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SCREENING

マーティン・エデン
監督・脚本:ピエトロ・マルチェッロ

Written by 佐藤久理子|2020.9.5

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

 

夢を追うことで、社会に抵抗する

 

まるでかつてのイタリア・ネオリアリズモや70年代のベルナルド・ベルトルッチの映画を観ているような感慨を抱く。

アメリカの伝説的な作家ジャック・ロンドンが19世紀の西海岸を舞台に書き上げた自伝的な作品を、イタリア人監督ピエトロ・マルチェッロは、自らの出身地ナポリを舞台に、20世紀後半の物語として映画化した。ドキュメンタリー出身の彼は、ときにアーカイブ映像を交え、現実とフィクションの境界を巧みに行き来しながら、前世紀へのオマージュを歌い上げる。

 

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

貧しい労働者階級の主人公マーティン・エデンは、偶然の縁で上流階級の娘エレナに出会い、恋をする。彼らの教養と文化度に触発されたエデンは小説を書き始め、作家として身を立てることを決意する。だが、書いたものは出版社からことごとく拒否され、一方エレナとも、階級差による決定的な断絶を意識させられる。ここから彼は、自身の芸術を模索する孤高の旅に出る。

やがて運命は彼に微笑み、作家として成功するものの、映画はそこで終わらない。否むしろ、成功を得た後に社会に幻滅し、純粋なモチベーションを失っていくエデンの姿を描くことでこそ、物語が完結する。これは単純なサクセス・ストーリーではなく、自らの理想と夢を抱えながら、現実と折り合いをつけていくことにもがき、絶望する青年の生き様を見つめているのだ。

 

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

老いたエデンは、まるで熱に浮かされたかのようにひとりテープレコーダーに向かって語る。「世界は私より強い。私は身を挺して、その力に抗うしかない」。たとえ負け戦にすぎずとも、抗う、そこに哲学がある。マルチェッロ監督はこう語る。

「これは青年が成熟し、社会を知る普遍的な物語だ。彼は文化的刺激を通して自分を解放しようとする。でも成功を経験して、現実との接点を無くし、自分を見失う。そしてシニカルな人間になる。社会がそうさせたのか? わからない。僕自身は前半が好きだし、後半の彼を観るのは誰にとっても辛いだろう。でもジャック・ロンドンは、『認めようと認めまいと、僕らみんなのなかにマーティン・エデンはいる』と語っていて、それはその通りだと思う」

 

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

エデンに扮したルカ・マリネッリ(本作で2019年ヴェネチア映画祭の男優賞を受賞)の比類なき存在感が素晴らしい。これこそ、役との運命的な出会いとでも言うのだろうか。その肉体からは荒々しさと繊細さが、その世界に見開かれた瞳には、好奇心と情熱が宿り、激動の時代を生き抜くたくましさを体現する。

マーティン・エデンを、たとえばビート文学のジャック・ケルアックあたりと比較してもいいかもしれない。ジャック・ロンドン自身が後世の作家たちに多大な影響を与えたように、エデンのキャラクターは、<オン・ザ・ロード>に生きたケルアックに大きな影響を与えたことは疑いようがないから。

「映画は時代に対するメディテーションになり得る」というマルチェッロ監督の作品は、20世紀を描くことで逆説的に、現代に生きるわたしたちが失ってしまった何かを、熱く問いかけるのだ。

 

INFORMATION

マーティン・エデン

監督・脚本:ピエトロ・マルチェッロ
原作:ジャック・ロンドン
2019年 | イタリア / フランス / ドイツ | 129分
配給:ミモザフィルムズ
2020年9月18日よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

WRITER PROFILE

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佐藤久理子 Kuriko Sato

パリ在住。編集者を経て、現在フリー・ジャーナリスト。映画をメインに、音楽、カルチャー全般で筆を振るう。Web映画コム、白水社の雑誌「ふらんす」で連載を手がける。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。

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