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PERFORMANCE

「GE14」「仮構の歴史」 (ワーク・イン・プログレス)「暴力の星座」
 TPAM 2019.2.17

Written by 五十嵐太郎|2019.3.26

撮影:前澤秀登

 

2月17日、日本大通りの路上において、ファーミ・ファジールは芸術と政治のあいだに線引きはできないと聴衆に語りかけたが、TPAMの最終日を象徴する言葉のように思われる。当日、筆者が観劇したプログラムは、東南アジアの政治、社会、歴史を扱うレクチャー・パフォーマンス的な三つの演目だった。

撮影:前澤秀登

「GE14」は、二部構成である。第一部では、マレーシアの独立後、60年間も変わらなかった与党が敗れ、初の政権交代が行われた歴史的な瞬間に立候補し、勝利したパフォーマーであるファーミ・ファジールのドキュメント映像を流しつつ、現場で取材していた山下残が弁士として語る。山下はときにユーモラス、ときに熱弁をふるい、われわれはマレーシアで起きた地殻変動を共有する。どうせ変わらないという諦観が支配する日本の政治を思い出しながら、本来、選挙がもつべき民衆の熱量を羨ましく感じられた。そして第二部では、舞台をホールから外に移し、ファーミ本人が登場して演説する。道路使用の許可取りは面倒だったかもしれないが、まさに街頭から政治活動をはじめた経緯を聴衆が追体験できる巧みな演出だった。実際、聴衆は路上で鍛えられた流暢な演説を堪能し、あなたたちにとっての巨人ゴリアテを倒しましょうと呼びかけられた。

撮影:前澤秀登

 

続くファイブ・アーツ・センターの「仮構の歴史」も、マレーシアの政権交代に関連する作品だった。すなわち、新しい歴史教科書が2020年に発行されることを踏まえ、独立の一助になったにもかかわらず、公式の歴史から消去されたマラヤ共産党の活動を掘り起こす試みである。未完に終わったドキュメンタリー映画の高齢になった共産党員の重みがあるインタビュー、教科書の分析、公開フォーラムの記録、歌と演奏などの素材をもとに、現在進行形の問いを投げかける。リサーチの過程で、ファーミ・レザは共産主義者の武装闘争を認めるのかという激しい批判にさらされたが、これも歴史認識をめぐる日本の状況と重なる。白か黒かの敵味方に二分するイデオロギーに惑わされることなく、権力と歴史の関係に意識的であるべきなのだ。

撮影:前澤秀登

 

イルワン・アーメットの「暴力の星座」は、ドキュメント映画「アクト・オブ・キリング」(2012年) でも知られるようになった1965年の9月30日事件後のインドネシアで発生した大量虐殺(=共産主義者の排除)を扱う。やはり映像を用いながら、現在も続く暴力の問題を考察するが、その困難さに対して、あまりにスペクタクル的に美しいエンディングを迎えることにやや戸惑った。むしろ、日本人にとっては、インドネシア社会史の研究者、倉沢愛子が冒頭のレクチャーで指摘した両国の政治・経済の密接な関係が重い問いとしてずしりと響いた。ともあれ、三作品の題材は、日本では決してなじみがあるものではないが、現在の状況を考えると、他人事ではない内容であることに強い批評性を感じさせられ、そうした事実に驚き、また勇気をもらうことになった。

撮影:前澤秀登

INFORMATION

「GE14」「仮構の歴史(ワーク・イン・プログレス)「暴力の星座」

TPAM(ティーパム、国際舞台芸術ミーティング in 横浜)
2019.2.9 - 2.17

WRITER PROFILE

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五十嵐太郎 Taro Igarashi

建築史・批評家。東北大学教授。 ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008の日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013の芸術監督などをつとめる。 著作に『現代日本建築家列伝』や『建築と音楽』など。

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