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OUT AND ABOUT

アート&メディア・フォーラム 「ポスト・オープンデータ時代のカルチュラル・レジスタンス」
2019年12月15日 東京都写真美術館/1階ホール

Written by 清水知子|2020.3.6

photo by Shimpei Shimokawa

 

ポスト・オープンデータ時代のカルチュラル・レジスタンス

2019年12月、アーツカウンシル東京によるアート&メディア・フォーラム「ポスト・オープンデータ時代のカルチュラル・レジスタンス」が開催された。企画はキュレーターの山峰潤也である。

『ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて』展、『霧の抵抗 中谷芙二子』展など、現在のメディア環境とその問題を積極的に社会に問うてきた山峰、その彼が何より強調していたのは、 人々から言葉を奪い、思考停止に陥れる閉塞した社会、危機に瀕したデモクラシーへの強い危機感だ。

 

山峰潤也 photo by Shimpei Shimokawa

 

メディア・テクノロジーの進展は、私たちの生活環境そのものを大きく変え、私たちの世界に対する認識の仕方も大胆な地殻変動をひき起こしている。膨大な個人情報とデータが渦巻く都市空間。ソーシャルメディアが浸透し、ユーザーの発信に大きく依存しながら膨大な情報が行き交う今日、私たちは自分にとって心地よい「インフォメーション・コクーン(情報の繭)」(キャス・サスティーン)に引きこもり、客観的な事実よりも感情や個人的信条への訴えが影響力を持つ「ポスト真実」の時代を迎えた。こうしたなかで、芸術は、メディア、テクノロジーとどのように手を取り合い、社会を変革する技芸(アート)としてその可能性を開いていくことができるのだろうか。

本フォーラムでは、この問いをめぐり、英国からフォレンシック・アーキテクチャー(以下FA)のエヤル・ワイツマンとクリスティーナ・ヴァーヴィア、台湾から「ゼロから政府の役割を再考する」シビックテック・コミュニティ「g0v(零時政府)」のベス・リーを招聘し、スペキュラティブ・アートを実践するアーティストの長谷川愛、ファッション・デザイナーの川崎和也、建築家の砂山太一らともに、白熱した議論が展開された。以下、本フォーラムを振り返りつつ、ポスト・オープンデータ時代の芸術の可能性と課題を探ってみたい。

 

まずはFAから見ていこう。FAは、ロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とし、イスラエル出身のエヤル・ワイツマンを中心に、建築家、アーティスト、映像作家、ジャーナリスト、科学者、考古学者、ソフトウェア開発者、法律家など、総勢21人程度の多彩な専門家からなる調査機関である。2010年の設立以来、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、ベツェレムをはじめとする人権団体や国連と協働しながら、国家による非人道的な犯罪や暴力に対し、徹底した科学調査(フォレンシック)を行い、政治的暴力を暴いてきた。

国境警備隊によるデモ参加者の射殺疑惑、シリアの首都ダマスカス郊外にあるサイドナヤ刑務所での拷問や殺害、地中海で窮地に陥った難民をめぐる事件など、数々の真相を究明してきた。

「3Dモデルによるガザ地区ラファのマルチプル画像と再構成された爆撃雲」©FORENSIC ARCHTECTURE.2019

 

FAの活動を何よりも特徴づけるのは、その手法である。ソーシャルメディア上にある無数の素材――災害、テロ、戦争の現場で崩壊した建築物、瓦礫、そしてそれらを撮影したプロあるいはアマチュアの膨大な画像記録、カメラのブレ、太陽や雲の位置、影の射し方――から、撮影された時間と場所を計測し、出来事の推移を再構築する。トラウマ的な出来事が記憶からすっぽり抜けてしまうことがあるように、ある画像と別の画像の情報源の「あいだ」には空白が生じる。その空白を検証し、再構築することで、国家によって歪曲された事実、沈黙した声の存在、そして暴力の所在を浮き彫りにするのだ。

FAの副ディレクター、クリスティーナ・ヴァーヴィアが紹介したプロジェクトを見てみよう。2014年8月、人道的停戦合意中のガザ南部にあるパレスチナ自地区ラファが、突然の砲撃に襲われた。アムネスティ・インターナショナルとFAの協働チームは現地調査を許されなかった。そこでFAは、衛星放送、プロのジャーナリスト、そして一般の人々が撮影した数百に及ぶ黒煙のあがる動画を分析し、爆撃地と撮影現場の位置情報を割り出した。「イメージ・コンプレックス」と呼ばれる街全体の3Dモデルを制作し、そこにアムネスティ・インターナショナルによる証言を組み込んで現場の状況を浮き彫りにした。さらに爆撃の形状からそれが米国製であることを突き止めたのだ。

