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PERFORMANCE

齢 instar
東京芸術センター ホワイトスタジオ
2022.7.18 -19

Written by 港 千尋|2022.9.16

photo© KENSAKU SEKI

 

タブローにたとえてみれば、モチーフがすべて揃い、画面上に未知の世界が展開されようとしているところだろうか。白いスタジオに座った観客は、すでにキャンバスの縁に集まっているのかもしれない。でも額縁に収められるにはまだ早い、そんな印象である。

すべてはゆっくりと、夏の夜の帳が降りてくるように、深い眠りのなかにいる人の呼吸のように、ゆっくりと始まる。そう、わたしたちはダンサーのひとりがベッドに横たわっているのに気づいていて、彼がいつ目を覚ますのだろうかと、いや覚まさないのかもしれないとやや訝っているのだが、それを撹乱するかのようにレーザー光が放たれる。眩しい緑色の光線がスタジオの床のうえを神経質に、電気的な刺青を施して動いてゆくのだが、それで何かを描こうとしているのか、わたしたちの視線を撹乱するだけなのか判然としない。やがて奥の壁に人々の影が浮かび上がる。それはわたしたち自身の影なのだが、影がひとつ立ち上がりゆっくりと歩みはじめ、ようやく待ち望んでいたパフォーマンスが始まる……この演出はもしかするとわたしたちに「遅れ」の感覚を取り戻させるためのものかもしれない。

 

photo© KENSAKU SEKI

 

感覚を呼び覚まされるのは、そうした遅さのなかにおいてである。メディアを通した情報のオーバーフローに慣れきったわたしたちの知覚は、その遅さのなかでいったんリセットされて、生身の人の姿を別の仕方で受け入れられるようになる。男性と女性のダンサーはそれぞれ対照的な動きを見せるが、わたしは特に前者に圧倒された。開演前からベッドの上で身動きひとつしなかった彼は、二つ折りになるベッドと一体化したかのように、スタジオの空間を異常な仕方で這い回るのだ。肉体が家具化するのか、それとも家具が肉体化するのかわからない。カフカの「変身」とは少々異なるが、それは身体がモノとの相互作用を通して第三の様態へと変わってゆく、変身と生成の実験であり、その点ではカフカ的な異様さがある。

 

photo© KENSAKU SEKI

 

異様にしてスリリング。奥のほうに大きなアクリル板がぶら下がっていて、それが振り子となって空中を行き来したり、そのアクリル板に向かって異様な咆哮をぶつける男性の形相も忘れがたい。無数のアクリル板に囲まれたわたしたちの日常への怒りと取れないこともないが、それよりもわたしはアクリル板の物質性のほうに、興味を引かれた。折りたたみ式のベッドも含めて、モノが別の物質性をそなえてこちらに迫ってくるような気がしたのである。

 

photo© KENSAKU SEKI

 

いっぽう女性のほうは男性の痙攣的で制御しようのない、興奮と怒りの爆発を充満させた身体に同調することなく、むろん同情もなく、冷ややかな距離をとる。ときおり休息にも見える「間」が訪れる。後半にようやくドラマが展開するのかと思えばそうではなく、ふたたびまた遅延の時が戻ってくる。スタジオ公演に相応しい<ワークインプログレス>的な作品を、こうして言葉に置き換えるのは容易ではないのだが、この作品は特に言葉の意味ではなく、直接的な感覚によって、目の前で展開する出来事を受け入れるように求めていることは確かである。

 

photo© KENSAKU SEKI

 

もっとも言葉によるヒントが与えられていないわけではない。

「目の見えない人が、試行錯誤しながら周囲の環境の中で自分の位置を確認していくように、その経験の場は常に不確定で、周到なものではありません。私たちは、私たちを支える社会文化的な足場に頼りながら、手探りで、時間をかけて自分の知覚経験を広げていきます。」(公演のwebサイトより)

観客が体験するのは、観客自身を支えている社会文化的な「足場」であり、この作品によって浮かび上がるのは、その「足場」が確固としているわけではなく、むしろ流動的なものだということだろう。おそらく同じことが作家の側にも言えるだろう。

「私たちの知覚探求のプロセスは、決められたものとして理解されるべきではなく、私たちが何をするか、何をする準備ができているかに依存していると思うのです。」(同)

作品を作り上げてゆくプロセスが、ダンサーを含めた制作者の知覚の探究である。制作者らは身体を動かしたり、映像を作ったりするために「どのような準備が出来ているか」を問うことから始めたのではないだろうか。運動を、それが起きる以前の時点に戻ってとらえ直してみる。言い換えると、それは運動と知覚におけるレトロコグニション(逆行認知)の探究である。わたしが「遅延」と表現したことは日常的な意味での遅れではなく、このレトロコグニション(逆行認知)なのかもしれない。

 

photo© KENSAKU SEKI

 

タイトルの「齢」、英語のinstarは、蚕などの昆虫が成長する際の脱皮の段階を示す「齢」から取られているという。脱皮する昆虫のメタモルフォーゼは、神話にとってと同様に、芸術にとっても大きなインスピレーションを与えてきた現象である。ひとつの齢が次の段階への準備ならば、段階を遡ることで、次の様態を予測できるかもしれない。

この点で特筆すべきはサウンドとプロジェクションの映像である。緻密に組み立てられたサウンドは身体の動きとシンクロするというよりは、出来事の前触れや事後の気配を与えるように思える。映像は卵の殻の回転、微生物の運動、最後に出てくる霊長類の微妙な仕草。イメージに対する思考に裏打ちされたプロジェクションと目の前で動き回る肉体との対照において、その美しさにおいて、わたしはいろいろなことを想った。目に見えない存在に翻弄され続けている現在の社会を、それを体験した前と後で変容する今の気持ちを、演じられる空間の外ではなく、かといって内でもない、境界の上で揺らぐわたし自身の知覚を。

もっともキャンバスにはまだ多くの余白がありそうだ。観客を引き込むには、音響、動き、映像の連関や触発が必要だろう。instarが起動する何かが感じられ、この先にどんな展開が待っているのか。わたしたちをメタモルフォーゼの魔術に引き込むような仕掛けだろうか。あらゆる動きにおいて「どんな準備が出来ているのか」、という根源的な問いを反芻しつつ、「成長」を心から期待したい。

 

INFORMATION

齢 instar 01

主催:SC∀L∃R(スカラー)
会期:2022年7月18 - 19日
会場:東京芸術センター ホワイトスタジオ
振付・演出:小池陽子
映像:山根晋
音楽・サウンドデザイン:山中透
パフォーマー:Elly Fujita、シマダタダシ

齢 instar 02
インスタレーション展示:2022年9/23(金)- 9/25(日) 金・土 13:00-19:00 / 日 12:00-16:00
パフォーマンス:2022年9/23(金)- 9/25(日) 金・土 15:00・17:00 / 日 13:00・15:00
会場:PHOTO GALLER FLOW NAGOYA(愛知県名古屋市中村区名駅4丁目16-24 名駅前東海ビル2F 207A)

WRITER PROFILE

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港 千尋 Chihiro Minato

1960年生まれ。写真家・批評家。多摩美術大学情報デザイン学科教授。芸術人類学研究所メンバー。映像人類学を専門に、写真、テキスト、映像インスタレーションなど異なるメディアを結びつける活動を続けている。記憶、移動、群衆といったテーマで作品制作、出版、キュレーションを行う。国内外での国際展のディレクションも手がけ、ベネチア・ビエンナーレ2007では日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ2016では芸術監督を務める。

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