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OUT AND ABOUT

日産アートアワード 2020
ニッサン パビリオン 2020.8.1 – 9.22

Written by 坂口千秋|2020.9.18

 

私たちはどこにいるのか―不確かな時代にアートが示すもの

 

「グランプリは、潘逸舟さんです」

審査委員長の南條史生氏がそう告げた瞬間、モニターの中の潘は大きく天を仰ぎ、押し寄せる思いを一気に吐き出すように大きく息をついた。コロナの影響で、オンラインでの最終選考となった日産アートアワード2020は、ファイナリスト5人の誰がグランプリをとってもおかしくない拮抗するコンペとなった。

世界的パンデミックとそれによって表出したさまざまな問題によって、世界のシステムのあちこちに亀裂が生じている。その只中に行われたアワード展は、先が見えない時代の空気をどのように反映し、どのようなメッセージを送っていたのか。ファイナリストたちの作品と国際審査員のコメントから、この夏の日産アートアワードの意義について考えてみる。(9月22日まで横浜のニッサン パビリオンにてファイナリスト5名の展覧会が開催されている)

2013年、日産自動車の創業80周年を記念してスタートした日産アートアワードは、日本を拠点とする現代美術作家を対象に、国際的なアートシーンで活躍するアーティストの輩出を目指している。過去2年間の活躍が目覚ましい日本国内のアーティストからファイナリストを選出し、展覧会形式の最終選考によってグランプリを決定する。審査員を務めるのは、世界の第一線で活躍するキュレーターやディレクターたち。過去3回のグランプリに選ばれた宮永愛子、毛利悠子、藤井光は、いずれも精力的に国内外で活躍しており、回を追うごとに質の高いアワードとして注目を集めている。(そしてファイナリスト展でグランプリ予想をはるのも、外野の密かな楽しみでもある。)また2015年以降は、海外の主要なアーティスト・イン・レジデンス機関と提携して、グランプリに海外レジデンスの機会を提供している。こうしたグローバル照準のスキームは、このアワードを主催する日産自動車のグローバル戦略とも意を共にするものだ。

だが今回のコロナ禍でもたらされた海外への渡航制限によって、「展覧会で世界を飛び回るアーティスト」という成功の絵姿にも揺らぎが生じた。いつ再び自由に国を行き来できるのか、しかも行き過ぎたグローバル化への反省なしに? さまざまな価値観が揺らいでいる今、アワード展の本質もまた、時代と向き合いながら、根源的な人間の生の問題に立ち返らざるを得ない。南條氏はこう述べる。

「文化芸術は、どんなに厳しい時代でも我々にとって非常に重要なものです。ひいては、人間が人間であることの条件あるいは証とは何か、という問題意識にも繋がってくるのではないでしょうか」

また、カリフォルニア大学バークレー美術館、パシフィック・フィルム・アーカイブ元館長兼チーフキュレーター、ローレンス・リンダー氏(Lawrence Rinder)は、常に時代を反映してきたアートは人類の運命を把握する強力な手段であり、グローバルな社会や文化に欠かせない貢献を果たすものだ、と力強く語っている。

「今回の日産アートアワードは、非常に特別なものとなりました。ファイナリストたちの作品からは、現在の世界情勢、重要なテーマ、そして現在の危機の中でのアーティストの重要性が見えてきました。しかし、何よりも今回の受賞は、これまで以上に人間を人たらしめているものに対する感覚を鋭く伝えてくれました」(国際審査委員会総評より)

 

潘逸舟 《where are you now》 撮影:木奥惠三 画像提供:日産アートアワード

 

