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INTERVIEW

片山真理 個展「Broken Heart」
サイモン・ベーカーとのアーティスト・トーク
White Rainbow、ロンドン 2019.1.24 – 3.2

Written by 飯田真実|2019.3.1

展示風景(左:you’re mine #001、 2014、 右:Shell、 2016、手前:Dolls、2018)©Mari Katayama, Courtesy of rin art association and White Rainbow, London, 2019  Photographed by Damian Griffiths 

 

ロンドンにあるアートギャラリーWhite Rainbow(ホワイトレインボー)は、現代アーティスト片山真理の個展「Broken Heart」(ブロークンハート)を3月2日まで開催している。片山にとって初の欧州での個展となる本展はさながら回顧展の様相で、初期の代表作である《小さなハイヒールを履く私》と《子供の足の私》(共に2011年)から、《cannot turn the clock back》(2017年)、顔が鏡になった人体像のあるインスタレーション《Dolls》(2018年)も見ることができる。また個展の開幕と同時に、作品集『GIFT』も刊行された。内覧会翌日の1月24日には、同画廊と国際交流基金の共催で、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツを会場にアーティストトークが行われた。前述の作品集に寄稿している元テートの学芸員で昨年よりヨーロッパ写真美術館(在フランス・パリ)の館長に就任したサイモン・ベーカーが駆けつけ、片山のイメージの構築の仕方についてアーティスト本人に問いかけながら、参加者の理解を深めた。

はじめに国際交流基金ロンドン日本文化センターの高鳥まな所長から、片山の経歴へ称賛の辞が述べられた。片山が自分の身に起きた経験の中で育まれた独自の感性により作り出すオブジェやセルフポートレート写真に、国内外のキュレーターからの関心も高まっていると言う。続いて紹介されたベーカーに促され、片山は用意した画像を見せながらプレゼンテーションを行った。

展示風景(左:I’m wearing little high heel、 2011、 右:I have child’s feet、 2011、手前:Dolls and Boxes、2018)©Mari Katayama, Courtesy of rin art association and White Rainbow, London, 2019  Photographed by Damian Griffiths

片山真理(1987年生まれ)は、幼少期より裁縫に親しみ、絵を描くのが好きだった。9歳の時、先天性四肢疾患により両足を切断する。片山は作ったものや絵を写真に撮っては、普及中にあったソーシャルメディアなどで公開し他者とつながり、日本の美術界にも受け入れられていく。育った群馬県の大学で美学美術史を、東京藝術大学大学院にて写真を学ぶ。手縫いの作品や装飾を施した義足などと一緒にセルフポートレイトを制作。2011年より歌手やモデルとしてステージに立つための特製ハイヒールを履く「ハイヒールプロジェクト」を行う。

サイモン・ベーカー(以下SB): 「この《小さなハイヒールを履く私》の写真について質問したいのだけど、このシーンを作るのには事前に全体の構想があったのですか?」

片山真理(以下MK):「まずスケッチを描き、それを元に事前に作っていた大量のオブジェを並べ、衣装を着た自分も加わりました。当時住んでいた6畳のスペースの中で、100回以上もファインダーを覗きに行ったり来たりしながら自分でシャッターを押しました。最初のスケッチとは多少異なるイメージになっています。」

SB:「自分の作品の中に、自分を用いることについてはどうですか?セルフポートレートというよりは、自分が描いたキャラクターを演じるパフォーマンスに近いように思えます。」

MK:「確かにこの写真にはストーリーがあって、小さな子供が憧れの母親の真似をして、口紅を塗り、玄関に置いてあるハイヒールを履いて歩くという・・・また当時、私は夜に歌を歌ってお金を稼いでいましたが、ある日お客さんの一人から、ハイヒールが履けない女は女じゃない、と怒られました。じゃあ義足でもハイヒールを履いてやる!と思って、その義足から作ることにしました。この時、ハイヒールを履くことはおしゃれ=余計なものとして、日本のこれまでの福祉や医療で抑制されていたということにも気がつきました。ハイヒールは、私にとって戦いの象徴であり、憧れを表すイメージです。一方で、この写真を見せて今日のように長い説明はしたくないんですよね。(大学院の)卒業のために撮った写真でもあるので(笑)。」

SB:「卒業制作は成功したわけですね!」

MK:「ギリギリでしたが、卒業できました(笑)。」

展示風景(cannot turn the clock back シリーズより、全て2017)©Mari Katayama, Courtesy of rin art association and White Rainbow, London, 2019  Photographed by Damian Griffiths

また、撮影の方法論についてベーカーに聞かれると、片山はこの時確立された自分のスタイルとして、自分でシャッターを押すことと、自然光で自分の部屋で撮ることと答えた。一方、片山の作品に直接影響を及ぼした写真家やアーティストはいないと言う。まさに手探りで作り出そうとするイメージは、片山自身であり本人が暮らす場所というパーソナルな世界でありながら、その創作性はどこか別の世界に導き、演出した自分を通じて見る者の心にもある憧れにたどり着きたいと願うものだった。

