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PERFORMANCE

セバスティアン・ヴォイダン(ガラピア・シルク)『マラソン』
座・高円寺 2018.7.21 – 23

Written by 乗越たかお|2018.8.20

© Sébastien Armengol

 

芸術の新しい波である現代サーカスの公演は日本でも倍増している。なかでも座・高円寺は家族連れが多く、小さな空間で、そして小さな空間だからこそ楽しめる作品を精力的に招聘しており、良プログラムが多い。海外での現代サーカス公演は、チケット代を抑えて家族連れで楽しめるようにしていることが多いのだ。

それにしても今回の『マラソン』には驚かされた。数あるジャグリングの中でも、「投げナイフ芸」だったからである。ホンモノの両刃の投擲用ナイフを床に等間隔に刺していき、頭に物を載せたまま(つまり足元を見ないまま)、ナイフの間をスイスイと縫うように歩いていく。

 

© Sébastien Armengol 

 

この作品はヴォイダンの二十代を描いたそうだが、冒頭は若者にありがちな、ちょっと頭の悪そうな危険を追い求める数々のシーンが続くのだ。ヘルメットをかぶり、スケボーに水平に乗って人間ロケットのように金属の箱にドーンと激突する。マジな矢で的を射る。刃を上にしたナイフを何本も立たせた上で綱渡り&ジャグリング。柄の長い斧を額の上に立たせてバランスを取りながら歩く。客席に近づくと、はじめキャーキャー騒いでいた子供達も、「こっちにこないでー!」と真剣なお願いが出るほど(この斧は、最後に後ろ向きに落ち、ドーンと音を立てて床に刺さる)。

刃物は日本の劇場では許可されないことが多い。子供が多ければなおさらだ。しかし「危機に直面する身体」はサーカスの本質のひとつである。現代サーカスがテントから劇場へ移り、幅広いアートと融合することで多様な表現を手に入れる一方、「危機に直面する身体」というサーカス本来の本質が抜け落ちていくことの是非は、筆者も注目していた。その点、ヴォイダンは久々に「危機に直面する身体」を感じさせてくれるパフォーマーだった。彼を受け入れた座・高円寺も、腰が入っている(事前に「ナイフを使用するスリリングな演技があります」と告知はされている)。

 

撮影:梁丞佑

 

さて演技の冒頭に満ちていた狂気は次第になりを潜めてくる。葉がいっぱいのバケツを愛でたり(細い西洋人参が飛び出してくる)、金網のフェンスで周りを囲った中でジャグリングなど、他人を気遣うようになっていく。

やがてヴォイダンはカラフルな風船をいくつも両手に持って登場する。中央には細長いサボテンがあり、その上を飛び越える度に風船は割れていく。まるで若い頃の夢がひとつふたつと破れていくようだった。

はじめと終わりに体重計で体重を量り、大量の汗を絞って約1キログラム体重が減っているのを見せるのだが、これはかえって余韻を潰している。しかし特に芝居や明確なストーリーはなく、淡々とジャグリングをしていているだけでも、観る角度を変えれば物語を紡ぐことができる。なかなか見事な作品だった。

 

INFORMATION

セバスティアン・ヴォイダン(ガラピア・シルク)『マラソン』

日程:2018.7.21 - 23
会場・主催:座・高円寺
助成:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本

http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/marathon/
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1930

WRITER PROFILE

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乗越たかお Norikoshi Takao

作家・ヤサぐれ舞踊評論家。株式会社ジャパン・ダンス・プラグ代表。06年にNYジャパン・ソサエティの招聘で滞米研究。07年イタリア『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。現在は国内外の劇場・財団・フェスティバルのアドバイザー、審査員など活躍の場は広い。著書は『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社)、『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』(NTT出版)、『ダンス・バイブル』(河出書房新社)など多数。現在、月刊誌「ぶらあぼ」でコラム「誰も踊ってはならぬ」を好評連載中。

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