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PERFORMANCE

渋谷能
Bunkamura 30周年記念 セルリアンタワー能楽堂
2019.3.1 / 4.26 / 6.7 / 7.26 / 9.6 / 10.4 / 12.6

Written by 稲葉俊郎|2019.9.1

「翁」(宝生和英)Photo(c)  辻井清一郎

「渋谷能」という新しい試みが、セルリアンタワー能楽堂で行われている。「渋谷能」では、通常の能楽公演とは異なるチャレンジがされているので、まずそこから紹介したい。一つ目は、流派の垣根をこえて若手の能楽師が関わっているシリーズ公演であることだ。能楽界には流派があり(例えば、シテ方と言われる主役では観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流の五流がある)、公演はそれぞれの流派内で行われることが多く、異なる流派が同じ舞台をつくることは稀だ。また、若手能楽師が中心となっていることも能では特別なことだ。ダンスなどでは、四十代は脂の乗った時期かもしれないが、能の世界では六十や七十歳を越えてもなお、その芸質を問われ、若手には長い長い修業時代が続く。そのため、「渋谷能」のように若手だけでつくられる能舞台を見ることは極めて珍しい。しかし、「渋谷能」においては、若手だけでも極めてその芸質は高く、能楽師の層の厚さに驚くだろう。二つ目は、初心者にもできる限りテーマがわかりやすい演目を選び、年間を通しての構成が考えられていること。各回のテーマは、「祝」、「親想う心」、「正義」、「不条理」、「恋愛」、「戦い」であり、能が描くバリエーションの広さに驚くだろう。三つ目は、この公演自体がクラウドファウンディングで実現されたことだ。若手能楽師が能の本質を守って伝えていくために、鑑賞者と共に公演をつくり上げていくプロセスの共有をこそ大切にした。そして、あらゆるチャレンジを含んだ「渋谷能」は実際に実現した。

能について、よくわからないという人は多い。それは正しい反応だと思う。なぜなら、能は通常のエンターテイメントとは異なり、儀式の要素が大きいからだ。儀式が失われている現代では儀式の意義がわかりにくいのは当然のことだ。だからこそ、自分にとっての儀式とは何かと問いながら、場の共同創造者として参加する必要がある。

「自然居士」(佐々木多門)Photo(c)  辻井清一郎

第一夜(3月1日)は、「翁」(宝生流)。この演目はまさに儀式だ。能楽師は直面(ひためん:面をつけていない状態)で登場し、舞台の上で能面を拝む。舞台で面をつけて「翁」となり、天下泰平や五穀豊穣を祈って舞う。もともと、能は神へ捧げる芸能だった。神に祈りを捧げる儀式に参加することは、場の共同創造者の責任があるということだ。

第二夜(4月26日)は、「熊野(ゆや)」(金春流)。『平家物語』を改変し、つくられた曲で、すでに平家一族の運命に暗雲たちこめていた時代。登場人物全員にとって今生で最後になるかもしれない「花見」の場面では、咲いて散る植物の生と死のイメージが個人や一族の人生と重なる。満開の花も雨が降れば簡単に散ってしまう——その光景を体験した人たちは、そこに無常という真理や無常の運命を予感として感じ取る。美しい春の情景と対照的に、暗く沈み込んだ心の世界。外なる光と内なる影との対比によって、見る者は自身の何かしらの体験を引きずり出され、心を打たれる。

第三夜(6月7日)は「自然居士」(喜多流)。我が身を人買いに売った子どもを、自然居士という正義のヒーローが助ける話。人身売買に関わる商人たちなりの誇りと自然居士の誇りとがぶつかり合う。ただ、力での解決ではなく、美しく圧倒的な舞いにより美的な形で対立の解決がはかられる。葛藤の解決を力ではなく美で行うところに、能楽が示す未来への可能性を感じる。援助交際で話題になった「渋谷」という土地を考えると、「自然居士」が含むテーマは現代にも姿を変えて現れていることを感じる。

第四夜(7月26日)は「藤戸」(宝生流)。源氏の武将(佐々木盛綱)が、藤戸(現在の岡山県倉敷市)で老女と出会う。その老女はある武将に我が子を殺されたと嘆く。盛綱は、離島へ馬で行ける秘密の浅瀬を若い漁師から聞き出し、口封じのため殺していた。そこに漁師の亡霊が現れる。盛綱は必死に弔いをすることで若い漁師は成仏していく。『平家物語』では盛綱の武勇伝として語られている話だが、能の「藤戸」では、英雄の手柄の裏には名もない多くの死者がいることを示し、歴史上では語られない死や悲しみに光を当てている。

左)「熊野」(中村昌弘)Photo(c) 辻井清一郎
右)「藤戸」(髙橋憲正)Photo(c) 辻井清一郎

今後、第五夜(9月6日)の「井筒」(観世流)、第六夜(10月4日)の「船弁慶」(金剛流)を経て、最終回の第七夜(12月6日)は、五流派それぞれが舞囃子を舞うことで、「渋谷能」は締められる。

能では多くの死者が現れ、生者と死者との対話が行われる。死者の話をしっかりと受け取り、そのことを現代に生かしてくれることこそが、死者の唯一の願いであると言うかのように。能楽はエンターテイメントというより儀式に近いと書いた。儀式では場での体験をこそ大切にする。なぜなら儀式は心の水路としても働くからだ。わたしたちの心の水が枯れている場所、水の流れが滞っている場所に、儀式は水路をつくり、心は深い場所から動き出す。その儀式は、生者と死者の間をも水路で結ぶ。

わたしたちは、寝て起きる行為を毎日繰り返している。寝ているような、起きているような、そのあわいの状態で、心身は常に更新されている。能の世界においては、意識のあわいの場所をこそ大切にしてきた。夢のような通路を介することで、生者と死者とは時間や空間の制約を受けず、自由に出会えるのだから。

「渋谷能」の挑戦は、過去と現在と未来とを新たな糸でつなぎ、能によって得られる「場の体験」の意義をわたしたちに提示してくれるだろう。

INFORMATION

渋谷能

2019.3.1 / 4.26 / 6.7 / 7.26 / 9.6 / 10.4 / 12.6
Bunkamura 30周年記念 セルリアンタワー能楽堂

WRITER PROFILE

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稲葉俊郎 Toshiro Inaba

1979年熊本生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-2020年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(山形ビエンナーレ2020 芸術監督 就任)。在宅医療、山岳医療にも従事。未来の医療と社会の創発のため、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)、『からだとこころの健康学』(NHK出版)など。HP:https://www.toshiroinaba.com/

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