続いて片山本人も回想するように、近年は活動の舞台も広がりその方法論にも変化がおよんだ。《shadow puppet》や《bystander》(共に2016年)の制作を例に挙げる。前者は奇形した左手(片山は、自分のサインを求められた時にその手のシルエットを描く)を影絵の主人公にし物語を与え、その化身が自分の部屋を出て外の世界を歩き出した。後者は、瀬戸内国際芸術祭のために制作されたが、群馬と現地との行き来に身体的な限界を感じ、人の「手」を文字通り「借りる」こととなる。直島の人の手を写真に撮り、プリントした布地でオブジェを作ったのだ。その複数の手をドレスのようにまとった片山は、直島の人や海などを背景に写真を撮った。

MK:「家の中でオブジェを作り自分とつなげて写真を撮っていた自分にとって、自分と他者の体がつながったのは世界が変わったような経験でした。」

SB:「風景が加わった写真には、何か意味があると思いますか?」

MK:「その意味はまだわからないけれど、外に出て関心が世界に向けられるようになり、自分が消えてしまうように、いつかセルフポートレートをやめてしまうのではと思うようになりました。」

展示風景 ©Mari Katayama, Courtesy of rin art association and White Rainbow, London, 2019  Photographed by Damian Griffiths

最後に、聴衆からの質疑応答で、片山とベーカーにそれぞれ、興味深い質問が投げかけられた。

片山への質問:「外界に意識が開かれたいま、どのような作品を作ろうとしていますか?」

MK:「現在暮らす群馬県太田市という地域で生きている人たちとその歴史に関心を持ち始めました。そこは隣接する栃木県の足尾銅山の鉱毒が川から畑に流れ込み被害を受けた地域。山に登り、どのように住民がその歴史を乗り越え、暮らしているかを知りたいと思いました。また、自分には娘も生まれ、これまでとは違う写真を撮ることになると思います。」

ベーカーへの質問:「片山真理の作品はなぜイギリスで人気なのですか?」

SB:(「僕は今フランス人になったから、答えるのが難しいな」と会場を笑わせて上で、こう答えた)「最初に真理の作品を見たのはアムステルダムで開催されているUnseen 写真フェスティバルでした。今日会場にも来ている当時のテートの同僚たちと見ましたが、真理の作品はこれまでに僕が見たどんな写真とも異なるものでした。日本人だからとかそういう次元ではなく、真理の作り出す写真の世界がユニークだったからだと思います。また今日皆で目撃したように、真理の写真には類まれなコミュニケーション能力があります。彼女が得た写真という『声』によって、東西の文化の差異などたやすく超えていくのでしょう。」

アーティストトークの様子(於ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ) 写真提供:White Rainbow

トークは時間の都合上ここで終了してしまったため、作品集『GIFT』に寄せたベーカーの片山真理論から少し補足したい。ベーカーは、アーティストの主観性の表現について「表現のプロセスは、同時に自己の発見や自己認識、そして自己の構築のプロセスでもある」とし、言い換えれば作品を制作することは「生きることを再構成すること」と言う(片山論の和訳タイトルにも採用されている)。2017年にガーディアン紙がまとめた片山に関する記事にも答えているベーカーは、「アイデンティティ」や「パフォーマンス」というキーワードと共に、シンディ・シャーマンやジェフ・ウォールら現代アーティストの名前を挙げているが、どの前例にも当てはまらない表現であると議論の余地を残していた。同論考では、ペインティングやオブジェとそれらに囲まれた空間の作り込みといった極私的な制作と、最終的な写真としての表現のプロセスの中で、複雑に織り合わされたレイヤーに注視し、「ルイーズ・ブルジョワや草間彌生を想起させる、より抽象的に歪められた象徴的価値の創出に着手している」と記す。

同時に、その結果としての表現の解釈に慎重なベーカーは、超現実主義者のバタイユを引きつつ、ブルトンが『ナジャ』で試みた自画像的創造のセリフを呼び起そうとする。片山自身のプレゼンテーションでも明らかにされた通り、片山にとって作ることと生きることは同義であり、ベーカーが論じる「身体的なパラダイムを再考し続ける長期的なプロセスに取り組み、そして実際にこのプロセスの中で日々生きているアーティスト」の一人だ。また、片山は「自分自身というよりも、複雑に絡み合いながら片山を取り込むものたちに意味を見出し」ている。そうして作られたイメージには本人にも想定外だった結果も含まれてきたが、同時に自分がシャッターを押すためのフレーミングを続け、「自ら見出し、選択し、生み出し、再生」する。そうした片山の「歪像的なもの」はアーティスト自身の像ではなく「声」となるのだろう。今日の聴衆もまた、片山が生きる限り繰り返し作り出すであろうイメージの声を聞くことに注意を払っていくことになりそうだ。

 

Supported by rin art association

INFORMATION

片山真理「Broken Heart」

White Rainbow
2019年1月24日~3月2日

WRITER PROFILE

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飯田真実 Mami Iida

展覧会の企画運営を行うアートプロジェクトマネージャー。パリ第1パンテオン=ソルボンヌ大学大学院卒業(展覧会運営学修士号)。国内外の国際芸術祭での運営事務局(モントリオールビエンナーレ(2011)、文化庁メディア芸術祭(2012)、あいちトリエンナーレ(2013))、国際交流基金パリ日本文化会館展示担当(2014-2017)を経て、2017年よりフリーランス。美術ジャーナリストとしても活動、フランスでの展覧会について朝日新聞、美術手帖などに寄稿している。

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