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PERFORMANCE

お寿司『ヘレンとgesuidou』
こまばアゴラ劇場
2023.2. 1 – 5

Written by 西谷真理子|2023.4.3

“gesuidou” Photo by manami tanaka

 

「見えること」「見えないこと」を謎解きしながら観る

 

「お寿司」の公演を初めて観たのは、2019年12月京都のロームシアターで行われた『菠蔆(ハロー)心中』という人形浄瑠璃の『曽根崎心中』を下敷きにした現代劇で、劇評を、演劇専門家ではなく、ファッションの書き手が書いたらどうなるか見てみたいという演出家の発案で(おそらく)、私もレビューを書くことになり、東京から京都に赴き、この公演を2回観たのだった。物語のおもしろさもさることながら、その衣装の発想に私は驚き、感心した。それは、人形浄瑠璃の「人形遣い」と人間が演じる「人形」の関係であり、その「人形」が舞台の上でまとった奇想天外の衣装であった。ダンサーが演じた「人形」の徳兵衛は、ほとんど台詞を発せず、不動のままでいる沈黙の時間も、人形遣いによって動かされる時間も、えも言われぬ迫力を放っていた。演出家・脚本家・衣装デザイナー南野詩恵が、この役に俳優ではなくダンサー(合田有紀)を起用した意図に関心を持たずにいられなかった。

さて、今回の作品『ヘレンとgesuidou』でも、ダンサーたちが登場する。

作品は、2部構成で、1部が『ヘレン』、2部が『gesuidou』である。

1部と2部とは、関連しているが、続きというわけではない。

見方によっては、1部はダンス作品で、2部が演劇作品とも言える。

 

“Helen” Photo by manami tanaka

 

「ヘレン」はこんなふうに始まる。

幕が開くと、小さな椅子を持った女性が1人ずつ全部で5人(京都公演では6人)現れ、その椅子を置いて腰掛ける。小学校の教室のようだ。大人が演じる小学生たちは思い思いのセーターにズボン、そしてソックスをはいている。その上に、白いエプロンを着ている。「おはよう」という挨拶。起立すると、みんなの目は上の方を向いている。1人ずつ上の方の何かに向かって暗号のような答えを返しては、はね返される(ように感じた)。この緊張した時間が終わると、休み時間になったのか、場の空気は和やかに変わる。ゲームをして遊ぶ。そして給食のような時間になると、1人ずつ食べたものを言う。食べたいものかもしれない。

それは、日常的な教室風景のようだが、観客である私は、そこで起こっていることに入って行けない。人物の関係もよくわからない。それでも、登場人物それぞれの動きはおもしろく飽きない。これはダンスとして上演されているのかもしれないと思い始める。生理やナプキンを思わせる動きもあり、初潮を迎える年齢の少女にとっての関心事と理解する。

 

脚本・上映台本は販売されていないし、席に置かれた『ヘレンとgesuidou』のプログラムにも、筋書きや解説はほとんど書かれていない。

「お寿司」のTwitterを読んでいた私は、「ヘレン」は、「ヘレン・ケラー」から来ていると知っている。でも、舞台にはヘレン・ケラーは登場しない。

南野詩恵は、小学校の頃にヘレン・ケラーの伝記を読んでいたが、今回、劇作品として書き上げる前に、ヘレン・ケラーに着想を得た物語を書いたという。

「5、6年前にハンデ(生きづらさ)を抱えたヘレン達の物語を書きました。未発表です。そこには沢山の台詞があり、サリバン役もいました。

この世で生きるのに必要とされる能力に欠けたヘレン達が、嫉妬をし、泣き言をいいながら、粘り強く生き、コンプレックスと生きづらさを叫ぶ物語を描いたものです。

それは『ヘレンとgesuidou』の『ヘレン』とは全く別の作品ですが、確実に下敷きになっています」。

 

この「生きづらさを抱えたヘレン達」の物語を読むことはできなかったが、今回上演された『ヘレン』に登場する少女たちの不揃いな動きから、集団生活になじみにくい「生きづらさ」をかぎ取ることはできる。

さらに、ヘレン・ケラーが水(という状態)に触ることで「water=水」という単語を知ったという有名なエピソードを、南野詩恵は自分自身に重ね合わせて、「(ヘレン・ケラーは)ものや状態には名前がある事を知り、言葉を知り、この世を表す言葉を覚え、コミュニケーションを知り、自分の思いを他者に伝える事を知り、世界とのつながりをみつけました。

それは、言葉を見つけ、物語を見つけ、媒体を通してならば、この世界とつながる事ができる。という自分自身の体験とシンクロしました」と語っている。

この私的ヘレン・ケラー読解、というか、ヘレン・ケラーを自分自身に引き付けて深読みすることで、南野自身の成長過程で出会い、ときほぐせないまま堆積していった様々な問題(女性ならではの問題も少なくないようだ)が、炙り出されていって、演劇という形で結晶化したのではないか。

 

“Helen” Photo by manami tanaka

 

上演テキストも送っていただき、少女たちが教室で上の方を見ていたのは、身長6メートルのサリバン先生だったとわかる。上演テキストは、1部についての文章が少なく、舞台で発せられた言葉の多くは俳優(ダンサーを含む)たちのアドリブかもしれなかった。時間が経ってそのセリフも私の記憶からこぼれ落ちてしまったが、動きや発語のトーン、表情はとても印象に残っている。

