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PERFORMANCE

すみだ平和祈念音楽祭2019『マックス・リヒター・プロジェクト』
すみだトリフォニーホール 2019.3.2-9

Written by 小室敬幸|2019.6.7

(c)K.Miura

マックス・リヒターは、クラシック音楽の未来を明るく照らすのか?

「すみだ平和祈念音楽祭」の一環として、ポストクラシカルの旗手として近年注目されるマックス・リヒターが3つの公演をおこなった。日本を訪れるのは15年振り2度目だが、その間にリヒターを取り囲む状況は大きく変化している。2012年にドイツグラモフォンから、ヴィヴァルディ《四季》をリコンポーズしたアルバムを発表。これ以後、リヒターはクラシック音楽の文脈でも語られる機会が増えていった。3月2日の公演ではこのリコンポーズ作品を、5日にはリヒターのソロデビュー作《メモリーハウス》を聴かせた。

最終日9日は当初、演奏時間に8時間以上を要する《スリープ》を24時から8時にかけて演奏すると予告していたが、最終的にはアジア初演となる《インフラ》と、《ブルー・ノートブック》という組み合わせに変更。その判断はおそらく正しかったのだろう。2日と5日の公演では集客がうまくいっていなかったが、この日は人気作《ブルー・ノートブック》を目当てにした多くの聴衆がつめかけていた。

(c)K.Miura

公演後に考えさせられたのは、舞台でリヒター作品を再演する意義についてだ。クラシック音楽(西洋芸術音楽)も他の芸術と同様、時代ごとに解釈が更新され続けることで歴史のなかに埋もれずにきた。演奏家にとって裁量範囲が少ないと思われがちなスティーヴ・ライヒでさえ、既に第3世代の新しい演奏が登場。作品像が更新されているのだ。ところが5日の《メモリーハウス》では残念ながら、却ってリヒターの個性が薄れてしまっていた。アルバムに収録されたサウンドに比べ、生演奏ではリヒターが多大な影響を受けたフィリップ・グラスへと先祖返りしてしまっていたのだ。

1989年に結成されたピアノサーカスの創設メンバーとしてキャリアを歩みだしたことからも分かるように、彼がポストミニマルの文脈を出発点としていることは周知の通り。そこに電子音響が加わることで彼の独自性が生まれるはずなのだが、残念ながら単なる効果音に成り下がっていた。
だが9日の公演での《インフラ》と《ブルー・ノートブック》では違っていた。弦楽器本来の響きを活かしつつも、繊細な電子音響(とりわけ残響音の微細なコントロールが重要)が加えられていくことで、それまでコンサートホールでは体感したことのないソノリティが空間的に立ち昇ってきたのだ。その結果としてリヒターの音楽はやっと、グラスやライヒの簡易再生産ではなくなる。彼にしか生み出し得ない新たな西洋芸術音楽になり始めるのだ。

(c)K.Miura

関係者の話によれば、2日と5日のリハーサルではリヒター自身があまり口出しせず、指揮者やソリストに任せていたというから、演奏もリヒター主体となったこの9日こそが彼の真骨頂なのだろう。だとすれば、リヒター自身の手を離れたところで今後、どの程度作品が飛翔していけるのかが評価の分かれ道となるはず。そのためにも、作品が演奏されやすい環境づくりが望まれる。

(c)K.Miura

INFORMATION

マックス・リヒター・プロジェクト

WRITER PROFILE

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小室敬幸 Takayuki Komuro

音楽ライター、ラジオDJ、大学教員。東京音楽大学/大学院で作曲と音楽学を学び、現在はクラシック音楽、現代音楽、ジャズ、映画音楽を主領域にして活動。執筆メディアも『intoxicate』『ラティーナ』『レコード芸術』『ぶらあぼ』『教育音楽』等とジャンル横断的。その他にも、Jazz The New Chapter 5に論考を寄稿、新日本フィル 定期演奏会ルビーのレクチャーを担当、都内主要オーケストラの曲目解説を執筆、インターネットラジオOTTAVAで毎週4時間生放送を担当している。
写真:平舘平

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