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PERFORMANCE

Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4 『ROMEO&JULIETS』
彩の国さいたま芸術劇場 2018.9.14-16

Written by 坂口勝彦|2018.9.19

Photo: Kishin Shinoyama

『ラ・バヤデール』(2016)に次いで、再び新潟のNoismと静岡のSPACが手を組んだ。今回はNoismのダンサーとSPACの役者がほぼ同数出演。プロコフィエフの音楽とシェイクスピアのテキストを使っているが、ダンスと演劇の融合と軽々しく言えるものではない。金森穣はそれを「劇的舞踊」と呼ぶ。言葉もダンスも単純に物語を説明するわけではなく、むしろ物語と言葉とダンスが自律して進行すると、とりあえずは言えるだろうか。1作ずつスタイルが異なるので、それが何であるのか明確に示すのは難しいが、ピナ・バウシュの「タンツ・テアター」が何を指すのかも流動的であったように、金森も常に新しい形を探している。

Photo: Kishin Shinoyama

まず驚くのは、タイトルが示唆するようにジュリエットが複数いることだ。Noismの5人のダンサーがジュリエットとしてひとつになって踊る。顔がはっきり見えないためか、各自の判別がほとんどつかず、運動する粒子のようだ。それに対してSPACの武石守正が演じるロミオは、自らがロミオであるという自覚に満ち満ちているが、常に車椅子に座っているので動きは制約される。動きだけのジュリエットたちと、動きを消して声を発するロミオが対峙する。ジュリエットたちはロミオの声に声では応じずに、ジュリエットたちの動きの中に声は消えて行く。彼女たちは声の力に支配されているように見えることもあれば、声の力から軽々と逃れて疾走するように見えることもある。ずうっと続くこの緊張関係は、次第にその恐ろしさを増していく。

Photo: Kishin Shinoyama

井関佐和子が脇でなにやら不穏な動きを続けているのも、緊張感を高める要因だ。井関は、ジュリエットを知る前のロミオが恋していた女性、ロザライン役らしいが、元々の戯曲にはない登場人物。脇役であるはずなのに、彼女が動くとそこに力強い線がくっきりと残る(実は最後に意味がわかるのだが)。金森も、ロレンス修道士として、得体の知れない力をはらんだずっしりとした足どりで現れる。それは、すべての存在を動かすために自らは不動の点となった特異な存在、すべての動きが潜在する恐ろしいほどの力の中心だ。

Photo: Kishin Shinoyama

白一色で統一された衣裳も舞台装置も、清廉な美しさと見える時もあれば、逃げ場のない光にさらされる息苦しさと感じられる時もある。どうやらここは病院なのだ。シェイクスピアに倣って言えば、「この世は病院、男も女も患者にすぎぬ」ということか。金森は重苦しいまでの視点を作品に担わせようとしているのだ。美しい動きのすぐ脇には、恐ろしい深淵がのぞいている。解き放たれた粒子のようにいつまでも逃げ続けるジュリエットたちに希望を感じる。「劇的舞踊」は、ますます金森穣の思想を体現するようになってきた。

Photo: Kishin Shinoyama

INFORMATION

Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4 『ROMEO&JULIETS』

演出振付:金森穣
音楽:S.プロコフィエフ《Romeo & Juliet》
衣裳:YUIMA NAKAZATO
美術:須長檀、田根剛(Noismレパートリーより)
原作:W.シェイクスピア『ロミオとジュリエット』(河合祥一郎訳より)
出演:Noism1+SPAC

WRITER PROFILE

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坂口勝彦 Katsuhiko Sakaguchi

ダンス批評。思想史。「シアターアーツ」編集委員。舞木の会共同代表。2017年には、『江口隆哉・宮操子 前線舞踊慰問の軌跡』(共著)、ジョン・ディーの「数学への序説」の翻訳(『原典ルネサンス自然学』所収)等を執筆。

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