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OUT AND ABOUT

ホー・ツーニェン レクチャー「妖怪とアポリア:アートを通して日本の帝国主義に迫る」
2021年12月10日 オンライン開催

Written by 山本浩貴|2022.1.26

ホー・ツーニェン《百鬼夜行》2021 キャラクターデザイン:狐

アートを通して日本の帝国主義に迫る

 2021年12月10日、ホー・ツーニェンのレクチャー(東京藝術大学主催)がオンライン開催された。ホーは、シンガポールを拠点に国際的な活躍を続けているアーティスト・映像作家。モデレーションは同大学准教授のキュレーター荒木夏実が務め、学内関係者のみならず学外にも開かれた。本イベントは、学内外から多数の聴講者を集めた。このことは、ホー・ツーニェンという作家に対する日本での高い注目度を示す。同時に、本邦における「文化と帝国主義の共犯関係」という主題への関心の増加を浮き彫りにする。この問題系は、まさしくホーが近作のなかで肉薄してきたものだ。
 現代アートにおけるこのトピックへの関心の高まりが、戦時期日本と(ホーの出生地シンガポールを含む)他のアジア諸国のあいだの関係性というマトリックスのうえで発生している現象であるのは間違いない。その現象の一部に、東京のオルタナティブ・スペース「ASAKUSA」で2021年夏に開催されたロイス・アン(香港出身のメディア・アーティスト)の個展(「満州の死…それは戦後アジア誕生の基盤である」)を含めることができるだろう。同展では、「東アジアにおける満州国(1932年に中国東北部に建設された帝国日本の傀儡国家)の遺産」をテーマに制作されたアンの2つの映像作品——《Kishi the Vampire》(2016)と《錬金術国家I:器官なき身体》(2021)——が展示された。今回ホーのレクチャーを企画した荒木の意図も日本の帝国的過去に根ざした他のアジア諸国と関わる歴史的イシューを大学/アカデミアという場で学生も交えて議論し、「アートを通して」それらを深く考える契機を創出することであったと推察される。
 先述の通り、ホーとアンの芸術実践のあいだには注目に値する共通点(かつて日本に占領された土地の出身であること、戦時期の帝国日本と文化・思想のインターセクショナルな領域に関心をもつことなど)がある。それゆえ、両者をあるひとつの現象の部分集合として包括的に分析することは肝要だと筆者は考える。しかし、スタイルやアプローチにさまざまな差異を有する両者の作品を安易に並列することにはリスクも伴うことはたしかである。 *1その意味でも、作家本人を交えてホーの作品についてじっくりと語り合うこのイベントには大きな意義が認められる。
 ホーは、あいちトリエンナーレ2019でインスタレーション《旅館アポリア》(2019)を発表した。この作品は「旧喜楽亭」に設置されて注目を集めたが、このかつての料理旅館は第2次世界大戦中に特攻隊(自らの命と引き換えに敵を倒す任務を負った航空部隊)のメンバーが最後の夜を過ごした場だ。2021年、ホーはヴァーチャル・リアリティ(VR)とアニメーションを融合した映像インスタレーション《ヴォイス・オブ・ヴォイド―虚無の声》(2021)を制作。同年に同名タイトルのもと、山口情報芸術センター(YCAM)で個展を開いた。アニメーションを中心に構成された最新の映像インスタレーション《百鬼夜行》は、2021年末から翌22年初頭まで豊田市美術館で開催された個展に合わせて準備された。オープン記念として思想家・東浩紀とホーの対談(「ゲンロンカフェ」2021年10月25日)が実現されるなど、狭義の「アート界」を越境した盛り上がりを呈した。いずれの作品も戦時期の日本帝国主義が他のアジア諸国に及ぼした影響(とその残響)、およびその文化や思想との共謀に光を投げる。今回のイベントは、これらの作品をホー自身が解説していくことで展開された。

ホー・ツーニェン《百鬼夜行》2021
Photograph by Hiroshi Tanigawa, courtesy of Toyota Municipal Museum of Art

