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EXHIBITION

ジョーン・ジョナス『Simple Things』
WAKO WORKS OF ART, 2018.11.17-12.26

Written by imdkm|2018.12.21

Video still from《Reanimation Performance (Milan 2014) リアニメーションのパフォーマンス(ミラノ 2014年)》, 2014, (c) Joan Jonas, Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, WAKO WORKS OF ART

かつてロザリンド・クラウスは「ビデオアートのメディウムはナルシシズムだ」と論じた。ビデオアートは(ビデオとは時間を扱うメディウムであろうという予断とは裏腹に)過去や歴史といった時間性から切り離された現在に主体を閉じ込め、自己にのみ関心を向けるナルシシズム的な状況をつくりだす、というのだ。そして、このナルシシズムの閉域を打ち破ろうとする作品の例に挙がったのが、ジョーン・ジョナスによる《ヴァーティカル・ロール》だった。クラウスによれば、同作の、カメラとモニターの垂直同期を狂わせることによって生じるイメージの乱れが、現在以外の時制を排除されたナルシシズムの閉域に、再び時間の観念を導入しているという。

もちろんこれは、半世紀近く前の作品についての半世紀近く前の解釈である。当時のビデオの技術的な限界におおいに規定されているために、たとえばGoProのような最新のガジェットを鮮やかに、軽やかに使ってみせる近作(《美しい犬》)にまでこの解釈を敷衍することはナンセンスと思われるかもしれない。

Video still from《Beautiful Dog 美しい犬》, 2014, (c) Joan Jonas, Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown’s enterprise, WAKO WORKS OF ART

とはいえ、《リアニメーションのパフォーマンス》での書画カメラを用いたドローイングなどは、パフォーマンスが行われるいま・ここにテクノロジーが介入することによって、現在と流れゆく時間のあいだに存在する断絶を明るみに出している。イメージがスライドショーのように次々と投影されるスクリーンには、ジョナスの手元を映し出す書画カメラの映像が重ねられている。イメージの輪郭を書画カメラを通じてなぞっていくが、その線が一定の像を結ぶ前にイメージは次のものへと移り変わってしまう。ドローイングは常に「現在」に追いつききれず、過ぎゆく時間の痕跡だけを残してゆく。また、《完璧なおとり》に登場するほどかれる毛糸玉のように、不可逆的な時間の経過を示唆するモチーフも用いられていたのも印象深い。パフォーマンスとビデオという二つのジャンルを横断するジョナスならではの関心が一貫していることが感じられた。

Video still from《Flawless Decoys 完璧なおとり》, 2017, (c) Joan Jonas, Courtesy of Gavin Brown’s enterprise, WAKO WORKS OF ART

もうひとつ興味深かったのは、ジョナスのイメージの生成や変形に対する関心だった。具体的にいえば、パフォーマンスのなかに頻出する、既存のイメージをなぞるドローイングはもちろん、《完璧なおとり》でのフロッタージュ、《美しい犬》での歪んだ鏡やスクリーンを介した撮影など。そういえばジョナスは、活動の早くから鏡を用いたパフォーマンスでも広く知られるのだった。本展でジョナスの作家性を垣間見るにふさわしい近作を見ることができただけに、回顧展など、その活動を広く総覧する機会が設けられることに期待したい。

INFORMATION

ジョーン・ジョナス『Simple Things』

WAKO WORKS OF ART
2018年11月17日〜12月26日

WRITER PROFILE

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imdkm Imdkm

ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。ブログ「ただの風邪。」http://caughtacold.hatenablog.com/

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