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EXHIBITION

「ヨシダミノル Performances in New York」
Ulterior Gallery at Space 23°c in Tokyo 2019.6.14-16

Written by 神山亮子|2019.8.11

Photo : Seiji Kakizaki / Courtesy of Midori Yoshida & Ulterior Gallery, NY

ヨシダミノル(1935-2010)は、関西の前衛美術家たちが結成した具体美術協会後期のメンバーとして、1960年代後半にハードエッジの絵画、そしてアクリルやモーターを使った近未来的風貌の立体で注目された。そして1970年代以降は、パフォーマンスを主体とする活動へと方向転換する。その出発点となったニューヨーク時代の記録が、雨の降りしきる2019年6月の3日間、東京で初上映された。1974年から76年にかけてヨシダが行った7つのパフォーマンス映像と、スタジオで撮影された映像である。

Courtesy of Midori Yoshida & Ulterior Gallery, NY

そのひとつ、《The Theory of New Relativity ; Featuring Synthesizer Jacket #2》は、1974年11月、シャーロット・モーマンが主催する「第11回アヴァンギャルド・フェスティバル」で実行されたパフォーマンスだ。スタジアムのフィールドでヨシダは、上方から垂らした長いロープに身体を吊るし、地面を蹴って空中に飛び上がった。ロープの反動を利用してさらに高くジャンプし、長く空中に留まろうとする一部始終が白黒のビデオにおさめられている(上映はデジタル変換したもの)。

ヨシダはタイツにロングブーツを履き、自家製のシンセサイザー・ジャケットをまとい、どこか未来的な装備である。地面には古布だろうか、クッション材が山型に積まれている。空中に浮遊する様子は、撮影の角度によっては月面に着陸する宇宙飛行士にも見えてくる。地面に規則的に並べられた金属板が宇宙と交信するかのように太陽の光を反射する。

現実には重力はしっかりと作用して、ヨシダの身体を地面へと容赦なく引き戻す。ありあわせの装置と人力による反重力の試みには、5年前の1969年、アポロ11号の月面着陸に象徴される宇宙空間への人類進出、科学技術の発展と背中合わせの非合理性への志向、そして渡米したヨシダが味わった疎外が、比喩として演じられているのだ。

ヨシダを囲み見守る人々の姿には、ヨシダの途方もない挑戦が周りに及ぼす心理的効果が読み取れる。幾度ものトライアル・アンド・エラーと、飛び上がっては地上に引き戻される身体の往復運動。苦行とも言える行為を淡々と実行するヨシダと、驚き呆れあるいは応援にまわる観客の間には、ある種のコミュニケーションが生まれていた。

このヨシダのコミュニケーションを補強するのが、シンセサイザー・ジャケットが奏でる単調な電子音である。流線型に切り抜いたアクリル板がベースの手製シンセサイザーで、今回上映された8本の記録映像では常に装着されていた。

Courtesy of Midori Yoshida & Ulterior Gallery, NY

有機的な形に切り抜いたアクリルや電子機器は、具体メンバー時の1960年代末、モーターによって動くアクリルと水、蛍光灯の反射や透過光が空間を満たす「環境芸術」に既に登場している。1970年の大阪万博に出品した《Bisexual Flower》は、その代表だ。ここで先端技術の助けを借りて、作品と鑑賞者との境界を取り払うハプニングの発生が目論まれていたと見れば、その後の展開も納得できる。

1975年から76年にかけてのパフォーマンスは路上や海岸で行われ、対話や言語を介した直接的なコミュニケーションが加わった。漢字という外来語をベースに発展させた母語と、その翻訳(不)可能性が、技術に代わりヨシダの主題として浮上してくる。例えば1976年の《Absolute Landscape #3(Psychic Revolution) ; Featuring Synthesizer Jacket #2》における漢字を1字ずつ日本語と英語で読み上げる場面について、HORISAKI-CRISTENSは、ひらがなやカタカナの要素を欠落させることで、意図的に翻訳に齟齬を生じさせていると指摘している。(NINA HORISAKI-CRISTENS, When Video Promised a Sci-Fi Future, “artasiapasific”“, issue 112, Mar/Apr 2019, pp.73-76)

ヨシダミノルは、移民であり文化的周縁に立つ自らの立場を、地球外生物の到来という時代の物語を巧みに重ねてユーモラスに描いてみせた。宇宙から来た男が異星人なのか、地球人が異星人なのか。ヨシダが頭にかぶった透明のカプセルは、彼を周囲から隔てると同時に、周囲を彼から隔てている。しかし透明のカバーを通して相手の姿は見える。音はかすれるかもしれないが、話すこともできるはずだ。ここで提示される異文化との衝突とその作用、そしてコミュニケーションへの欲求は、グローバリズムが進む現代において、ますますリアリティをもって私たちに迫ってくるだろう。

戦後のニューヨークは世界のアートの中心地として、多くの美術家たちをひきつけてきた。白人男性中心の価値体系にひとり挑んだ草間彌生をはじめとする日本人たちの奮闘の厚みに、ヨシダミノルは鮮やかな色層を加える。そして今回東京で私たちがヨシダミノルの歴史的な素材に対面する機会をつくったのが、ニューヨークの日本人ギャラリストであったことを心から祝いたい。会場となったスペース23℃は、急逝した榎倉康二のスタジオを使ったギャラリーで、2000年の開廊時から榎倉の作品や資料を根気強く紹介してきた。その活動は、いわゆる「もの派」として位置付けられることの多い榎倉康二の、フレームを外した姿を着実に伝えてきた。ヨシダミノルについても、具体における評価のみならず、後半期のパフォーマンスまでを含んで見えてくる思想や、渡米の前後をつなぐ活動を詳細に検証することが肝要ではないかと思う。その意味でも、今回のビデオ上映の貢献は大きい。

Photo : Seiji Kakizaki / Courtesy of Midori Yoshida & Ulterior Gallery, NY

INFORMATION

「ヨシダミノル Performances in New York」

Ulterior Gallery at Space 23°c in Tokyo
2019年6月14日〜16日

WRITER PROFILE

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神山亮子 Ryoko Kamiyama

戦後日本美術史研究。府中市美術館学芸員。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。作品と基礎資料の調査を基礎に、展覧会企画や論文を通して戦後日本美術史の記述を行う。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。

担当した展覧会に「高松次郎—思考の宇宙」(2004年)、「多摩川で/多摩川から、アートする」(2009年)「描く児—O JUN 1982-2013」(2013年)。主な執筆に「可能性のドローイング」(『高松次郎 All Drawings』大和プレス発行、2009年)、「二十年後の返礼」(『Reflection: 返礼-榎倉康二へ』論考編)、『青木野枝 流れのなかにひかりのかたまり』(左右社 2019年)。共編著に『高松次郎を読む』(水声社、2014年)。

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