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PERFORMANCE

田中泯『村のドン・キホーテ』
2020.12.4~6, 東京芸術劇場プレイハウス

Written by 太田信吾|2021.2.13

Photo© ITARU HIRAMA

2020年4月。わたしが俳優として出演する予定だった舞台(『未練の幽霊と怪物』神奈川芸術劇場)が中止になった。
公演の中止は、そのまま表現の中止を意味するのか?
ウズウズしていたわたしは、踊りを探しに、長い旅に出た。
その時、鞄に入れて持って出た本が一冊だけある。
田中泯さんの『僕はずっと裸だった』(工作舎)という著書だ。

「動く踊り、身体を動かして踊るということだけが踊りではないと思うんですね。ベッドに横たわっている人が心の中で踊りを踊らせることができなかったら悲惨じゃないですか」

ある時は病院のベッドで横たわった患者の呼吸とそれに伴い微かに動く身体に、ある時は落ち葉の下、土にまみれて動く微生物に、「人間」や「私」の外側にも踊りを見出そうとする田中泯さんの創作に向き合う姿勢に、わたしはこれまで多大な刺激を受けてきた。

踊りは設えられた舞台に先行する。
踊りは“私”に先行する。

わたしも、劇場で踊れないのだったら、自然の中に、踊りを探そう。
ある時は若狭湾の波に打たれ海上をたゆたった。
またある時は黒い袋に詰められて国道沿いに積み重ねられた土砂の一袋になった。
カモメや、国道沿いをけたたましく去ってゆく排気ガスが、わたしの踊りの観客だった。
土地から土地へ、そんな孤独な「踊り旅」を続ける中で、世間の“自粛”のムードに関わらず、様々な土地であくまでも「自主的に」踊る人たちとの出会いもあった。鯖街道・熊川宿で「てっせん音頭」を踊る皆さん。長野県の阿南町新野地区で「新野の盆踊り」を踊る皆さん。

不意に訪れたそれぞれの土地での魅力的な人や踊りとの出会いの中で、いつの間にか東京にはもう戻らなくていいかな、という気持ちが強くなっていた。そんなある日、もう一度東京へ戻らざるを得ない理由ができた。
田中泯さんが東京芸術劇場で舞台作品の上演を行うという。
『村のドン・キホーテ』というタイトルがそれだ。
世界各地で上演されてきた“場踊り”など、踊りを劇場空間の外側に見出し、立ち上げてきた田中泯さんが、なぜ、今、このコロナ禍に劇場での上演を決めたのだろう?

そこにはまた田中泯さんからの強いメッセージがあるのではないか。
どうしても作品の上演に立ち会いたいという想いが募った。
ボクは一日だけ、旅先から東京へ出向くことにした。

Photo© ITARU HIRAMA

上演の幕が開いたのは2020年も年の瀬に近づいた2020年12月4日。
早く見たくて初日に伺うと、満席に近い会場。
都内の新型コロナウイルス新規感染者数は平均500人前後を推移していた頃のことだ。

作品の上演は馬に乗った男(田中泯)がある村を訪ねる場面から始まる。
薄暗い舞台上に置かれている木製の棺桶。周囲では仮面をつけた子どもたちが何をするでもなく佇んでいる。
生気を失ったような子どもたちの様子に、この村がただならぬ状況下にあることが、推測される。
ところが男の登場が、村に変化を与える。
唐突な闖入者の登場に村の子どもたちは興味津々、起き上がる。
子どもたちは意識朦朧とした状態で馬の上から転げ落ちた男の所有物であろう長い木を奪い、戯れ出す。
子どもたちに弄ばれていることすら気付かないのか、依然として男は衰弱した様子である。

舞台に対峙的に存在するのは、憔悴した闖入者の男と、闖入者によって<覚醒>した村の人々。
「どこ?どこ?」と何かを探しているのか、女(石原淋)が現れる。
偏執的にすでに失われた何かを受け入れられず探し続けているような悲哀に満ちた佇まい。
次第にムクムクと女の声に覚醒してゆく男。

Photo© ITARU HIRAMA

わたしはその男の姿を見ながら、タイトルにもある「ドン・キホーテ」のことを改めて省察していた。
スペインに生まれた作家セルバンテスの「ドン・キホーテ」は騎士道物語を愛読するあまり自身も騎士道に身を捧げようという衝動に駆られた主人公アロンソ・キハーノが自身を“ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ”、そして飼馬をロシナンテと名付け世界の不正に向き合う旅に出る物語である。

後世、<現代文学の礎>とも呼ばれるようになる小説「ドン・キホーテ」の前編を1605年に、後編をそれから10年後の1615年にセルバンテスが発表してから400余年経った東京。今回、上演される本作『村のドン・キホーテ』で、田中泯が担う「男」を旅に駆り立てるものは一体、何なのか?

