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PERFORMANCE

『今ここから、あなたのことが見える/見えない』
東京国際フォーラム
2022.11.23 – 25

Written by ドミニク・チェン|2023.1.24

撮影:前谷 開 Photo: Kai Maetani

 

娘が生まれて10ヶ月ほど経った頃だったと思う。わたしは新橋の古い雑居ビル群のなかのオフィスに通っていた。毎朝、抱っこひもでおぶって電車に乗り、駅近くの保育園に娘を預けてから、仕事に出ていき、夕方にはふたたび駅前で娘を迎え、帰路につく毎日だった。昼の弁当を買いに路地にでると、スーツ姿のサラリーマンやビジネスウーマンたちでごった返していた。子どもができるまではそんな同輩たちを見ても何も思わなかった。しかし、幼い娘の肌のぬくもりを日々つよく感じ取っていたその頃、ふと目に入るサラリーマンたちの姿がなぜか愛おしく感じられたのを覚えている。力強さに溢れていたり、もしくは疲弊した様子だったり、さまざまな表情のビジネスマンたちのひとりひとりに、自分の子どもと同様に、赤児だった時代があったのだという感慨に、ふいに襲われることがたびたびあった。

その時期は、「スーツを纏ったサラリーマン」というステレオタイプから解放されて、目の前で弁当屋に並んだりタバコを吸ったりしている一人ずつに固有の人生の来歴に思いを馳せることができた。そして、その想像上の情報量の膨大さに目眩を覚えながらも、なぜか嬉しいような感情を抱いていた。しかし、この現象はごく短い期間しか続かなかったように思う。いつからか、スーツ姿の人々をみても、なにも思わない状態に戻っていた。

 

 

撮影:前谷 開

 

倉田翠 『今ここから、あなたのことが見える/見えない』を観劇して、この記憶の情景が脳裏にいきいきと浮かんできた。いや、実を言えば、パンフレットに書いてあった倉田の「別に交差しなくてよかったはずの誰かとの出会いに、救われることがあると思う」という言葉を読んだ時に、すこし思い出していた。新橋にも近い大手町、丸の内、有楽町エリアで実際に働いている13名の役者たちとは、日常のどこかで「交差」していてもおかしくない。わたしは実際に、新橋ですれ違っていた素性を知らない人々と、はなはだ一方的にではあるが、たしかに出会い、救われたように感じていたのだ。この舞台の上でひとりひとりの演者が滔々と、また叫ぶように語り、走り、歌い、踊り、時に静止しながら展開するライフストーリーは、おかしな表現ではあるが、まるでかつてわたしが新橋の路上で抱いた感情を肯定してくれるエビデンスのようにも感じられた。

この舞台を観てもたらされる驚きは、名もなきビジネスピープルである演者たちそれぞれの人生の葛藤や苦しみ、そして喜びの深さと広がりが開示されることにあると思う。しかし、その驚きはまた同時に、自分自身のバイアスの根深さを逆説的に浮き彫りにするものでもある。今となっては電車の中やオフィスビルの中ですれ違っても、感情移入の対象にならない透明な存在であろう人々が、自分や親しい人々とおなじように人生を過ごしているなんて!

もちろん、これは多少は露悪的な表現である。しかし、都市に住んでいるものであれば少なからず、視界に入ってくる圧倒的多数の見知らぬ人間たちそれぞれの豊かな文脈を捨象しながら生きざるを得ない。でなければ、狂ってしまうだろう。人類学者ロビン・ダンバーが、人が安定的な社会関係を維持できる上限は150人程度だと論じたことは有名だが、その数は1400万人ほどがひしめく東京の0.001%に過ぎない。しかし、そのような他者に対する無関心を強いる都市の構造そのものが狂っているのだともいえる。だからこそこの舞台を、都市生活者が観るときには特に、日々見逃してきた同じ街に住む人間たちの生と再接続するような感情をうみだすのかもしれない。

 

撮影:前谷 開

 

わたしたちはなぜ、固有の生がただそこにあることに、心を動かされるのだろうか。演劇のほかにも、文学や詩、そして音楽と美術にも通底することだが、それは一言では言い表せない、人間の根底にある感覚なのだろう。わたしには、そこに心の理論が双方向につながる契機があるように思える。心の理論とは、自分以外の他者にも自分と同じように自律した心が確かにあると感得する心理の働きを指している。人が他者と協調する上では欠かせないものだと言われている。この舞台を観ていて、普段なら看過していたであろう人々に厚みのある生があるのだと鑑賞者が認めるとき、演者たち、そして演者たちが象徴している「都市の生活者たち」全般に対して、心の理論が作動する。それと同時に、自分自身もまた、ビル街の雑踏を歩いている時などに、無数の他者によって質量のある生命だと認識してもらえる可能性が現前しないだろうか。

