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インタビュー
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『ある船頭の話』脚本・監督 オダギリ ジョー
インタビュー

Written by 福嶋真砂代|2019.9.27

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

これが自分のひとつの答え

 

「これが自分のひとつの答え」と話すまで、どれだけの試練を乗り越えたのだろう。長編初監督作品『ある船頭の話』が公開したオダギリ ジョー監督に現在の心境を伺った。撮影監督クリストファー・ドイルや主演の柄本明との撮影エピソード、また気になる演出方法や脚本執筆についても語ってくれた。

物語の主人公は船頭トイチ。山あいの川の渡し舟を漕いで暮らしていたが、近代化により橋の建設が進み、心が揺れる。そんなある日、川で傷ついた少女を助けることから、トイチの運命は激流のなかへ……。ひとつの場所を“定点観察”しながら人心の変容を映し出し、人間の根源を問う深いテーマを追う。ドイルの魔法のようなカメラワーク、温もりあるワダエミの衣装、さらにアルメニアのジャズピアニスト、ティグラン・ハマシアンの繊細な音色が滑るように流れ込み、妖しくも美しい世界観を描き出す。

また豪華なキャスティングも見どころ。柄本と堂々共演する川島鈴遥と村上虹郎ほか、サプライズな面々も登場する。当初は時代に取り残されるトイチを演じるつもりで脚本を書いていたというオダギリだが、最近のCMではキャッシュレス社会に追いつけず悔しがる男を演じて印象的。あれは偶然だろうか……?

 

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

「古き良き日本映画」を作りたい

ー待望の長編初監督作品です。映画が完成して、手応えはいかがですか?

実は完成したのがついこの3月くらいで、その時点で作品をもう手放すしかない、いまやどう言われても直しようがないし、開き直るしかないというのが正直な心境です。自分ではひとつの答えを出したつもりではいますけど、それがどう伝わり、どう受け取られていくかは、それぞれ観る方が決めればいいし、逆に僕はそこを楽しみにしています。また一方で、これまでの俳優人生で、ひとつひとつ妥協せずに、やりたいことを見失わずにやれた結果がここなのかなというある種の満足感みたいなものはあって、それが成功か失敗かというのは、誰が決めることでもないのかなと思います。

 

ー映像の美しさに終始圧倒されます。この映像を撮るために、クリストファー・ドイルさんとオダギリさんとの間にバチバチとした丁々発止はあったのでしょうか。

バチバチはほぼなかったです。僕のことを信用してくれ、完全にサポートに徹してくれました。海外の撮影監督というのは「撮影監督」と呼ばれるだけあって、カット割りの権限をすべて持っていて、カメラ位置なんて変えさせないと聞いてもいたので、その覚悟もしていたのですが全然違いました。カット割りからカメラポジションまで、僕の求めることを完全に聞いてくれるというスタンスで、本当にありがたかったです。僕が作りたい映画の世界観を一番大切にしてくれていたのはクリスでした。

 

ー今回は揺れる“ドイルカメラ”とは違いました。オダギリさんが決めて、クリスさんが動くという感じなんですか?

そうですね。カメラはほとんどフィックスにして、あまり動かさない、いわゆる古き良き日本映画みたいなのをやりたいと最初にクリスに伝えました。彼も「古き良き日本映画」というワードに何かを感じて、喜んでました。基本的には僕が考えた事でしたが、もちろんクリスからもアイデアをもらいつつ、良いバランスが取れていたと思います。編集の時に見つけたのですが、僕が気づかないうちにクリスがカメラを回して撮った画がけっこうよかったりして、クリスじゃないと実現できなかった映像はたくさんあります。この映画のビジュアル的なキーパーソンはやっぱりクリスだと思います。

 

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

柄本さんに一度すごく怒られました

ー主演の柄本明さんとの仕事はいかがでしたか。何か心がけたことはありますか。

撮影の中盤くらいに、一度すごく怒られたことがありました。小屋の中のシーンを撮っていた時に、僕がモニターを見ていたんです。クリスの所為にしてはいけないんですけど、僕が見てないとクリスは思いがけない動きをするので、そういう意味でも、モニターでチェックしてたんです。すると「芝居はその場で起きているもので、モニターで見るものじゃない」と柄本さんにすごく怒られて。実は役者からすると、ずっとモニター前にいる監督って「芝居のことより画に重きをおいている」という印象を受け、あまり好まれないんです。そのことは痛いほどわかっていたのですが、やっぱり怒られちゃったという感じでした。その後はできるだけカメラ横で見るように努めました。「なあなあ」になって、お互いに甘えが許される関係になることなく、緊張感を最後まで持続することができたことはよかったと思います。