この疑問は上演前半で程なく解消する。

Photo© ITARU HIRAMA

闖入者が現れた村に唐突に警報を想起させるような音楽が流れる。
次第にその音は具象性を増してゆく。
銃声。爆発。爆撃。必死につけようとするがつかないエンジン。
子どもたちは一斉に逃げてゆく。
先ほどまで生気を失ったように見えた男がみるみる蘇生、覚醒してゆく。
落ちていた服に身を包み………。
村の人々が逃げまどい、とち狂っていく中、なんと彼はその緊迫感に満ちた「音」にリズムを見出し、踊り相手に変えてしまうのだ。
舞台の「男」は、ダンサー・田中泯として、そこに息づく。

作品は幕間を挟み前・後半の二部構成で上演された。
戦の最中の村を描く前半部。
そして戦が去ったあとの村を描く後半部。

全編を通じて「踊るのだ」という田中泯さんの強い意思が、本公演の言語演出を担った松岡正剛さんが言うように、ドン・キホーテならぬ、山梨の集落から東京の劇場空間へとやってきたミン・キホーテの体に宿っている。
たとえば機械的な音に合わせて繰りなされる、畑を鍬で耕すような身振り。
長らく自身も山梨の小さな集落で暮らし農耕を営んできた田中泯さんらしい、農の民への敬意が伝わってくる。

「道は遠く、国は曲がり、民は騒がしく、富は歪んでいる」

Photo© ITARU HIRAMA

田中泯さんの踊りと石原淋さんの強烈な佇まいに、さらに田中の盟友である松岡正剛さんの言葉、さらにはチェロ演奏の音色と音響、シンプルかつ精巧な美術セットと照明といったスタッフワークが、限りなくシンプルな舞台空間に絶妙な奥行きを与えてゆく。

わたしは舞台上で展開する上演を前に、旅の過程で出会った97歳の長老の言葉を思い出した。
長野県の阿南町でコロナ禍中でありながらも2020年、あくまでも“自主的に”ともに盆踊りを踊った男性の言葉だ。

「鎮魂の思いもあり、どうしても踊りたかったので、戦没者の慰霊碑の前で踊った。そしたら憲兵隊に『こんな時にけしからん』と追いかけられた。でも諦めきれず、暗闇に逃れて踊った」

戦時下にも、踊りはあった。
ハッとさせられた言葉だ。

外出自粛が求められ、他者との交流も自粛が余儀なくされる、先行き不安なこの時代。
自身の欲望をため込んで暴発させてしまう人が増えている。
それは緊急事態宣言以降、急増している日本国内の自殺者数の急激な増加にも現れていると思う。

「溜め込まないでください」

上演後、カーテンコールの拍手が鳴り止まぬ中、田中泯さんのアフタートークが不意に始まった。
田中泯さんは客席の一人ひとりに力強く、語りかけた。

「僕たちは自分の心の中、あるいは頭の中に浮かぶ大切な大切な言葉、それを死ぬまでにぜひ吐いて死にましょう。もったいなさ過ぎます。たくさんの言葉が身体と一緒に消失してしまいます」

田中泯さんからのメッセージをしかと受け取った。
わたしはまた、ミン・キホーテ、ドン・キホーテを胸に、旅を続けようと思う。

INFORMATION

田中泯『村のドン・キホーテ』

日時:2020年12月4日~6日
会場:東京芸術劇場プレイハウス

空間演出:田中泯
言語演出:松岡正剛

<出演>
ドン・キホーテ:田中泯
女:石原淋
馬:續木淳平 手打隆盛
村人:高橋眞大 野中浩一 藤田龍平 山本亮介 ウチダリナ 迫竜樹 林岳
チェロ演奏:四家卯大 佐々木恵 友田唱 平間至

WRITER PROFILE

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太田信吾 Shingo Ota

映画監督・劇俳優。1985年長野県出身。早稲田大学にて哲学を専攻。処女作『卒業』がイメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が世界12カ国で公開される。劇映画『解放区』が2020年ロードショー。新作『サンライズ・ヴァイブレーション』がまもなく公開。俳優としてチェルフィッチュなど演劇作品のほか、TVドラマに出演。

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