精神的な充足を研究するウェルビーイングの分野のなかで、「高揚」という因子が議論されている。心理学者のジョナサン・ハイトによれば、高揚とは「人間の善良さや親切さ、勇気、思いやりなどを示す思いがけない振る舞いを目撃した際に経験する、温かく、高ぶった感覚であり、そのような感覚を抱くことによって、人々は、他者を助けたいという思いを抱くようになり、彼ら自身もより善良な人間となる」*、と説明されている。倉田たちの舞台を観る時に高揚を感じるのは、互いを属性や分類から解き放って、ただ受け止めあうという行為が、鑑賞者から演者への一方的な眼差しにとどまらず、その場にいる全員に対してひらかれていることに気づけるからなのだと思う。

 

撮影:前谷 開

 

見知らぬ他者を、「サラリーマン」とか「OL」というような類型に閉じ込めて扱うことはそもそも、相手が内包している複雑さや多様さを切り捨てるという意味において、暴力性を孕みうることだ。しかし、今日の都市やSNSで生活するわたしたちは、自らの認知限界を優に超える数の人間たちの存在を「効率的」に情報処理し、「俯瞰的」に理解するよう圧力をかけられている。それは環境的な圧力だともいえるが、その環境を作り出しているのは当のわたしたち人間である。

そして「自己責任」や「自助」を叫び、社会的マイノリティに対する公的なケアの責任を放棄し続けてきた政治家たちや、複雑な世相を「要は」と小賢しく説き、「論破」してみせるインフルエンサーや有識者たちの言葉が跋扈し、持てるものと持たざるものの格差が広がり続けるこの国の社会において、政府や企業が音頭をとるウェルビーイングやSDGsなどの標語は空しく響いている。人間存在を統計上の数値や分類で語るという学術的な様式が不用意に日常生活に流入するならば、わたしたちは結局のところ、互いをみつめる視座を失い続けるだけだろう。

 

 

倉田翠はこの舞台の演出と構成を行ったが、舞台上にも立っていた。熱演を繰り広げる演者たちの隣でただ見守るような倉田のたたずまいをみて、山下和美の「不思議な少年」のようだと思った。わたしも招かれたアフタートークの場で、そんな彼女の保護的なまなざしについて伝えると、演出だけして舞台に立たないという選択肢は彼女自身の倫理からとれなかった、という意味の言葉が帰ってきた。そして、本公演に関するインタビューを読み、彼女が演者たちとつかずはなれずの間合いを取りながら、それぞれの人たちと時間をかけてただ話をしたり、職場を訪れたりしながら、それぞれの自律的な自己表現を陰でたすける編集者のようなプロセスで関わったことを知った。この倉田自身の在り方を観て、知ることによっても、わたしは高揚の念を覚えずにはいられなかった。

 

 *Haidt, J. (2005). “Wired to be Inspired.” Berkeley: Greater Good Science Center, University of California

INFORMATION

「今ここから、あなたのことが見える/見えない」

日時:2022年11月23日 - 25日
会場:東京国際フォーラム ホールD7
主催:大丸有SDGs ACT5実行委員会、一般社団法人ベンチ
特別協力:有楽町アートアーバニズムYAU
演出・構成:倉田翠
出演:幾山靖代、石田悠哉、小川敦子​​、菊池結華​​、後藤正子、佐々木大輔​​、佐藤駿、高島竜馬、寺尾耀一郎、津保綾乃​​、中田かおり、宮原朱琳​​、矢次純一郎 / 倉田翠​​
企画制作:一般社団法人ベンチ

WRITER PROFILE

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ドミニク・チェン Dominique Chen

1981年生まれ。博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center[ICC]研究員, 株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文化構想学部教授。テクノロジーと人間、そして自然存在の関係性を研究している。主宰するFerment Media ResearchとしてXXII La Triennale Milano『Broken Nature』展(2019.3.1~9.1)にぬか床発酵ロボット『NukaBot』を、遠藤拓己とのユニットdividual inc.であいちトリエンナーレ2019『情の時代』展(2019.8.1~10.1)に2,000人以上から遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(#10分遺言)を出展。2020年10月から2021年6月まで、21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』展示ディレクターを務めた。近著に『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)、主著として『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)がある。監訳書に『メタファーとしての発酵』(オライリー・ジャパン)、『ウェルビーイングの設計論―人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)など、監修書に『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その技術、思想、実践』(BNN新社)など。
撮影:荻原楽太郎

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