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EXHIBITION

横尾忠則 幻花幻想幻画譚 1974-1975
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)、2018.9.5 – 10.20

Written by 榎本了壱|2018.12.7

 

 全宇宙を「移写」する

 

「横尾忠則幻花幻想幻画譚1974−1975」には、12,000人を超える入場者があったという。この数字だけでも脅威だが、その内容はもっと驚異だった。

瀬戸内寂聴の東京新聞に連載された小説「幻花」は、室町時代の為政者、足利家一族とその周辺の人々が織り成す物語である。史実を基にしながら、寂聴の妄想力が幻想異形の物語世界を構築していく。それを横尾忠則が1年余りに渡って挿画した原画展である。

 

photograph by Mistumasa Fujitsuka

 

gggのギャラリーの2フロアは迷路のように空間構成され、小さな照明に照らされた8㎝×14㎝の小さな原画371点が、3〜5段構成で秘密文書のように並ぶ。マットで囲んでいるのでそれぞれの絵は干渉されない。1点づつを至近距離で凝視できる。貴族文化や仏教など、確かに室町朝の時代らしきモチーフも多いけれど、それに決して終始しない。横尾ワールドの絵画的ボキャブラリーが、万華鏡のように炸裂していく。

 

photograph by Mistumasa Fujitsuka

 

この原画展での見所は広角的である。1970年代には、横尾さんはすでにスピリチュアルな世界への興味を強く持たれていて、インドに通うようになり、この連載中もインドに行っている。行く前に、出来上がっていない小説の挿画も完成させている。そこには、UFOから瞑想世界の事象までが描かれていたと、寂聴さんも回想する。横尾さんの絵画ボキャブラリーはさらに、宇宙、鉱物、動植物、死生観図へと拡張していく。

作品集の解説を書かれた林優氏(横尾忠則現代美術館学芸員)は、絵巻から草子、様々な古書や、映画写真、世界の美術史からの「模写」を、横尾さんの原点とされ、『横尾忠則森羅万象』(東京都現代美術館2002年)のカタログに作家論を書かれた若桑みどり氏は、横尾さんの創作法の原則は「インターテクスチュアリティー(引用とリテラシー)」と論じている。画家としての作品をそう読み取ることは納得のいくことであるが、「画家宣言」をされる前から、横尾さんの表現の根幹のところで、宇宙、自然気象、生物の生態から、美術史上のあらゆる出来事まで、それを「写移」する。横尾さんの「見えてしまっている世界」を顕在化すること、それはいわば宇宙誌を描くことなのだ。これを時代小説の挿画で実践してしまった。

 

 

それにしても、現代のネット社会から40年も前の時代に、「写移」すべきオブジェクトをどのように手に入れていたのか。それは、横尾さんのアトリエに蓄積された膨大な画集や、書物の山を見ると、印刷物と言う情報の宝庫と、いつも流通している横尾さんの姿が浮かんでくる。5歳の時に描かれたという「巌流島の決闘」の模写も、一冊の絵本がその元所だった。

 

INFORMATION

横尾忠則 幻花幻想幻画譚 1974-1975

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
2018年09月05日~10月20日

WRITER PROFILE

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榎本了壱

1947年東京生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒業。クリエイティブ・ディレクター、プロデューサー。株式会社アタマトテ・インターナショナル代表。京都造形芸術大学大学院客員教授。日本文化デザインフォーラム理事・幹事。著書『アートウイルス』『アーバナートメモリアル』『榎本了壱のアイディアノート・脳業手技』『東京モンスターランド』他。1980年より『日本グラフィック展』『オブジェTOKYO展』『URBANART』を1999年までプロデュース。TOKYO2020オリンピック・パラリンピック・エンブレム委員。2016年ギンザ・グラフィックギャラリーで「榎本了壱コーカイ記」展開催。  

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