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ダウンヒル
スーパー・デラックス、2018.4.7

Written by 荏開津広|2018.5.17

orangeade

暫く寒かった2018年の東京が急に暖かくなった4月初めの或る夜、異なった3組の音楽家たちが集まった——orangeade、吉田ヨウヘイgroup、そして網守将兵とバクテリアコレクティヴ。
成り立ちも、編成も、それぞれの音楽の向く方角も実は異なるけれど、1970年代初めの東京以来の日本のポップ・ミュージックの形式の、流れ動いてきた大きな力を感じさせ、強く記憶に残っていくだろう数時間であった。

形式というのは、1970年の細野晴臣らのはっぴいえんど以降の出発点/終着点としての「アメリカの没落と日本の堕落」を「場所のコペルニクス的転回」(注1)させたうえでのポストモダン・ポップであり、4月7日の夜、その流れの力の結果としての未来が聞こえた。日本のポップ・ミュージックの美学的な文脈を扉を押し開いていくような多幸感がそこにあった。

ここで指す東京のポップ・ミュージックは、それを生み出した経済の発展と都市空間の展開と関係があり、1970年代以降、多分1991年(注2)までの幸福な20年間があっただろう。
その最初の10年以上の間に生まれた音楽の様式を「シティ・ポップ」と呼ぶなら、orangeadeについては、その幸福な時期の後からの世代が、伝統をどう引き継ぎ何が出来るかを引き受けたうえでの初々しい魅力が忘れられない。

次に登場した吉田ヨウヘイgroupは、2012年に結成した、ポップ・ミュージックの用語で、所謂「インディ・ポップ」という言葉で形容されるバンドだ。orangeadeも吉田ヨウヘイgroupも、細野もしくは小山田が参考にした王道の「ポップス」のように音楽の意味としての時間の残酷さと記憶の甘美さの中心に、やはりメロディがある——。コンクリート打ちっぱなしの、どちらかといえばがらんとした空間の中で上気した観客から声が上がり始め、それはこの夜の最後まで途切れることはなかった。

最後に登場したバクテリアコレクティヴは、けれん味のないアプローチで、そのポップスから曲/サウンド・インスタレーション/ライヴ演奏といった様々な概念を脱/再構築し、その音の響きを美しくも空間に充満させ陶然とさせた。それは何の表象だったろう。その時ふとどこか異国での彼らのパフォーマンスを観てみたいと思った。

ギグであるのはもちろん、全体として東京と日本のポップ・ミュージックの構造論とも看てとれる、素晴らしい、忘れられない一晩だった。

1) 『現代のロックは放浪から生まれる』、松本隆、ミュージックライフ、p.150、1970年8月号、シンコーミュージック。
2) 1991年、小沢健二と小山田圭吾によるフリッパーズ・ギターが解散。

INFORMATION

ダウンヒル

Live:網守将平とバクテリアコレクティヴ、吉田ヨウヘイgroup、Orangeade
2018年4月7日

SuperDeluxe
https://www.super-deluxe.com/room/4458/

WRITER PROFILE

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荏開津広 Hiroshi Egaitsu

執筆/DJ/京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師。東京の黎明期のクラブP.PICASSO、MIX、YELLOWなどででDJを開始、以後ストリート・カルチャーの領域におき国内外で活動。執筆とDJ以外にはSIDECORE『身体/媒体/グラフィティ』(2013年)キュレーション、PortB『ワーグナー・プロジェクト』音楽監督、市原湖畔美術館『RAP MUSEUM』制作協力など最近は手がける。翻訳『サウンドアート』(木幡和枝、西原尚と共訳、2010年、フィルムアート社)(http://realsound.jp/2017/01/post-11172.html)

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