ホー・ツーニェン《百鬼夜行》2021 キャラクターデザイン:マラヤの虎

方法としてのアジア

 最初に、帝国日本を扱った連作の始まりを画する《旅館アポリア》の解説で幕を開けた。彼は会場となった歴史的建造物・旧喜楽亭にまつわる設営上の制約(建物のどの箇所にも穴を開けることができないなど)を挙げ、そのうえで谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に書かれた逸話に言及しながら、むしろ諸制約を活かして展示を構成する実践的手法を披露した。こうした制作過程を知ることは、彼の活動に関心を有するキュレーターや研究者のみならず、実技を学ぶ学生を含む実作者にとっても有意義である。
 そうした展示構成が生み出す鑑賞者の目線という要素を契機として、シンガポールに派遣されてプロパガンダ映画を撮影した小津安二郎に着目したホーは、小津を起点にして彼の伸びやかなイマジネーションを頼りに長坂雪子(喜楽亭の元・女将)、宮内栄(海軍特別攻撃隊・第三草薙隊の中尉)、横山隆一(宣伝部隊としてインドネシアに派遣された漫画家)、アジア主義を唱えた京都学派の哲学者たちといった人物を有機的に連結していく。小津らはみな、「旅館アポリア」のゲストとして招かれた。必ずしも明示的つながりのない、しかしいずれも戦時期という困難な時代の日本を生きたゲストたちのさまざまな声が紡ぎだすポリフォニー(多声音楽)、ハーモニー(調和)、レゾナンス(共鳴)、ディゾナンス(不協和)。《旅館アポリア》が生成する空間は、それらが充溢する場として構想されたとホーは述べた。
 次に、2作目の《ヴォイス・オブ・ヴォイド―虚無の声》の説明に移った。この作品では西田幾多郎、田辺元、西谷啓治、三木清など、広い意味で「京都学派」を形成する哲学者たちに焦点をあて、しばしば戦時期日本の帝国主義を正当化するレトリックを提供したとされる彼らの思想にアートを通して迫るものだ。
 本作の際立った特徴は、VR技術の活用にある。美学者の星野太は《ヴォイス・オブ・ヴォイド》を論じた最新論考「VRと国家」(2022)のなかで同技術がはらむ強力な同一化作用に着目し、それが用意する特異な空間における「呼びかけ」こそ、まさしく「学生たちの戦地動員に大きく貢献したとされる田辺元の「死生」講義」を筆頭として京都学派の思想家たちの当時の発言の随所に観察される自己と国家の無批判的な一体化(すなわち、全体主義における個や主体性の消失)をうながす「国家のテクノロジーの最たるもの」と並行関係にあるのではないかと指摘する。 *2この点は、レクチャーの後半に荒木も指摘した、ホー作品におけるVRやアニメーションの圧倒的迫力やそれがもたらす奇妙な「心地よさ」とも関連する。無論ホー本人もこうした構造には意識的であり、あえてそうした強度のある空間を創出している。そしてレクチャーでは、実際どのようにVRのテクノロジーを映像インスタレーションに統合していったかの方法論が彼自身の口から具体的に語られた。
 最後に、最新作《百鬼夜行》について作家自身が説明を加えていく。ホーも強調するように、「100の妖怪」・「36の妖怪」・「1人もしくは2人のスパイ」・「1人もしくは2人の虎」の4つの展示室から成立する多面的構成は《旅館アポリア》や《ヴォイス・オブ・ヴォイド》と共通する。この作品のなかで妖怪をモチーフとしたユーモラスなキャラクターたちに仮託されて前景化されている主要なテーマは、帝国日本をめぐる「宗教、暴力、国家主義のあいだの奇妙な絡み合い」であるとホーは言う。
 このイベント全体を通して、筆者の脳裏には「方法としてのアジア」という概念が幾度も去来した。この概念は、1960年代初頭に中国文学者の竹内好が国際基督教大学で行った講演の題として用いた。この講演で竹内は、植民地侵略に支えられた帝国主義の残滓を払拭するためには脱西洋中心的な視座が必須であり、そのためには実体ではなく「主体形成の過程」すなわち「方法」としてのアジアという構想が有効ではないかと提言した。 *3近年、孫歌 *4、陳光興 *5、岩渕功一 *6といった東アジア圏出身の文化研究者たちが、この竹内の提言を独自に受け継ぎながら、日本帝国主義が残した遺産を克服するための方法論を発展的に練り上げてきた。
 質疑応答のセッションでホーが述べた、「帝国主義時代の日本の歴史はもはや日本一国の歴史のみならず、すでにアジア全体の歴史の一部である」という視座は、まさに「方法としてのアジア」のエートスを表現する。その意味で、ホーは芸術制作を通して「方法としてのアジア」を文字通り実践している作家だと言える。モデレーターの荒木を含む参加者を交えた質疑応答は、日本帝国主義のレガシーについて考える複数の立場からの異なるアングルやアプローチが出され、それらの衝突・交渉・折衝のダイナミックな過程が見られた刺激的なものであった。そうした点において、この「妖怪とアポリア:アートを通して日本の帝国主義に迫る」というイベントそのものが「方法としてのアジア」を体現していた。

Installation view of “Voice of Void,” 2021
Photograph by Ichiro Mishima, courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM] and the artist

