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PERFORMANCE

伝統と創造シリーズ vol.12 「藪の中」
セルリアンタワー能楽堂、2022年1月13日~16日

Written by 稲葉俊郎|2022.2.28

写真:瀬戸秀美

セルリアンタワー能楽堂主催の「伝統と創造シリーズ vol.12『藪の中』」 *は、芥川龍之介の作品に着想を得た野心的な舞台だった。「藪の中」は、死の真相が“藪の中”へと消えていく作品である。闇や謎そのものが物語の中心として展開されることで、わたしたちそれぞれが、人生の真実と対峙する覚悟や勇気を間接的に問われているように感じた。

写真:瀬戸秀美

五人の踊り手が織りなす舞台は、神話的であり、かつ喪の時間をも体験する不思議で素晴らしいものだった。
「藪の中」では、五人の登場人物それぞれの主張や見えている風景が異なることで、死の真相が“藪の中”になる。ただ、そもそもわたしたちが安易に下しがちな原因と結果という判断そのものに対して、疑義を突き付けているともいえる。舞台に脇役はおらず、すべての登場人物が主人公であった。人だけではなく、舞台上に鎮座する蛍光灯すらも主人公であり(能楽の古典「道成寺」で天からぶら下がる鐘のように)、時に異様な明滅を繰り返す蛍光灯は、今回のドラマに関わった人物たちの理性のゆらぎのようでもあり、太古から人類の営みを見守る現代の太陽や月のようでもあった。
そもそも、能楽堂という特殊な空間そのものが、一時的に死の世界の鐘の中にいるような場でもある。能楽堂を訪れた観客は、偶然にも能におけるワキの存在のように、現世(うつしよ)と常世(とこよ)とをつなぐリンクのような存在として、舞台に参加する一員となる。本舞台では、踊り手だけではなく、音楽も衣装も作品の中に深く組み込まれて一体化しており、空間を紡ぐ粒子であり、波動のように舞台の世界観を深く引き立てていた。
五人の踊り手は、舞踊のようであり演劇のようでもあり、同時に図形のようでもあった。人間が死と向き合う究極的な次元に置かれるとき、ある時にはつながりあい、同調しあい、調和しあうが、時には分断し、阻害し、破壊しあう。その心理的な融合や分断を、踊り手は神聖幾何学の図形のように描く。

写真:瀬戸秀美

人はなんのために生きるのだろうか。人はよりよく生きるために、脳や感情を授かっている。優しさや悲しみも、喜びも怒りもそうだ。そうしたすべてを生む母体である体や心、魂や命を生まれながらに与えられている。ただ、人は必ずしも自分を深く知っているわけではない。自分をうまく扱えているわけではない。だからこそ、危機的な状態で陰画のようにあぶり出される人間の本能や本性、そうしたものが身体を通して噴き出してくる。舞踊は、そうした究極の心理を体の動きだけで伝える。心の動きが体の動きとなり、身心は一如となり、観客の身心は舞台という場にさえ融合し、つながる。そうした踊り手と観客との心の動きやつながりそのものが、死者の鎮魂へとつながっている。
舞台の中で、人の死を前にした「喪の儀式」を感じさせるものがあり、深く響いた。というのも、人間が芸術を生んだ源泉は、「死の体験」からではないかと、思うからだ。人生は、受け入れがたいものを受け入れるプロセスそのものだが、それこそが人間の意識の拡大や成長を促す促進剤でもある。最も象徴的なものが生命に訪れる「死」という現実であり、死と対峙して生まれてくるものが儀式であり儀礼であり、文化であり文明であり、それはダンスや舞につながるものではないだろうか。人間の心や体の動きとしての舞踊、舞踊の魅力を拡大させる衣、場を無意識下で方向付ける音、人類を見守る時の支配者のような天の光、舞台を真摯に見る観客。そうした場の全体そのものが、死者への鎮魂の儀式でもあり、生命の継承でもある。舞台は一貫して、それぞれの人や物が適切な距離感を保ちながら、時にぶつかりあいながら融合して展開していく神話的な体験だった。精神を凝縮させて、踊り手は祈りのように一心不乱に踊る。そうした光景を、わたしたちは神聖な体験として受け取り、終わりなき日常へと帰還する。

写真:瀬戸秀美

最後に、文化芸術基本法(平成十三年 法律第百四十八号:改正 平成二十九年)の前文を引用したい。
「文化芸術を創造し、享受し、文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは、人々の変わらない願いである。また、文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。」
わたしは、この言葉の力を心の底から信じている。どんな過酷の時代でも、祖先たちは生きる喜びを忘れなかった。そのために、伝統と創造の中で文化芸術は受け渡されてきた。その灯は舞台を介して全員の魂に分配され灯される。こうした根源的な生の喜びを創造する舞台の出演者の方々、そして文化芸術を裏方で支えるすべての方々に深く感謝する。混迷の時代の中で、こうした素晴らしい舞台を共に体験できた時間こそが、何よりも尊いのだ。

写真:瀬戸秀美

* 「伝統と創造シリーズ」とは、能楽堂という日本の伝統的な様式を持つ空間を、コンテンポラリーダンスの振付家がどのように解釈し、扱っていくかを問う企画。

INFORMATION

伝統と創造シリーズ vol.12 「藪の中」

2022年1月13日~16日

原作:芥川龍之介
演出・振付:島地保武
出演:津村禮次郎、酒井はな、小尻健太、東海林靖志、島地保武

衣裳:matohu
音楽:熊地勇太

照明:瀬戸あずさ(balance,inc.DESIGN )
音響:岡直人
舞台監督:川上大二郎


主催・企画制作:セルリアンタワー能楽堂
https://www.ceruleantower-noh.com/

企画制作:スタジオアーキタンツ

http://a-tanz.com/

WRITER PROFILE

アバター画像
稲葉俊郎 Toshiro Inaba

1979年熊本生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-2020年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(山形ビエンナーレ2020 芸術監督 就任)。在宅医療、山岳医療にも従事。未来の医療と社会の創発のため、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)、『からだとこころの健康学』(NHK出版)など。HP:https://www.toshiroinaba.com/

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