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PERFORMANCE

ローザス『我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲』
東京芸術劇場プレイハウス 2019.5.18~19
後篇

Written by 湯山玲子|2019.7.10

Photo: Futoshi Osako

(「前篇」より)

では、「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」に移ろう。舞台には反対向きに演奏するチェロ奏者がいて、一曲ごとに男、若い女、老婆(主宰のケースマイケル。グレイヘアなのであえてそう分類させていただく)、壮年の男が次々に立ち現れ、踊っていく。と、ここで現れるのは、人間ひとりと人間関係。若い男ひとり、中年男ひとり、老婆と若い男、老婆と若い女の絡みは、恋愛なのか、家族なのか。

と、こういったテーマにバッハ、それも無伴奏のチェロを持ってくることは大定番。前述したようにバッハのこれらの音楽は、最初から神という至高の存在を感じさせるツールとして創られているところがあるので、どう踊っても音楽の力で底上げされてしまうところがある。したがって、この作品には「A Love Supreme~至上の愛」に見られた周到な批評性は影を潜め、大定番というクリシェの枠の中で、どれだけ深化できるか、思惑を越えることができるかにかかっているのだ。

ダンサー達は、男と女、若者と壮年、老年と、年齢に支配される肉体をそのまま舞台にさらしている。あるときにはムエタイのようなアグレッシブな動き、タンゴのような妖艶な絡み、組織のカリカチュアのような男性の整列。それは、およそ全ての人間のステロタイブであり、社会の中で役割を演じることで安定する人間の本質が明かされるかのようだ。そして、強調される「距離」。舞台上に結界が張られているように、ダンサーは遠心力で飛ばされながらも、また戻ってくる。それは、人間という生き物の限界の象徴なのか。なぜか、法則性を感じる図形っぽい動きだな、と思ったら、あとでパンフレットのテキストを見て、舞台床には、幾何学図形が書かれていたと知って驚いた。(後で知ったのだが、ケースマイケルのインタビューには、折にふれてモチーフとしての数列や幾何学の構造が語られている)

Photo: Futoshi Osako

そういえば、バッハの音楽もまた、数学的な構造で知られ、平行移動とか線対称移動などの対称性を用いた曲が多い。3曲で1セットの30の変奏曲からなる『ゴルトベルク変奏曲』などの3というキリスト教の三位一体をシンボライズする数字を多用したことはつとに有名だ。舞台上でも、曲が変わる度に、ケースマイケル自身がフロントに立ち、1、2、3と指でシンボルを作ってシークエンスを区切っていたのが印象深い。ローザスがこの演目で際立たせたのは、人間と人間関係、そして、数。ちなみに音楽と数学の共通点は、モデル化による美学。本質を際立たせるために、そぎ落とし、シンプルにバランス良く伝える出来映えを追求する、というこの2ジャンルの境地は、まんま、ローザスのアプローチそのものではないか。

Photo: Futoshi Osako

この「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」を観ながら、なぜだか、ひどく急速かつ強力に思い起こされたのは、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』だった。時は実在せず、世界は一瞬一瞬に完全である、と老いて河の渡し守になった主人公が、違う道を選んだ求道者の友に語る、実在しない「時」の話、そして、世界は一瞬一瞬に完全である、という言葉と全体は、少女時分の私が読み、ひどく感動したところであり、今まで血肉の中に潜んでいたものが、この舞台を観ている中で、引っ張り出されてきたのにはびっくりした。そう、この演目は、人間の一生、というあまりにもベタだが、全ての人が無関係ではいられない事柄を象徴している。私たちは、ダンサーの動く肉体とバッハの音楽を茶室の掛け軸の文字のように観つつ、自分の心の中にそのことを問い続ける時間がすなわち、「我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲」なのだろう。

恐るべし!ローザス。

 

INFORMATION

Rosas 『我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲』

東京芸術劇場プレイハウス
2019.5.18~19
振付:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
音楽:J.S.バッハ<無伴奏チェロ組曲>BWV 1007-1012
チェロ:ジャン=ギアン・ケラス

WRITER PROFILE

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湯山玲子 Reiko Yuyama

著述家、ディレクター。 興味: 著述家。出版、広告の分野でクリエイティブ・ディレクター、プランナー、プロデューサーとして活動。同時に評論、エッセイストとしても著作活動を行っており、特に女性誌等のメディアにおいては、コメンテーターとしての登場多数。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッション等、文化全般を広くそしてディープに横断する独特の視点には、ファンが多い。 メディア、アート、表現文化ジャンルにおける、幅広いネットワークを生かして、近年は、PR、企業のコンサルティングも多く手がけている。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)など。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」を主催し世界を回る。(有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。 

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