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PERFORMANCE

康本雅子ダンス公演『全自動煩脳ずいずい図』
2020.11.5-8 世田谷パブリックシアター

Written by 束芋|2020.12.8

photo by bozzo

かつて私は彼女をとにかく美しいダンサーだと思っていた。容姿も美しく、動きもしなやかでありながらキレがあり、どこを取っても果てしなく美しい、と。けれども、私の中でその美しさが、あるときグルンと反転した。あれは2012 年の作品『絶交わる子、ポンッ』だったと思う。美しさを携えたまま、毒が溢れ出したように感じた。それは、恋に落ちた私たち鑑賞者を地獄に突き落とすような所業だった。その後も彼女は、美しさに寄ってくる鑑賞者に毒を盛り続け、2018 年『子ら子ら』で、私は重症の中毒者になってしまっていることを自覚した。

今作『全自動煩脳ずいずい図』では、可笑しさや爽快感、葛藤や快楽、そして気味の悪さが同時にドッと押し寄せるというような複雑で納得のいかない体験をした。私の中の様々な感覚が「納得できない」形に絡み合ってしまうシーンの連続だったのだ。
私も近年、舞台作品に関わらせてもらう機会があり、国内外のダンサーの方々と一緒に仕事をする機会に恵まれ、私なりのざっくりとした観点ではあるが、西欧のダンサーと日本のダンサーとの志向の違いに気が付いた点がある。どんな作品にも対応できる身体能力を向上させることに注力する西欧のダンサーと比べ、日本のダンサーは踊ることだけでなく、自身の作品を作る人が多い。そのせいか、表現に対する志向は多種多様で、それが面白さでもあるけれど、他者の作品に出演したとき、その魅力に陰りを感じることもよくある。ダンサー各人の個性が際立つが故に、他人の作品との相性がはっきり見て取れてしまうということ、それは仕方のないことだと思っていた。
けれど、この作品では、まるで各人が自身の作品であるかのように個性を全開にし、ビッカビカに輝いているのに、それでいて一つの塊として異常なパワーを発していた。だから相容れない感覚に同時に詰め寄られ、整理できないまま圧倒されたのかもしれない。

photo by bozzo

そして、真正面から「性」が表現される。肉体の持つ可笑しみやエロさ、動物的、本能的な表現が暴力的とも言えるタッチで描かれている。康本の手先指先の動きは力強くも繊細で、時々身体から飛び立ったように見えることがある。一つの身体がいくつにも分割され、それらがまた無事に合体したかと思えば、複数のダンサーが一気に大きな塊になって蠢いたり。さらに、鑑賞者の視点を細かいところに注視させていたかと思うと、いつの間にか大きな空間全体を捉えさせていたり、現実には不可能とも思えるスピードで視点の切り替えを誘導していく。舞台を前に自分の体も感覚もどんどん動かされていく。そうそう、これが康本作品の特徴だ。客席に座っているのに、座っているだけでは必要にならない筋肉に流動的に力が入る。全体を見るだけなら顔を動かさなくてもいいのに視点の移動に顔をも動かす。そうかと思えば、ギョッとして体が硬直し、動かせるのは眼球だけ、まるで椅子に縛られてしまったかのような感覚にもなる。

photo by bozzo

私は「性」をできる限り堂々と捉えようと努力してきた。しかし、「性」を前にした私はいつもおっかなびっくりで、やがてそれが自分なりの「性」の捉え方だと受け入れ、表現する上でも丁寧に自分らしく表現してきたつもりだ。こんな私が、康本作品に通底する「性」表現に触れたとき、自分のぎこちなさに気づく。「性」を捉える段階での自由さや、生活に直結した感覚、それをアウトプットするときの自在な表現。自分にも、もっと「性」を違った方法で捉えられるのではないか、という希望のようなものを与えてくれる。

photo by bozzo

今、世界的に女性蔑視や性暴力など、これまで声を挙げにくかったことに対して、若い世代が中心となり、声を大にして社会を正常化させる運動を進めている。私はその行為に賛同しつつも、規制が必要なそれらとの線引きが難しい表現に対する圧力が増している現状を危惧している。そして自身の表現が誰かに侵されるような危険までも感じるようになった。
女性の描かれ方に対する過剰反応や、性的な表現はどんなものでも低俗だと否定してしまう態度には共感できない。まるで性を排除し、ないものとしてとり繕おうとしているかのように見え、それは人間にとってとても大切な部分を切り落としてしまうような危ない行為に感じてきた。

『全自動煩脳ずいずい図』の鑑賞後、自分のそんな考え方がとてもちっぽけに感じた。色んなものが間違って切り落とされたとしても、その断面から新たな芽が芽吹く。康本作品は、切り落とされてしまったものの亡霊を誘惑したり焚きつけたりして、一気に成長を促し、以前よりも大きく魅力的な大木に実らせる。
コロナ禍でも当然のように舞台を作っていく彼女の活動は、縮こまってしまった私の筋肉にも作用し、この世にまだまだ新しい体験があるという現実を見せつけ、言葉では表現できない快楽を提供してくれる。
周囲の誰もが彼女の毒にやられてる。自分の身体が作品を見る前とは変わったと感じられる。

INFORMATION

康本雅子ダンス公演『全自動煩脳ずいずい図』

2020.11.5-8
世田谷パブリックシアター
【作・振付】康本雅子
【音楽提供】オオルタイチ
【出演】小倉笑 菊沢将憲 合田有紀 小山まさし 鈴木春香 辻本佳 泊舞々 康本雅子

WRITER PROFILE

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束芋 Tabaimo

現代美術家

1999年京都造形芸術大学卒業制作としてアニメーションを用いたインスタレーション作品「にっぽんの台所」を発表、同作品でキリン・コンテンポラリー・アワード最優秀作品賞受賞。以後2001年第1回横浜トリエンナーレを皮切りに、2011年には第54回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される等、数々の国際展に出品。近年は舞台でのコラボレーションも展開。2016年はシアトル美術館にて「写し」をテーマに大規模個展を開催。2017年1月から2018年5月まで、朝日新聞朝刊連載小説「国宝」(吉田修一著)の挿絵を担当。
2019年銀座のポーラミュージアムアネックスでの個展では初の油絵を発表。
束芋が構成・演出を手がけたパフォーマンス作品・映像芝居「錆からでた実」のアメリカツアーが2020年2月〜3月に開催。
現在、フランスのサーカスパフォーマーとのパフォーマンス作品を制作中。

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