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見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界
ハリナ・ディルシュカ監督

Written by 佐藤久理子|2022.4.18

男性優位の社会で内なる宇宙を見据え、抽象絵画のパイオニアとなったヴィジョネール

18世紀後半から19世紀初頭まで、多くの国では芸術アカデミーの会員に女性を受け入れなかった。彼女たちは作品のモデルになることは当たり前でも、逆の立場になることは想像されなかったか、あるいは無視されていたようだ。その後女性芸術家の名前が少しずつ登場するようになっても、そのなかでどれだけの者が正当な評価を得られたことだろう。わたしたちが芸術の歴史を振り返るとき、そんな不均衡に胸が痛むとともに、その不当な闘いは依然現代も続いていることを認めざるを得ない。

1862年生まれのスウェーデンの女性画家、ヒルマ・アフ・クリントもそのひとりである。カンディンスキーやモンドリアンよりも早く抽象絵画に目覚めていた彼女が世間に認められるようになったのは、没後70年近くも経ってからだった。なぜここまで時間がかかったのか。彼女のドキュメンタリー『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』は、そんな美術界の裏事情を教えてくれるとともに、神秘主義に傾倒し、ヴェジタリアンという言葉が生まれるはるか以前にビーガンであり、地球規模を超えて宇宙を見据え、溢れるエネルギーで絵画を描き続けたヴィジョネールとしての彼女の人生を明らかにする。

本作が長編デビュー作となったドイツの女性監督、ハリナ・ディルシュカは、ヒルマ自身が遺した言葉と親族、美術評論家、コレクターらのインタビューを織り交ぜ、彼女の軌跡を辿りながらその作品を紹介する。

スウェーデン王立美術院に入学し、やがて職業画家としてスタートしつつ、「誰にも似ていない作品」を描き続けたこと。神智学を拠りどころとし、同じ思想を持った女性たちと共に「5人」という芸術家集団を創設。「わたしの中にはわたしを前進させる力がある。結婚や家族という幸せはわたしの運命ではない」と、黙々と創作を続けたこと。神秘思想家の権威、ルドルフ・シュタイナーに絵を見せるも、「あなたの考えは間違っている」と否定されたこと。自身の抽象画作品を公に発表せず、死後20年間は世に出さないように謎めいた遺言を残したことなど。そのおかげで20年以上経った後も彼女の作品は世に出ることなく、美術史からは黙殺され、遺族が作品寄贈の申し出をしたときですら、地元ストックホルム近代美術館は断ったという。

2013年にようやく、同美術館が彼女の個展を開くと百万人の来場を記録したのをきっかけに、作品は世界を巡回し、抽象画のパイオニアとしてその名が一躍広まった。

もっとも、このドキュメンタリーは詳細を掘り起こすノンフィクションとしてのみ優れているわけではない。「私は原子だ。私と世界は切り離せない。自分の内に宇宙を形成する」「私自身ではなく、大きなエネルギーが描いたのだ」と語り、多彩な色使いと自由な造形で、温かさと生命力に満ちた作品を生み出した彼女の思想、その哲学に映像で近づくために、ヒルマの見たであろう景色、とくに自然の神秘や万物の美しさを掬いとっている。

宇宙に開かれた彼女の眼差しの先には、どんなプリズムが見えていたのか。卵の黄身を解いて独特の色彩を作り出し、螺旋や抽象的フォルムをリズミカルに描いた彼女はどこに向かおうとしていたのか。答えは誰にもわからない。ただその作品は、知的分析よりも肉体的感覚や本能で受け止めるべきものだということが、スクリーンを通してずしんと伝わってくる。

彼女の絵を、生で観たくてたまらなくなった。

WRITER PROFILE

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佐藤久理子 Kuriko Sato

パリ在住。編集者を経て、現在フリー・ジャーナリスト。映画をメインに、音楽、カルチャー全般で筆を振るう。Web映画コム、白水社の雑誌「ふらんす」で連載を手がける。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。

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