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OUT AND ABOUT

志賀理江子、竹内公太
さばかれえぬ私へ
Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展
東京都現代美術館
2023.3.18 – 6.18

Written by 五十嵐太郎|2023.4.22

志賀理江子「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2023  撮影:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

 

風/見えないこと/マーキング  

 

ディオール展の賑わいを横目にエスカレーターを上がり、壁に記された主催者のあいさつ文を過ぎると、部屋いっぱいに映像のインスタレーションが展開する。防潮堤の上を目を閉じながら人が歩く、志賀理江子の《風の吹くとき》(2022-23)であり、「私たちは今、海と陸の境に建てられた、長い道の上を歩いています そしてこの体には、強い風が吹いています」という語りが続く。ハンドアウトに記された作品の番号に従い、細い通路をわたって次の部屋に入ると、今度は竹内公太の伸縮するインスタレーション《地面のためいき》(2022年)が視界に入る。ここは彼がリサーチした太平洋戦争時の風船爆弾のエリアであり、その大きなヴォリュームを再現したものだ。ほかにも関連する作品が設置されているが、いくつかのキャプションが奥の方にあるために、あれ?と思う。実際、その次の部屋では、壁にどーんと展覧会のタイトルとアーティストの名前、すなわち「さばかれえぬ私へ」、ならびに志賀理江子と竹内公太が記されている。そういえば、ここに至るまで、タイトルなしに展示空間に入っており、もしかするとすぐにこの部屋に出会う逆まわりのルートが正解だったのか?と一瞬不安になった。

どうやら決まった道順はないようだが、なるほど映画でも途中や最後にタイトルが現れるケースがある。そもそもTokyo Contemporary Art Award(TCAA)の受賞記念展は、二組の作家が行うのだが、これまでは同じフロアにおいて、2つの個展を開催するような形式だった。しかし、今回は違う。二人の話しあいによって共通のタイトルがつけられ、まわる方向によっては交互に登場し、先に志賀、続いて竹内という風にも鑑賞できる。もちろん、それぞれの扱う内容は重複するわけではないが、宮城と福島、ともに東北に拠点を構え、もともと東日本大震災の津波や原子力発電所の事故に触発された作品を制作しているから無関係でもない。あれから十年がたち、日本では復興にひと段落がついたことにされ、また今度は世界を襲ったパンデミックが主要な関心ごとに代わり、忘れ去られようとしている。が、2018年から始まったTCAAが、二組の受賞者を決定するというシステムは、はからずも今回もう一度、東北と311、あるいは会場となった東京との関係を考えさせるきっかけをもたらした。

 

志賀理江子《風の吹くとき》2022-2023、ビデオ・インスタレーション、エンドレス 撮影:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

 

竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2023  撮影:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

 

タイトルの「さばかれえぬ私へ」の英文は、「Waiting for the Wind」になっているように、両者のモチーフは風を含む。そして見えないということもある。志賀の《風の吹くとき》の語りは、かつて飢饉を起こした偏東風や震災後の「復興」計画ラッシュなど、東北に吹いた風を振り返りながら、最後に「波を見ていると、・・・さっき見えなかったものが、今、見えるような気がする」という。一方、日本軍が開発した風船爆弾は、動力がなく、まさに風によってアメリカに飛来するが、狙いを定めることができない。ゆえに、どこに落ちるかもわからない盲目の兵器であり、事後的に竹内はその視線の動きを想像しようとする。そう、日本とアメリカは太平洋でつながっている。会場で、ふと東日本大震災後のこんなエピソードを思いだした。アメリカのアラスカ州の島に、津波で流出したサッカーボールが漂着したのである。2012年、レーダー施設に勤務する技術者は、これを砂浜で発見した。後に寄せ書きの内容から岩手県の高校生がボールの持ち主だと判明し、本人に返却されたという。

戦時下では思いも寄らないことが真面目に検討される。建築の分野では、鉄が不足することから竹筋コンクリート、当時の防空計画では風船で街を囲うという空中の壁の案すら掲載されていた。風船爆弾は実行され、約9300発が放たれたが、とくに印象的だったのは、次のエピソードである。1945年、ワンシントン州のハンフォード・サイトに到着した風船は、核兵器の使用するプルトニウムの製造工場を停電させた。その後、ここで生成されたプルトニウムをもとに長崎に原爆が落とされるが、同型の模擬原子爆弾は、風船が放たれた福島県平市にも落とされる。戦後、風船の一部は福島の炭鉱に捨てられ、浜通りにあった特攻隊訓練飛行場の跡地に第一原子力発電所が建てられたという。2011年の事故を受けて、自治体の長や学者はハンフォード・サイトを訪れた。同地は放射性廃棄物による汚染地がありながら、先端科学研究施設として発展したことを、彼らが福島復興のモデルとみなしたからである。実際、福島はこうした企業を誘致し、開発が進む。すなわち、風船爆弾が福島と奇妙な縁をもつことを示唆する。ちなみに、放射線量も見えないものだ。ガイガーカウンターなどの計測器に表示される数字でのみ、可視化される。