 

クリスティーナ・ヴァ―ヴィア(フォレンシック・アーキテクチャー) photo by Shimpei Shimokawa

 

もちろん、すべての出来事がソーシャルメディアによって撮影され、ネット上に開かれているわけではない。たとえば、サイドナヤ刑務所で行われた虐待の場合、密室なうえ、収容者の記憶を頼りにその現場を再現しようとしてもなかなかうまくいかない。そのようなときには、「状況に置かれた証言(situated testimony)」(空間を設計し再現するための音に関するリサーチ)と呼ばれるインタビュー手法を使うという。

沈黙に包まれた刑務所の独房では、収容者たちは、爆撃、話し声、かすかな物音から独房の外で何が起きているのかを察する。音の記憶をもとに建築物の空間を3Dモデルによって再現し、現場を検証していくのだ。

こうして映像、音声、地図、現地の物質的条件からシュミレートされた「真実」は、事件の証拠として、法廷でも鮮やかな説得力をもつ。五十嵐太郎が「情報の建築」と呼ぶこの手法は、人間の証言のみならず、瓦礫と化したモノたちに「事実」を語らせることによって暴力を裏付け、科学捜査を権力側から人々の手に取り戻す「人権の実践」である。[1]

興味深いことに、FAはこの一連のプロセスを、法廷のみならず、美術館やウェブサイトなど複数のプラットフォームで公開している。それにより、証拠を政治的なものとして社会に開き、闘争/抵抗の一部として「現実」へと接続しているのだ。

 

じっさいワイツマンは次のように述べている。「芸術は虚構のライセンスだけではない」。曰く、「美学的な実践は非常に有用かもしれない。だが、建築家、映画制作者、アーティストとしての非常に基本的なツールやテクニックを使って私たちにできることがある。誰もが手にするノートパソコンに搭載されたソフトウェアは、国家と政府の嘘を突き詰める非常に強力なツールになりうるのだ」 と。[2]

 

エヤル・ワイツマン(フォレンシック・アーキテクチャー)photo by Shimpei Shimokawa

 

私たちが暮らすメタデータ社会において、国家や企業は蓄積されたビッグデータを源泉とし、収集されたデータのメタ分析を通じて私たちの行動パターンやトレンドをマッピングし、その傾向を予測する。情報の断片はアルゴリズム統治の源泉となっているのだ。

一方、FAは、マスメディア、SNS、衛星写真などの雑多なメディアの図像と、風の向き、音、モノの影など、「現場」と情報メディアによるブリコラージュから「真実」 を導く。その実践は、コモンとしての情報と、それに基づくさまざまな知のブリコラージュによって成立している。この意味で、FAの実践は、「真実」をめぐるプロセスとしての「情報の建築」であり、芸術なのだ。

 

コモンとしての情報とデモクラシー

オープンデータは誰にどのように使われているのか。この問いに、より日常的なレベルで取り組み、数々の社会変革をもたらしてきたのが、2012年に台湾で設立されたg0v(零時政府)である。

g0vは、情報の公開と自由の精神の下、プログラマー、デザイナー、アクティヴィスト、教育者、ライター、市民らによる草の根的で脱中心化された自由なネットワークからなるシビックテック・コミュニティだ。合い言葉は〈BE A “NOBODY”〉。なぜ誰もやらないのか、と問う前に自分がその「誰か」になろうという意味だ。その手法は、香港の「雨傘革命」でも大いに参考にされたという。[3]

 

ベス・リー(g0v) photo by Shimpei Shimokawa

 

g0vの活動を一役有名にしたのは、2014年の台湾の「ひまわり学生運動」である。占拠した立法院からオンラインでリアルタイムのライブ放送を行い多くの注目を集めた。2014年から2年に一度開催されているg0v(零時政府)サミットには、世界十数カ国のシビックテック・コミュニティが一千人近く集い、活発な意見交換が行われている。

g0v(零時政府)は徹底した情報の公開性と透明性を追求する。そのチーフスタッフ、ベス・リーによれば、g0v創設の大きな契機となったのは、「政府予算のヴィジュアライゼーション」サイトである。2012年の経済エネルギー向上プランに関する政府広告を見て、政策決定と民意の乖離を感じて立ち上げられた。

どの国もそうだが、政府の予算書は分厚く、一見して支出の使い道を理解するのはなかなか難しい。支出による税金の内訳や予算データを、一目でわかる、親しみやすいデザインやタピオカミルク何杯分といった比喩を用いて、可視化すること。それは、政府の情報をある種のシェアリング・エコノミーとして透明化し、人々にわかりやすく「翻訳」することで、デモクラシーのプラットフォームを提供する試みだ。[4]