 

ーロケ地は新潟県阿賀町でしたが、日本でありながら不思議な異国感がしました。そしてヴェネチア国際映画祭<ヴェニス・デイズ>部門(コンペティション)に正式出品が決まりましたね。

俳優としてもいろんな場所にロケに行くたびに、まだ日本に残っている原風景や、自然の壮大な美しさを発見して、「こんなところが残っているんだ」と驚くことがあります。例えば外国の砂漠地帯で、雪が降ることもなく、山々が色を変えるわけでもない、そういう景色の中で人生を送ることを想像すると、様々な情景を見させてもらえる日本は素晴らしいし、海外の人たちにも分け合いたいことですよね。こういう作品を海外の人に見てもらうことに意味があるなと思います。

 

 

無意識に手が動いて脚本を書くのがベスト

ーー「役に立たないものは消えていくんだ」という、なかなか重いアンチテーゼを美しい自然の中にドンと据えた脚本ですが、どのように構築したのでしょうか。これまでのオダギリさんの体験や世界各地で吸収されたものが蓄積して、それが滲み出てきたという感じですか。

いま伺っていて「浸みこんだものが滲み出る」という言葉はとても的を得た表現だと思います。僕は深夜に脚本を書くことが多いのですが、どんな場合でも、とにかくパソコンの前に座って文字を打つということを、たとえ何も書けなくても、自分に課していました。そのときに勝手に滲み出てくれるというのが理想的で、それが結果的に台本になっていると思います。セリフのひとつひとつにしても、無意識のうちに手が動いて、後から読み返したときに「ああいいセリフだな」と思えるのがいちばんいい状態ですよね。

 

ー残酷さと希望が入り混ざるようなエンディングについては悩みましたか? 他にも選択肢はあったのでしょうか。

あのシーンはけっこう最初のほうから書いていました。実は脚本を書くひとつの手法で、「ストーリーは最後から書け」というのをアメリカの大学で教授に教わったんです。

 

ー脚本、撮影、編集のうちどこがいちばん大変でしたか?

もう全然、撮影です。脚本を書くのは好きなので、書き終える瞬間がいちばん幸せを感じます。もしかしたら映画が完成するよりも、嬉しいかもしれない(笑)。撮影がいちばん苦しくて、編集は、その材料を吟味しながら料理し直す、みたいな作業なのかなと思います。僕はけっこう細かく描写を書き込むタイプで、ある映画監督がそれを読んで、「ちょっと書き込み過ぎだよ」と注意されたくらい、画を固めてしまうような台本なんだそうです。下手したらカメラ位置とかもなにげに書いてあるくらいに。

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

「この作品を作れるのは自分しかいない」という気持ち

ーその脚本を映像化するために、現場で臨機応変に対処することのおもしろさを感じられましたか。

おそらく経験や、覚悟や、様々な要素が関係するのかなと思いますが、僕にとってそれは面白さというよりも苦しみの方が大きかったと思います。他の映画監督が10本作っている間に、僕はこの1本しか作っていない。みなさんが10本かけてやる勝負を、僕は1本でしなければと思っていたので、その分、ストレスやプレッシャーがありました。自分で書いた脚本だからこそ「なんでこれが画にできないんだ」と、自分で自分の首をしめていた状況ですね。

ーそれでクランクイン1週間で口内炎を20個作って5kgも痩せたと(プログラムインタビューより)。そんな限界の状態で何がオダギリさんを動かす原動力となったのでしょうか。

やはりスタッフやキャストのみなさんが僕を信じてくれて、背中を押し続けてくれたことです。本当に苦しくて投げ出したくなるときも、このたくさんの人たちが、自分を信じてくれ、僕の夢のために力を注いでくれるのは本当にありがたく、少しでも恩返しをしなければという思いはありました。ただ、それだけと言っても過言ではないかもしれないですが……。

 

ー他の監督に託そうとは思いませんでしたか?

他の方で「よし、この作品で勝負しよう」なんて思う監督はいないと思いますよ(苦笑)。ビジネス的なことをほとんど無視した作品ですから。だからこそ「この作品を作れるのは自分しかいない」という気持ちでした。でも「こんなに挑戦的にしなくても」とは思いますね、次に書くならその辺りは気をつけたいですね(笑)。

 

ー役を演じようとは? あるいは自分が投影されている登場人物はいますか?

監督業を考えるとそんな余裕もないだろうし、そこはまったく思わなかったです。ただ、もともとトイチは自分で演じようと思って書いていたので、僕にいちばん近いかもしれないです。(少し考えて)でも、映画の中で結局変わっていないのは仁平(永瀬正敏)だと思うので、ああいうタイプかなとも思います。まあ、源三(村上虹郎)ではないかな(笑)。

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

“人間という楽器”をどう弾くかを学んでもらった

ー源三はちょっとコミカルなキャラクターでしたが、村上虹郎さんの演出はどのように?