それでは実際にどのような作品が展示されていたのかを見てみる。

グランプリを受賞した潘逸舟の《where are you now》は、波の影がゆらめく空間に、大きな消波ブロックの彫刻と3つの映像作品を配置した、没入感あるインスタレーションだ。空間を塞ぐように鎮座した消波ブロックは災害や遭難時に使われるエマージェンシーシートで覆われ、壁のモニターには、黒い海上を孤独に漂流する消波ブロックの映像が、そして奥の片隅にあるモニターには、警備員の格好をした潘が荒波に抗い進む、混乱したシチュエーションの映像が流れる。9歳のとき上海から日本へ家族と共に移住した潘は、これまで自身のアイデンティティをテーマに多くの作品を発表してきた。パーソナルな問題を追求する彼の孤独と葛藤が、コロナ禍を生きる私たちの今の心情とまさにシンクロした。総評はこうまとめる。「今日の社会に蔓延している混乱や孤立といった感情を簡潔かつ鮮烈に形象化し、個人的な体験を、普遍的で詩的なステートメントへと転換させている。シンプルな表現に豊かな感性を織り込み、観る人に幅広く奥行きのある問題を想起させた点が高く評価された」

授賞式では、狭い自宅で巨大な彫刻を作り続けて家族に辛抱をさせたことを詫びる微笑ましいシーンもあった。アートは決して特権的な行いではなく、日々の営みと地続きにあるものだ。その覚悟がこの作家のつくるものの強さにもなっている。南條氏は、「潘氏のこれまでの生き様、生きた感覚が作品の中に残り、表出しているような気がします」とコメントを寄せた。潘の受賞は、今いる場所の不確かさを受け止め、私たちは同じ船に乗っているという連帯の意思表明でもある、とも受け取れる審査員たちの姿勢にも誠実さを感じた。

2020年のファイナリストは、2019年5月に一次選考で、異なる背景を持つ候補者推薦委員によって推薦された28組のアーティストのなかから書類審査で5名が選ばれた。現在のような状況を誰も想像してはいなかったが、今の状況とどこか符合するテーマを探究する作家ばかりが選ばれたのは、偶然ではないだろう。エコール・デ・ボザール学長ジャン・ド・ロワジー(Jean de Loisy)氏は「今回のアワードの中で作家から提唱された重要なテーマでもある、今日のような危機的状況の中での詩的表現者の重要性をとってみても、自然や歴史、生きとし生けるものすべての中での人間という存在を考える特別な回でした」とコメントしている。彼らファイナリストの取り組みはどれもひたむきな創作の時間を感じさせるものであり、誰とも似ていない独自の方法で、世界をミクロにもマクロにも横断していた。

 

風間サチコディスリンピック2680》 撮影:木奥惠三 画像提供:日産アートアワード

 

風間サチコ《ディスリンピック2680》、《PAVILIONー白い巨象(もんじゅ)館》、《COUNT ZERO》、《PAVILIONー地球のおなら館》、《¥=∞》

木版画の技法を用いて、現在起きている事象の根源に遡り、フィクションと現実が交錯する風刺的な作品を作る風間サチコは、2020年の東京オリンピックを受けて架空の《ディスリンピック2680》の巨大な版画作品を展示した。圧倒的な手仕事の量とディテールの総体が力強く迫り、版画の現代的な可能性をひらく作品として評価された。リンダー氏は、「ダイナミックな木版画は歴史、心理学、空想、現代の出来事が織り込まれ、そこに彼女の鋭い洞察をみることができる」とコメントした。また1枚目がゼロの日めくりカレンダー《COUNT ZERO》には、2020年東京オリンピックの喪失のボイドが広がっている。

 

三原聡一郎《無主物》 撮影:木奥惠三 画像提供:日産アートアワード

 

三原総一郎《無主物》

放射線、虹、風、微生物、気流など、多彩な素材をモチーフに、自然現象とメディアテクノロジーを融合させた実践を行う三原は、展示空間にある水の固体、液体、気体の3状態を可視化するシステムを制作展示した。タイトルの《無主物》とは法律用語で、川や野生生物など誰にも所有されない自然のものを指す。地球規模の気候変動や環境問題にまで意識が及ぶ、小さいけれどスケールの大きな作品だ。ローレンス氏は、「高度な科学的感性とテクノロジーがありながら詩的かつスピリチュアルな要素が融合した、20世紀の禅庭園のような作品」とコメントした。

 

土屋信子Mute-Echoes:Mute-Echo, Breve, Repeat, Crotchet, Key, Rest, Sharp, Quaver 撮影:佐藤基 画像提供:日産アートアワード