私がファッション雑誌を編集していた時代(10数年も昔の話)に、ファッションページを作るのに、あえて、プロのモデルを使わずに、市井の普通の人をキャスティングしたことが何度かあった。結果として、モデルに出せない存在感や不透明性が、写真を「濃い」ものにした。『ヘレン』を観ながら、その時のことを思い出した。まさに、不揃いな個性は、不揃いさのゆえに心に残ることがある。たとえば、Yumiさんの“演技”。給食で食べた(食べたい)メニューを読むのに、彼女だけが給食離れした(ジビエなどレストランのメニューのような)内容だったり、声のトーンが突然小さくなったり、ダンスをしても、動きが鈍かったりする。でも、なんとも慈愛に満ちた表情がいつまでも記憶に残る。もう一人、その対極のような斉藤綾子さんの“演技”は、目の動きから指先まで神経が行き届いていて、見事だった。二人の不揃いさは全く気にならなかった。

 

“Helen” Photo by manami tanaka

 

南野さんへのQ&Aをもうひとつ紹介したい。そもそも、ヘレン・ケラーを取り上げようと思った理由は?というのが、質問。回答はとてもシリアスだった。

「この世界は“スタンダードではないもの“に目を瞑っていると感じています。

それはそうするように“教育”されて来たものだと感じます。

“スタンダード”も、すでに定められた価値観であり、

また“見せるべきではないもの“に対して見せないように教えられて来たこともそうです。

今でこそ多様性、ボディ・ポジティブや、ジェンダーに関してなど、ようやく視野に入るようになったものも有りますが、私自身もまだまだ見えていないものが多いと感じています。

それはそのまま、全ての事を問い直す事になりました」。

その結果、「お寿司」は、上手なダンス、上手な演技などと評価される舞台から距離を取り、別の「目」で日々点検し、更新しながら作り上げていったのだろう。

 

“gesuidou” Photo by manami tanaka

 

2部の『gesuidou』に移ろう。1部に比べて、「演劇的」だ。

2部の舞台は、gesuidou=下水処理場である。工場のような室内では、奇妙な、凝っていて美しい衣装と仮面を身に付けた2人の作業員が、長い棒を持って、下水が溜まっていると思われる地面をかき混ぜている。そこに、ヘルメットをかぶり、普通のスーツを着た男が見学するために現れる。1人の作業員が動揺し脈絡のない言い方で男を追い返そうとする。2人の会話から、ベテランの方の作業員はハナコという名前で、もう何十年もこのかき混ぜ作業を続けているとわかる。かき混ぜるのは、下水管が詰まらないようにするためだが、上演テキストによると、gesuidouに、謎の生命体が誕生したらしい。それをヘルメットの男に感づかれたくないハナコの右往左往ぶりが前半を占めている。結局「謎の生命体」がトピックになることはないのだが。ハナコと組んでかき混ぜ作業を行うハナオは新米だが、後半で、実は手品師の修行中で、自分とそっくりな分身を手品で現出させてしまう。が、消すことができないという不条理な展開に。下水道という、通常は人に見られることのない場所、かつ排水、排泄といった、捨てられ、死にゆく場所で、流すことのできない生命体が生まれてしまうという事態になるのだ。

 

『ヘレン』が女性たちそれぞれの生きづらさを示しているとすると、『gesuidou』が意味しているものは何か。人に見られない場所で働き続けてきたために、生理も生殖も堕胎も出産も知らないハナコ(舞台上では、ハナオにしても男か女かもわからない)が生命を知る話ともいえるが、正解は見えない。南野がいうように、「スタンダードではない」ことに対して私たちは盲目なのかもしれない。答えを見せない。見えないことに想いを馳せることがこの作品の主題なのだろう。

おもしろくも難解な、その分考えずにいられない『ヘレンとgesuidou』であった。

最後になるが、ハナコとハナオ(その分身も)の衣装とヘッドピースは見事な作品だった。そのほかの衣装が、ありふれた日常的なものだったのと対照的だ。『菠蔆(ハロー)心中』の時も感じたが、この日常と非日常のコントラストのうまさも「お寿司」の美味な点である。

 

INFORMATION

お寿司『ヘレンとgesuidou』東京公演

日時:2023年2月1日〜2月5日
会場:こまばアゴラ劇場
作・演出・衣装: 南野詩恵
共同研究:瀧口翔
出演:『ヘレン』:カトリ4/斉藤綾子/関珠希/筒井茄奈子/野久保弥恵/Yumi
   『gesuidou』:内田賀須茂/大石英史/福岡まな実

京都公演
日時:2023年1月27日〜1月28日
会場:THEATRE E9 KYOTO

WRITER PROFILE

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西谷真理子 Mariko Nishitani

編集者、ライター。1950年兵庫県生まれ。1974年東京都立大学卒業後、文化出版局に入社。1980-82年パリ支局勤務。「装苑」「ハイファッション」に在籍し、副編集長を務める。2011年3月退職。2011年東京オペラシティで開催された『感じる服、考える服——東京ファッションの現在形』展共同キュレーターを務め、カタログを編集。『ファッションは語りはじめた』『相対性コムデギャルソン論』(ともにフィルムアート社刊)を企画編集。2013-2023年、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部で特任教授、客員教授を務める。島根県立石見美術館協議委員。

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