間にしても、ニュアンスにしても、彼にはかなり細かくアドバイスして、何回もやってもらいました。「笑い」ってそういう独特の難しさがありますよね。やり過ぎても、やらな過ぎても笑えない。人間ドラマの中でやろうとすると、その難しさが余計に出ちゃうのかなと思います。

 

ーオーディションで選ばれた川島鈴遥さんにもイチから演出したそうですね。

川島さんには、例えば、自分を「人間」という楽器だとすると、どこをどう弾いたらどういう音が出るかということを学ぶレッスンを何ヶ月もやってもらいました。そこではセリフの練習は一切やらずに、感性や感覚をどう伸ばしたり、刺激を与えるとどう広がるかということを感じてもらったり。さらに現場でホン(台本)に向かう準備とか、あるいは監督の演出に向かうための自分の持っていき方とか、細かいところまで伝えたつもりではいます。結果的にすごくよい答えを出してくれましたし、今後が楽しみな、素晴らしい女優さんだと思います。

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

オダギリ ジョー監督の挑戦と冒険

ー以前、NHKドキュメンタリー番組<ラストデイズ>「勝新太郎xオダギリ ジョー」(2014)で、「生きている限り、実験と冒険を続けなければならない」という勝さんの言葉に共感されていました。この映画もオダギリさんにとって「実験と冒険」に挑戦したと言えるでしょうか。

無難なものを僕が作ってもしょうがないと思うんです。例えば青春ものに強い監督はそれを撮るべきだけど、じゃあ自分は何を撮るべきかと考えると、自分らしい世界があるわけではないので、いろんな挑戦をそこに乗せていかないと勝負できないと思うんです。この脚本そのものが挑戦的だったし、例えば設定をほとんど変えない、話を展開させない、というのは映画的にはマイナスなことかもしれない。でもそれをいかに成立させるかというところに挑戦しなければ、自分が今回映画を作る意味はないという思いがありました。そういう意味ではすごく冒険的な作品になったし、だからこそ「自分で自分の首をしめていた」という表現がいちばん近い気がしますね。

©2019「ある船頭の話」製作委員会

 

世界を舞台に活躍するオダギリならではの壮大で地球コンシャスな視点。物語は、惨殺事件の噂、謎の少年、傷を負った少女が登場し、ミステリアスな展開に。柄本明の至高の演技。オダギリと最高のコラボレーションをみせるドイルの映像妙技と、柔らかく絡み合うハマシアンの音楽。一流のスタッフとキャストが集結した「10年越しの勝負作」と話すが、次回の監督作もすでに楽しみになってきた。

 

©MasayoFukushima

 

オダギリ ジョー 

 1976年2月16日生まれ、岡山県出身。アメリカと日本でメソッド演技法を学び、2003年、第56回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『アカルイミライ』(黒沢清監督)で映画初主演。その後、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞を始め国内外の数々の賞を受賞。その活動は国内だけにとどまらず、海外作品にも多く参加している。本年2019年は『宵闇真珠』(ジェニー・シュン/クリストファー・ドイル監督)が公開。待機作に『サタデー・フィクション』(ロウ・イエ監督)、『人間、空間、時間、そして人間』(キム・ギトグ監督)。これまでの監督作は『バナナの皮』、『Fairy in Method』(共に自主制作短編)、第38回ロッテルダム国際映画祭招待作品『さくらな人たち』(09/中編)。テレビ朝日の連続ドラマ『帰ってきた時効警察』(07)第8話では脚本、監督、主演の3役を務めた。今年秋には『時効警察』の新シリーズ『時効警察はじめました』が12年振りに復活する。

INFORMATION

ある船頭の話

脚本・監督:オダギリ ジョー
撮影監督:クリストファー・ドイル
衣装デザイン:ワダエミ
音楽:ティグラン・ハマシアン
配給:キノフィルムズ/木下グループ
©2019「ある船頭の話」製作委員会

WRITER PROFILE

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福嶋真砂代 Masayo Fukushima

旧Realtokyoでは2005年より映画レビューやインタビュー記事を寄稿。1998~2008年『ほぼ日刊イトイ新聞』にて『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』などのコラムを執筆。2009年には黒沢清、諏訪敦彦、三木聡監督を招いたトークイベント「映画のミクロ、マクロ、ミライ」MCを務めた。航空会社、IT研究所、宇宙業界を放浪した後ライターに。現在「めぐりあいJAXA」チームメンバーでもある。

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