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EXHIBITION

内海 聖史 展 「あらゆる時間」
ギャラリエ アンドウ、2018.10.09 ~ 10.20

Written by 岡里崇|2018.10.17

撮影:加藤健

 

この手があったのか!

内海聖史の個展ではいつもそう思わされる。

この作家はドットを重ねていく単純な手法の絵画を制作しながら、常に以前の作品や展示のイメージを裏切って予測できない動きを見せる。

見たこともない絵画を作り出し、あるいは体験したことのない絵画空間を現出させ、同じ会場で何度個展をやっても、毎回全く違う印象を与える。それこそがこの作家の魅力である。

今回の個展会場に足を踏み入れたとたん、誰しもアクリルケース使い方に驚くだろう。作品保護のために作品を透明なアクリルケースで覆うのは珍しいことではない。しかし会場で目にするのは、色つきのアクリルケースが絵に被せられている情景である。絵画は色付きのアクリルによってフィルターをかけられ、元の色彩が分からない状態に無理矢理置かれる。それだけではなく、濃い色のアクリルケースが被せられた作品は、中に存在するはずの絵画が影も形も見えない。見えるはずのイメージが認識できない宙ぶらりんの状態で放置され、見る側は困惑するばかりである。我々の視線はアクリルを透過できず、作品を見たいという欲求は、強固なアクリルを前にして見事にはじき返されてしまう。そして我々は絵画が見えないことに対して強いストレスを感じることになる。

 

撮影:加藤健

 

見えない作品という展示形態は以前にも違う形で見られた。「6つの個展2015」(茨城県近代美術館、2015年9月5日〜10月18日)では驚くべきことに他の作家の作品を展示した壁の背後のガラスケースに内海の作品が隠されていた。一部分だけガラスケースが見えるようになっていたが、ガラスケースの大部分は壁に遮られて作品がほとんど見えなかった。正面からきちんと鑑賞出来ない以上、開かれていた部分から左右の展示がどうなっているか覗くしか無く、全体像や展示されている個々の絵画を把握することは困難であった。内海はこの時に、絵画には見たいという欲求が張り付いていると感じたそうだ。

 

撮影:加藤健

 

作家はこのようにして我々の認識に揺さぶりをかける。今回は絵画が見えないことのストレス、絵画を見たいという欲求を強く意識させた。単純な手法でいつも同じような絵画を制作しているように擬態しながら、絵画に対する斬新な見方を提示し、絵画を成立させてきた既成概念を問い直してくる。

次回はどのような手を打ってくるのだろうか?
次なる個展が楽しみな作家である。

 

INFORMATION

内海 聖史展「あらゆる時間」

ギャラリエ アンドウ
2018.10.09~ 10.20

WRITER PROFILE

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岡里崇 Takashi Okazato

上野の森美術館学芸員。主な担当展に「Art of our time」(2008年)、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」(2013年)、「映像表現の現在−宮津大輔コレクションより−」(2015年)、「江戸から東京へ~上野の森美術館所蔵浮世絵展」(2015-2016年)、「金氏徹平『記号は記号ではない』©松田青子」(2017年)、「歌川広重《不二三十六景》と幕末・明治の浮世絵展」(2017年)、「創作版画と新版画−上野の森美術館所蔵近代版画展−」(2018年)など。  

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