それにしても、機密解除されるアメリカの公文書の内容は凄い。やはりアーティストの鎌田友介も、焼夷弾の開発のために、一時帰国していたアントニン・レーモンドが協力して、砂漠に日本家屋を建設したときの図面などを入手し、展覧会に用いていたが、本展では風船爆弾に関する様々な記録が使われ、想像力と接木することで、アート作品として昇華させた。日本軍は関連資料を焼却したようだが、21世紀になっても現在進行形で、この国では重要な裁判の資料が破棄され、政治家の意向によって公文書が処分されている。そもそも太平洋戦争を総括する公立の博物館すら存在しない。ニューヨークの911メモリアルは、丹念に記録を収集し、執念を感じさせる展示だったが、日本の津波伝承館にはそうした思いが感じられない。また南相馬の東日本大震災・原子力災害伝承館は、世界史的な大事故にもかかわらず、責任の主体を曖昧にしたままの、あっさりとした内容である。日本における記録への意思の弱さは致命的だろう。だからせめて、筆者があいちトリエンナーレ2013の芸術監督をつとめたとき、アートは記憶を担うことが重要なのではないかと考え、「揺れる大地ーわれわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」というテーマを設定した*1。

映像やインスタレーションは、これまでの志賀の写真がもつ白昼夢のような感覚を備えてはいるが、今回はきわめて饒舌である。映像ではマイクをもった女性が画面に向かって語りかけ、巨大な写真壁画《あの夜のつながるところ》(2022年)に近づくと、無数の小さい写真、言葉、引用されたテキスト、そして「人間の道」と記された太い赤線と異様な迫力をもつ地図が重ねあわせられていた。被災後に彼女が身近に体験したであろうこと、そして考えたことが凝縮され、近い過去にもかかわらず、日本の近代化のときから反復される神話のように感じられる。展示では、宮城県の沿岸部で唐突に持ちあがり、すぐに消えた「カジノ複合リゾート構想」に触れているが、あいちトリエンナーレ2013への参加をお願いしたとき、志賀が怒りを込めて、これに言及していたことを覚えている。だが、それはすぐに作品とはならなかった。ほかにも「復興の名の下に」建設された「巨大な防潮堤」や「福島イノベーション・コースト構想」など、自然災害の後に猛威をふるった国家や資本の力に言及している。これらは東北だけの問題ではない。実際、赤い線で描かれた毛細血管のような地図は、東京から東北までをカバーし、これらがつながっている、いや東京という心臓に血を送り続けてきたことを暗示する。

 

竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2023   撮影:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

 

志賀理江子《あの夜のつながるところ》2022、インスタレーション 撮影:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

 

最後に二人の共通するモチーフとして、マーキングを挙げよう。竹内は指差し作業員の代理人としても活動しているが、今回の《サイトマーキング(プロッサー)》(2022年)と《シューティング(コールドクリーク)》(2022年)では、風船が存在した場所に足でバツ印を描いたり、かつて風船に銃を撃った行為を指でまねて撮影した。何の記念碑もない場所において、現地で起きた過去の出来事をリマインドさせるものだ。一方、志賀の《あの夜のつながるところ》では、壁に大きな赤いバツ、床にも青いバツが記されている。写真の題材でもある男が、沈んだ重機に私物であることを示すバツ印をつけ、「瓦礫」として撤去される前に福島の山奥の私有地に運び込んだものである。おそらく東日本大震災の記憶が薄れていく時間に対し、強烈に抗う場所だろう。マーキングとは、見えなくなった状況に対し、いまどこに立っているのかという自己を確認する作業である。

*1: https://aichitriennale2010-2019.jp/2013/about/about_01.html 

 

INFORMATION

さばかれえぬ私へ 
Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展

会期:2023年3月18日- 6月18日
会場:東京都現代美術館
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーアーツアンドスペース・東京都現代美術館
開館時間:10:00 - 18:00 *5月13日(土) - 28日(日)の土日は20:00まで開館
入場料:無料

WRITER PROFILE

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五十嵐太郎 Taro Igarashi

建築史・批評家。東北大学教授。 ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008の日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013の芸術監督などをつとめる。 著作に『現代日本建築家列伝』や『建築と音楽』など。

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