現在の日本の政治と照らし合わせると、噴出した政府への批判や疑問点に対して誰がどう応答しているのか、市民から出てきた見解が炎上し分断を加速したり、シニシズムに陥ったりすることはないのだろうか、といった疑問も浮かび上がる。

 

「政府予算のヴィジュアライゼーション」CC BY g0v.tw

 

けれども、g0vへの参加度はきわめて高い。それは、シビックハッカーが24時間で3万件の資料を識別して完成させた「政府献金デジタル化」プロジェクトからも明らかだ。さらに2016年からは、g0vシビックテック・プロダクト助成が設立され、持続可能なコミュニティとして継続するためのインフラシステムも模索されつつある。

政府に対して徹底した情報公開と透明性を求め、定期的な会合でその問題点について議論するg0vのプロジェクト(g0vはそれぞれのプロジェクトを「坑(あな)」と呼んでいる)は、マラソンのように多くの人々が継続、参加できる「ハッカソン」というしくみをとっている。g0vはあくまで草の根的に開かれたシビックテック・コミュニティであり、すべてのプロジェクトが成功するわけではない。しかし、このハッカソン方式により、いったん中断したプロジェクトも、次に参加した誰かが受け継ぎ、再開することが多々あるという。

2016年8月には、g0v(零時政府)から唐鳳(オードリー・タン)が入閣し、現在、台湾の行政院政務委員としてデジタルを担当している。オードリー・タンはg0vの機能を受け継ぎ、ネット上で議論を促進する「vTaiwan」を立ち上げた。そこではUberの利用や自動運転カーをめぐる様々な議論が展開されているという。市民が政府を監視することで代表制民主主義の弱点を補強し、デジタル民主主義を推進するのがオードリー・タンならば、g0vは、誰もが参加可能なコミュニティとして議論をひらき、政治の意思決定のプロセスを担っているというわけだ。

 

photo by Shimpei Shimokawa

 

未来を思索し、現在を問い直す芸術

FAとg0vが、多様性に富んだネットワークを通じて、新たな批判的知を生産しながら、社会変革に取り組む芸術実践だとすれば、「スペキュラティヴ・アート」は、別のベクトルからオルタナティヴな社会を探求する実践である。

たとえば、絶滅危惧種のイルカの母になる《I WANNA DELIVER A DOLPHIN…(わたしはイルカを産みたい)》(2011-2013) や、「同性間の子供は可能か」といった問いに挑んだ《(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合》(2015)など、数々の示唆に富んだ作品を発表してきた長谷川愛がそうだ。彼女のプロジェクトもまた、国家や社会における意思決定のプロセスへの疑問から始まっている。

シングルの女性が子供を産むことは可能か否かといったガイドラインはなぜ国によって異なるのか、あるいは同性カップルから生まれる子供に対する倫理的な壁は誰がどのように決めているのか、という問いである。

 

長谷川愛 photo by Shimpei Shimokawa

 

長谷川は、一見すると当たり前だと思われている価値判断に潜んでいるバイアスに着目する。彼女の作品は、バイアスをめぐる問いをもとに、思索に富んだ仮想的な未来を描き出す、未来に向けた議論のプラットフォームのように思われる。

たとえば、《Alt-Bias Gun》は、長谷川がアメリカ在住時に感じた人種差別を機に制作されたものである。「誤射されやすい顔」を機械学習に認識させ、銃口の先にその種の顔が現れたら引き金を3秒ロックする。既存のバイアスを逆手にとって、無実の黒人の銃殺を回避すべく設計された。いわば、オルタナティブな選択肢だ。AI+銃+政府が組み合わさった時に想定されるディストピア的な世界に抗すべく、人間の偏見とそれを潜在化したAIによるバイアスの再生産を問い直す取り組みだ。

 

《Alt-Bias Gun-Black Lives Matter Version-》(work in progress)

 

一方、人間とそれ以外とのあいだの不均衡な関係に目を向け、自然環境をバイオテクノロジーや人工知能の観点から考察しつつ作家活動を行うのがファッションデザイナーの川崎和也であり、アルゴリズムとコンピューション・デザインに取り組む砂山太一である。

その著書『スペキュレーションズ:人間中心主義のデザインをこえて』では、ポスト人間中心主義的な視点から社会変革に向けた多彩な思索と実践が紹介されている。[5] なかでもとりわけ興味深いのは、バクテリアを培養した生地から衣服を作る「バイオロジカル・テーラーメイド」や、アルゴリズムによって廃棄される生地をゼロにする「アルゴリズミック・クチュール」など、自然環境に生きるもの、データやアルゴリズムといった情報環境における非人間的なものとの関係を結び直し、ファッションと環境デザインの新たな可能性を探究する川崎の取り組みだろう。