自明の概念を疑い、その歴史的構築の過程をひもとく

 このレクチャーの1週間後、12月17日にはホーをゲストに招いた作品のオンライン講評会が開催された。現役の東京藝術大学学生たち——荒川弘憲、副島しのぶ、神谷絢栄、布施琳太郎、岡ともみ——が自作についてプレゼンを行い、ホーがそれに対して質問やコメントを加えていく。モデレーターはレクチャーと同じく荒木夏実が務めた。プレゼンをした5名の学生はみなすでに活躍の場を学外に広げ、その独自の芸術実践が注目を集める気鋭のアーティストである。1時間半に及ぶ濃密なプレゼンと講評の中身をここで詳細に記述することはできないが、すべての発表者を同じアーティスト仲間として等しく尊重し、自分なりの視座からの意見や率直な批評的問いかけをもって応答するホーの真摯な態度が印象的であった。
 講評会の最後に荒木も述べたように、「自明とされている概念を徹底して疑う」ホーの姿勢はプレゼンターとの相互に生産的な対話を生んだ。たとえば、彼は荒川には「自然」、副島には「光(light)」 *7、神谷には「社会」、布施には「顔」「リズム」、岡には「時間」など、私たちが日常的に使用している観念は実際のところ何を意味しているのかと問いかけた。「自明」の概念をひとつひとつ自分なりに再定義することを要請する問いはプレゼンターたちにより深い洞察を促し、ホー自身の芸術実践にも新しい気づきを与えていたように感じられた(たとえば彼は光と影をめぐる関係性という点で、副島のアニメーションと自身の《旅館アポリア》を重ね合わせながら論じた)。あらゆる概念の自明性を疑うことは、ホー自らの芸術実践の核でもあるのだろう。 *8加えて、リピット水田堯、谷崎潤一郎、ロバート・ラウシェンバーグ、ドゥルーズ&ガタリ、マイケル・フリードなどの多種多様な参照項を提示しながら議論を進めるホーの豊かな見識にも驚かされた。
 アーティスト・コレクティブ「ひととひと」のメンバーとしても活動する神谷は、自らのトラウマ的経験を起点としてセクシュアリティやジェンダーにまつわる問題に切り込む映像・インスタレーション作品を紹介した。それに対してホーは性をめぐるイシューを個人的なものではなく社会的なものとして提示し直す彼女の手法を高く評価しつつ、「こうしたイシューが歴史のなかで構築された経緯」について問いを投げた。あるイシューや現象の歴史的構築の過程を丁寧に分析する視線は、ホー自身の芸術実践の際立った特性でもある。最近のインタビューのなかで彼は歴史における「現実と虚構」という二項対立の存在に疑義を呈しながら、「フィクションは私たちをより良い世界に導く生産的なものにもなりえる」と主張している。 *9戦中の日本を扱った作品は《百鬼夜行》をもって一区切りのつもりだと聞くが、ホーはこれからも歴史がもたらしたさまざまな問題と関わりながらアートを通じて私たちがしばしば自明とみなす概念や二項対立を審問し続けていくことだろう。また、ホーとの邂逅を経てプレゼンターたちの芸術実践が今後どのように展開されていくのかも非常に楽しみである。

Installation view of “Hotel Aporia,” 2019
Photograph by Hiroshi Tanigawa, courtesy of Aichi Triennale 2019

1) この考えに関して、映像メディア学・現代美術を専門とする馬定延(マ・ジョンヨン)との個人的対話から示唆を受けた。ここに感謝を記す。
2) 星野太「VRと国家」『美術手帖』2022年2月、214頁。
3) 竹内好『日本とアジア』ちくま学芸文庫、1993年、469頁。
4) 孫歌『アジアを語ることのジレンマ 知の共同空間を求めて』岩波書店、2002年。
5) 陳光興『脱帝国 方法としてのアジア』丸川哲史訳、以文社、2011年。
6) 岩渕功一『トランスナショナル・ジャパン ポピュラー文化がアジアをひらく』岩波現代文庫、2016年。とりわけ付論「メディア文化がアジアをひらく 方法としてのトランスアジア」を参照のこと。
7) ホーは近代における「啓蒙(enlightenment)」の暴力性に言及しながら、なぜしばしば「影」は「光」に対して劣位に置かれるのかという疑問を提起した。
8) たとえば歴史学者の與那覇潤は、ホーの《百鬼夜行》には既存の「歴史」概念に対して、「これから社会に記憶されるというよりも、むしろ孤独のなかで『思い出される』、夜に見る夢のような」歴史の様相が提示されていると述べる。與那覇潤「入れ替わることと一つになること」豊田市美術館編『ホー・ツーニェン 百鬼夜行』torch press、2021年、269頁。
9) 「ARTIST INTERVEW ホー・ツーニェン(能勢陽子=聞き手)」『美術手帖』2022年2月、194頁。

INFORMATION

ホー・ツーニェン レクチャー「妖怪とアポリア:アートを通して日本の帝国主義に迫る」

2021年
12月10日(金) オンライントーク 一般公開
12月17日(金) 講評会 東京藝術大学内限定公開
企画:荒木夏実(東京藝術大学 美術学部 先端芸術表現科 准教授)

WRITER PROFILE

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山本浩貴 Hiroki Yamamoto

文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社、2019年)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(ラトガース大学出版、2020年)、『レイシズムを考える』(共和国、2021年)など。

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