彼女にとって大きな意味を持つはずだったイベントも、中止か否かの判断を迫られた。

「 6月末に日本で上演を予定していたのは『Da Dad Dada』というパフォーマンス作品で、ダンサーであった父・原健と私の生別、再会、生別を辿るセルフドキュメンタリーでした。作品の演出として1964年の第1回東京五輪に触れるシーンがあるので、今回の五輪直前に上演することを目指していたんです。ただ、五輪の延期が匂ってきたときに、私はすぐ公演の延期を決めました。政府の判断をずっと待っていても何ひとつ立ち行かないし、自分の作品や関係者がそれに振り回されるのに耐えられなくて。3月20日頃、イベントや公演の延期・中止のピークが来るよりちょっと前ですね。実際に人が集まれるのかという問題や、感染のリスクももちろん考えましたが、それよりも、日本(政府)の対応や、あいまいな基準とかにコントロールされるのが、とにかく気持ち悪かった、というのが大きな理由です。」

 

政府が曖昧な対応を続けることで、主催者やアーティストが一身に開催の責任を負わなければならない日本の状況を見て、「その土俵に立ちたくないと思った」という。対して、ドイツでは政府が早期に明確な基準を打ち出し、アーティストへの支援も速かった。

「確かにここ(ベルリン)では、アーティストへの支援は迅速でした。もっとも私が知っているのはベルリンの事情だけで、ドイツの他の都市ではまた違った状況があったと思います。このスピードに対しては、当然ドイツ政府による文化へのリスペクトも感じましたが、暴動を抑えるためのひとつの措置だったのではないかとも思います。こちらでは、みんな速攻でデモに行ってしまうので、街が荒れて治安が一気に悪くなったりする。そのあたりも、日本とは対照的ですね。日本だと、みんなじっと耐えてしまう、というか。

アーティスト自身による嘆願書が立ち上がるのもすごく速かったですね。普段はみんなインディペンデントで、ある種、勝手というか、オルタナティブなソロスタイルでやっている人も多いのですが、こういう社会的な活動に関してはすごく連結のスピードが速い。それはやっぱりベースとして、アーティストやダンサーが社会でどうあるべきか、どうありたいかという思想が共有されているからではないでしょうか。『アーティストが補償をもらえる権利は当然あるし、そのためならみんな立場を超えて協力するのも当然』。そんな意識は常に感じます。

これも日本では反転していて、カンパニー単位での連帯や、集団のコミュニティー感は、日本のダンサーたちはすごく大事にしているし、それが世界水準の創造性に繋がっているケースもかなりありますが、社会活動となると、あまり連帯しないところがあると感じます。ドイツでは、クリエーションとしては完全にソロ、でもコミュニティーとしては連帯する、ということが普通に成り立っているのに対して、日本ではソロ活動をするということがイコール一匹狼みたいに結びつけられがちですね。私自身も日本を重要な拠点のひとつにしているので、国ごとの事情があることは痛いほど分かっているつもりですが、『ダンスやクリエーションが社会行動だ』という前提がないのは活動するなかでやはり大きな壁になってしまいます。いい悪いというより、位置付けの問題なのかもしれませんが。」

 

The Choreography for W1847mm x D10899mm x H2812mm (2015) photo by Kaita Otome

 

「オンラインに情報が溢れるなか、
過去の財産と向き合うことの意味」

リアルでの公演に制限を強いられるなか、ネットを介した小規模スペースでの無観客生配信やアーカイブの公開、ワークショップなど、ダンサーが自発的な発信を行う例も目立ってきた。自身もstay home期間中にはオンラインワークショップなどの活動も行っていたという彼女だが、こうした動向をどのように見ているのだろうか。

「これまで私は、パフォーマンスとは『境』にアプローチしていく表現だと思ってきました。ここでいう境とは『ハレとケ』『プライベートとパブリック』『お客さんとパフォーマー』『客席とアクティングエリア』といったものです。ところがコロナ禍を通してオンラインコンテンツが増えていくなかで、そうした様々な境が溶けてしまったように感じています。私はそれに対して、かなり大きな違和感というか、危機感ともいうべき引っ掛かりがあるのが正直なところです。

コロナ禍になってから、当然私自身もダンサーとしてオンラインのクラスや講義を受け、自分が講師としてWSをやらせていただく機会もありましたが、やはり最初は難しかったですね。まず講師と生徒が『初めまして』でお互いの部屋を見せ合ってしまう、というのは私個人としてはかなりエネルギーを消耗することでした。私は今もなるべくスタジオから通信しています。その環境を死守した上で、新しいコミュニケーションや表現の形を探ってみると、いろいろな発見もあってとても有意義な経験として考えられるようになりました。もちろん教育や研究というコミュニケーションだけではなく、表現の場でもそうした異常事態が日常に介入してきていますね。

以前は、作品や制作を通して様々な『境』を超えることを考えていました。『境』がなくなる瞬間に気づきがあったり、あちらとこちらを行き来するような役目をパフォーマーに課したり、演出として日常と非日常を入れ子式に仕込んだり……と抽象的ですが。それなのに、今はその『境』を奪還しようとしている自分がいます。とても不思議です。ただ目指すものが反転しても、自分のアンテナには素直に従うべきだと考えています。