これらはどれも、現代のメディアの生態系そのものに潜む社会の不平等を再調整する契機となっている。私たちの諸感覚を動員し、パブリックなものをめぐる「感性的なものの布置」を揺り動かす試みである。

 

川崎和也 photo by Shimpei Shimokawa

 

砂山太一 photo by Shimpei Shimokawa

 

およそ5時間半にわたって開催された本フォーラムは、デジタルメディア時代における自由と平等をめぐる政治的問いを改めて浮かび上がらせるものだった。テクノロジーは人間の役に立つ一方で、ときに私たちから思考する機会を奪う。ここにみたアーティストらの実践は、メディアの進展が新たな政治、社会、文化を生み出すという単純な技術決定論を主張するものではない。むしろ、ソーシャルメディア時代の資本主義がどのように権力を浸透させていくのか、デジタルメディアの進展によって政治、経済、メディアの関係がどのように変容しているのかといった喫緊の問いに挑み、そこから逃れる戦略をコモンのエコロジーとして社会にひらきオルタナティヴな選択肢を提起するものだ。

 

photo by Shimpei Shimokawa

 

デモクラシーの名の下では、誰もが平等であることが前提とされている。にもかかわらず、現実にはそうなっていない。ジャック・ランシエールにならって、「一方の対話者が、他方の述べていることを理解していると同時に、理解していない状況」が「不和」であるとすれば、政治が始まるのは、その不平等な分配という事実を浮き彫りにし、あたかも安定しているかのように見える既存のシステムに亀裂を入れるとき——真の平等が実現するとき——に他ならない。この意味で、メディアアートの実践とは、まさしく政治そのものではないだろうか。[6]

自身の利権と快楽に見あうよう、あるいは聴衆の期待に応じるよう、好き勝手に「事実」を仕立て、嘘を並び立てる政治がまかり通る現在の日本において、こうした芸術的実践から学ぶものは計り知れない。閉塞し、分断した今日の社会にコモンを取り戻すこと、そして支配的なものからとりこぼされたモノ、コト、ヒトから創出される芸術。その実践によって開かれてくる地平とその社会的意義は、その公的な価値と支援を見直すだけの十分な価値があるだろう。

1990年代初頭、フランスの哲学者フェリックス・ガタリは、人々の主観性を押しつぶすマスメディアの権力に対し、それをインタラクティヴな仕方で再領有するポストメディアの時代への希望を語った。[7] ともすると、いささか楽観的にすら思えるこの展望は、しかし、それから30年の歳月がたち、「オルタナティヴは存在しない」という言葉が切迫な響きをもつ今こそ、更新しながら継承し、未来に向けて実践すべき、古くて新しいヴィジョンではないだろうか。

 

 

[1] 五十嵐太郎「『Forensic Architecture』――事件の建築を再現する」『現代思想』2018年3月臨時増刊号 総特集◎現代を生きるための映像ガイド51、青土社、2018年

[2] Forensic Architecture, Turner Prize Nominee 2018, Tate Shots, https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=_-yQ__UK€sl161€slmult0 €sl161€slmult0

[3] g0vサイト https://g0v.tw/en-US/

[4] 龍珮寧/劉嫈楓「オープン・ガバメントを追求する g0v零時政府のシビックハッカ」『台湾光華雑誌 Taiwan Panorama』山口雪菜訳、2017年8月 https://www.taiwan-panorama.com/ja/Articles/Details?Guid=71c2e863-595c-4b39-849c-c260c0f3e5a0&CatId=7

[5] 川崎和也監修・編著『SPECULATIONS:人間中心主義のデザインをこえて』ビー・エヌ・エヌ新社、2019年

[6] ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解―政治の哲学は可能か』松葉祥一、大森秀臣、藤江成夫訳、インスクリプト、2005年

[7] フェリックス・ガタリ「ポストメディア時代に向けて」門林岳史訳、『表象』2014 年8号,月曜社 76-77頁

INFORMATION

アート&メディア・フォーラム 「ポスト・オープンデータ時代のカルチュラル・レジスタンス」

日時:2019年12月15日
会場:東京都写真美術館/1階ホール
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

WRITER PROFILE

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清水知子 Tomoko Shimizu

愛知県生まれ、筑波大学人文社会系准教授。専門は文化理論、メディア文化論。著書に『文化と暴力ー揺曳するユニオンジャック』(月曜社)、『地域アート』(共著、堀之内出版)、『芸術と労働』(共著、水声社)、『21世紀の哲学をひらく』(共著、ミネルヴァ書房)、訳書にジュディス・バトラー『アセンブリー行為遂行性、複数性、政治』(共訳、青土社)、ネグリ/ハート『叛逆』(共訳、NHK出版)など。

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