 

土屋信子Mute-Echoes:Mute-Echo, Breve, Repeat, Crotchet, Key, Rest, Sharp, Quaver

ファイナリストの中で最も質の高い空間を作り上げ成熟したアーティストとしての評価を集めた土屋信子。身近にある日用品や廃材、さらにファイバーや鉄板などの工業素材を「庭師のように剪定し」(ロワジー氏のコメントより)、作り上げた詩的なインスタレーションは、SF的で異文明のランドスケープのようだ。見る人の想像力を刺激する土屋の表現について南條氏は、「独自の表現言語を作り出しており、非常に豊かなボキャブラリーを持っています」と評し、「新しい言語を作ることは現代美術において重要です」と付け加えた。自然と文明が穏やかに共存する瞑想的な作品は、見るということの普遍的な価値を獲得している。

 

和田永無国籍電磁楽団 : 紀元前》 撮影:木奥惠三 画像提供:日産アートアワード

 

和田永《無国籍電磁楽団:紀元前》

旧式電化製品による新たな楽器や奏法を発明し、音楽と美術の間で活動する和田永の《無国籍電磁楽団:紀元前》は、5カ国の知人に部品と「電磁楽器手引書」という和田によって作られた本を送り、それぞれの土地で中古電化製品を手に入れて楽器を作り演奏に挑戦してもらう、というドキュメンタリーをマルチスクリーンで展示。ジャンル横断的な活動、さらに他者との協働という新鮮さが際立っていた。楽器を手にそれぞれ演奏を試みる様子をモニターで見るという行為は、今のオンライン配信の世界を予見したかのようだ。南洋理工大学シンガポール現代アートセンター創設者、同大学美術・デザイン・メディア学部教授ウテ・メタ・バウアー(Ute Meta Bauer)氏は、「創意工夫に富んだ遊び心は、ナム・ジュンパイクや田中敦子などフルクサスにも通じる普遍的なアーティストの精神を受け継いでおり、そのパフォーマンスは芸術をより広い公共圏へと広げている」と語り、ぜひシンガポールでも演奏を!と微笑んだ。

 

最後に。

M+美術館館長のスハーニャ・ラフェル(Suhanya Raffel)氏はオンライン審査の感想を、「実際に作品と向き合う時に作品が発する感覚を“感じる”ことができないので、別の場所にいて作品を理解しようとするのはとても難しかった」と語った。しかしそれでも続けることは重要だと語る。「この肯定は、作品やアーティストの仕事の目的や価値が、私たちのコミュニティの中心にあることを確認するために重要であり、必要不可欠なものだと思います」とラフェル氏は言う。

審査のプロセス自体がチャレンジング、かつ自粛のなかの制作と準備で予測不能な状況を常に想定しながらも、今年このアワード展が開催されたことは、率直に称賛に値する。アーティストからも、「このような時に何かを形にするために努力できる機会を得られたことに感謝と安心感を感じた」という声が聞かれたという。そしてなにより見る側にとっても、未知のものに向かう勇気をそれぞれの作品から受け取ることができた。中止や延期が当たり前の時代に日産アートアワード2020は開催された。それによって、アートへの信頼を力強く示すことができたように思う。

不寛容が広がる今の時代に、多様な価値観を提供するプラットフォームとしてこのアワード展が継続していくことを期待する。アワード自体が権威とならず、アーティストとともに挑戦し、成長していくようなフレキシブルなあり方で、現代美術の一翼を担うアワードとしての存在感を発揮してほしい。

 

INFORMATION

日産アートアワード 2020 ファイナリストによる新作展

会期:2020年8月1日 - 9月22日
会場:ニッサン パビリオン
主催:日産自動車株式会社
企画・運営協力:NPO法人アーツイニシアティブトウキョウ [AIT/エイト]

WRITER PROFILE

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坂口千秋 Chiaki Sakaguchi

アートライター、編集者、コーディネーターとして、現代美術のさまざまな現場に携わる。RealTokyo編集スタッフ。

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