『境』が溶けた、というより、どこかに移動したのかなと思うようにもなって、今はそれをさぐっているところです。この試行錯誤自体が、これからの作品に影響したり、コンセプトそのものになっていくのかもしれません。」

 

他人との接触を絶たれ、劇場を離れざるを得なくなったパフォーマンスアーティストたち。その危機を乗り越えるためのヒントをオンラインに見出そうと試みる事例が多いなか、彼女はあえて1970年代の作品にあらためて向き合いたいと言う。

「特に60-70年代のアメリカで、非・劇場の場でどうダンスするかというテーマに、多くのダンスアーティストが挑んでいて、今観ても面白いものが本当にたくさんあるんです。トリシャ・ブラウンの『Roof Piece』が有名ですね。トリシャは70年代にカンパニーを立ち上げて、劇場以外の様々な場所でサイトスペシフィックパフォーマンスをやっていたんですが、その時代のたくさんのお手本を、もう一度徹底的に勉強し直したいなと思っています。

当時と状況は違うけど、今もまた劇場というものがある意味失われるというか、追い出されてしまったような状態になっていますよね。さらに、観る側と観られる側の新しい関係をデザインする必要が出てきている。そこでどうする、となったときに、考えられることはいろいろあるなと思っています。

今までも60-70年代に劇場を出ていった人が何をやったのか、どういう言葉を残してきたのかというのは、知識や先人への憧れとしては頭に入っていました。それはイヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウン、ジャドソンダンスシアターなどに代表されるようなムーブメントなのですが、それが自分の時代性と何も繋がってなかったんですよね。正直、ただスタイルとかステートメントとしてかっこいいなと思っていたものが、こんな状況になってようやく自分の身体や時代と具体的に結びつきました。教科書的な、お勉強を超えて、どう作品を観るのか、という意味でも態度が変わりました。そのあたりのダンス史の流れを見直したりして、自分の制作にもフィードバックさせていきたいです。」

 

no room (2019)  photo by Kazuhei Kimura

 

失われた身体性のリアルを取り戻すための戦略を語りつつも、意外なことにラジオというメディアに着目し、ダンサー自身の本音を発信する活動も続けているハラサオリ。「去年の年末に思いついて、始めたのは今年の2月。だからコロナとの関連はない」と語る彼女だが、白神ももこ氏との共同で運営するオンラインラジオには、日本を代表するコンテンポラリーダンサーの多くがゲストとして出演したこともあり、大きな反響があったようだ。

「個人的なモチベーションとして、ダンサーのしゃべり言葉には昔から興味があったんです。世代やシーンの違う踊り手の言葉ってとても遠くて直接聞ける機会が少ないし、自分自身も有名なダンサーではないので既存メディアに乗るはずもない。そこで気負いなく、でも誰にでも届くメディアが欲しかったので、作りました。スローガンは、『ダンサーのダンサーによるダンサーのためのご自由なメディア』。

これは先ほどの『境』の話に戻るのですが、このコロナ禍で続けたラジオを通して『声と身体』に着目し始めました。声とは、映像や写真のように誰かに像が所有されることなく、どこへでも飛んでいける、そしてその先にある空間に寄り添う無形の身体メディアです。もともと言葉と身体の関係をテーマのひとつとして制作してきたこともあり、今は声のインストラクションとそれに誘発される運動についてのリサーチをしています。これは思わぬ発見と展開でした。

でも『ラジオ桃原郷』は、思いついたことを言いたい放題の気楽な世界。クドイ話は抑えて、白神ももこさんと平和にぽつぽつ続けていきたいと思っています。」

二人の名前をもじったタイトル「ラジオ桃原郷」は、以下のサイトからアーカイブ視聴が可能だ。https://www.radio-togenkyo.com/

 

※本テキストは、LAND FES PLUS(landfes.com)が5月29日に行ったインタビューから再構成したものです。

 

ハラサオリ「Da Dad Dada(ダダッドダダ)」BUoY, 2018.3.30−4.1

ハラサオリ

ダンサー、美術家。2012年よりベルリンを拠点として作家活動を開始。自身の身体を用いたパフォーマンス作品を軸として、サイトスペシフィックな空間/時間における即物的身体の在り方を探求している。それに伴いテキストやドローイングなども制作する。近年ではダンサーであった実父との生別/死別を扱ったセルフドキュメンタリー作品「Da Dad Dada(ダダッドダダ)」を日本とドイツの二カ国で発表。2019年秋には国内最大のダンスフェスティバルDance New Airにてサイトスペシフィックパフォーマンス“no room”を上演。

また、その静物的佇まいと動物的躍動感を兼ね備えた身体を活かし、ライブ、MV、TV番組などへも多数出演しながら活動の幅を広げている。

東京芸術大学デザイン科修士修了(2015)/ベルリン芸術大学舞踊科ソロパフォーマンス専攻修了(2018) / 吉野石膏美術振興財団在外研修員(2013) / ポーラ美術振興財団派遣海外研修員(2017) / アーツコミッション横浜U39アーティスト・フェロー(2020)

WRITER PROFILE

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安藤誠 Makoto Ando

広告制作プロダクション主宰の傍ら、音楽・映画・ダンスなどの分野で取材・執筆。街中を回遊しながらダンサーとミュージシャンの即興セッションを楽しむイベント「LAND FES(ランドフェス)」ディレクター。障がい児のためのイベントやワークショップの企画・運営も手がける。

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